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第55話 煙管


 ニヴルヘイム・魔王城内武具庫。

 煙管を片手に持つ老人は、踵を鳴らして歩く。

 煙を揺蕩わせ、深い息を吐いた。


「我らが主に刃を向け、挙句の果てに理性を失うとは。全くなっていない」

「ヒュドラ……」


 地面を這いずりながら、酒呑童子は老人を見上げる。

 がっしりと、筋肉を盛った身体に燕尾服を纏う。

 整えられた髪は、彫刻の様に動かない。

 彼が悪戯に『年齢』についてクイズを出せば、困るのは出された方。

 何故なら、全ての年齢にみえるから。

 目の前に立っているのはただ1人。

 なのに、目の前にいるのは、年齢を掴めない男。

 酒呑童子が名を呟いたその老人は、ブランデーを楽しむように、ゆっくりと煙を吸った。


「しかし、ムスペルヘイムへ赴くにあたって、酒呑童子を護衛に当てたのは我々の失策。あの土地に踏み込むには貴女以外に適任はいないと考えたのですがね」

「堪忍してや……。こんなん、予想外もええとこやわ」


 掌に爪を食い込ませながら、酒呑童子はヒュドラへ笑いかけた。

 今にも襲い掛かりそうになる衝動を抑え込み、身体を震わせる。

 自然に荒くなる呼吸を、ヒュドラから隠そうとして。


「ムスペルヘイムにいる魔族は、正体不明なものが多く存在します。その中でも特にマークしていたムスペルが、まさか貴女特攻だったとは。酒気を交えていることが分かったのなら、一旦前線から引くべきだったでしょうに」

「魔王様が贅沢に睡眠貪ってるに、ダユだけでは物足りんと思わん?」

「1度、霧を飲み込んだ時点で貴女に判断力を期待するだけ無駄でしたね」

「どこから、観てたん?」


 酒呑童子の眼前に立ち、ヒュドラは上から見下ろす。

 身体を仰け反らせ、酒呑童子はヒュドラを見上げる。

 顔を吐き出す形になったことで、荒れる呼吸は露わになり、ヒュドラは眼を細める。

 ギリギリのところで理性を取り戻しかけている酒呑童子に、ヒュドラは、わざと首を晒して見せた。


「……ッァ」


 ドクン、と酒呑童子の血が騒ぐ。

 目の前で晒された肌に、ブレーキは踏み抜かれた。


「クゥ、アァア!!」


 自分を押し留めるものを失った酒呑童子は、ヒュドラの首を裂こうと手を伸ばす。

 鋭く伸びた爪をその肌に食い込ませようと、必死になって体を起こした。

 だが、ヒュドラはそんな酒呑童子を避けようともしない。

 襲いかかろうと飛び跳ねる彼女を見、ヒュドラは、煙管に口をつけゆっくりと息を吸い込んだ。


「……1の毒に、1000を舞え」


 己の首へ伸ばされた右手首を開いた手で掴み、煙管を持つ手で顎を引き寄せる。

 酒呑童子の顔を自分の眼前まで寄せ、ヒュドラは大きく息を吐いた。

 顔に吹きかけられた煙に、酒呑童子は眼を細める。

 と同時、ビクリ、と体を震わせ、のた打ち回った。


「ッ、あぁあああああああ」


 ヒュドラが両手から酒呑童子を解放すると、彼女は陸にあげられた魚のように床を跳ねる。

 口元を押さえ、喀血を受け止める。

 全身を走る激痛、眩暈、悪寒、吐き気、重圧。

 溢れる涙は抑えることができず、恐怖で身体が震える。

 苦しむ酒呑童子を、ヒュドラは冷たい眼差しで見下ろした。


「そのまま、酒も悪鬼も、全て吐き出してしまいなさい」

「ま、て……」


 ヒュドラが吸っているのは、煙草の煙ではなく毒草の煙。

 ヒュドラは、体内に毒を溜めこむことで成長していく。

 故に、吐き出す息は全て毒を含むようになっていく。

 ただその場で息をするだけでも効果はあるが、ヒュドラが煙管を持っている時威力は増幅する。

 酒呑童子から視線を外し、ヒュドラは踵を返した。

 遠ざかる老人に、酒呑童子は痙攣する手を伸ばす。

 止まらないヒュドラは、振り返ることもなく武具庫を後にする。


「ヒュドラ、さ、ま……」


 音を立てて、武具庫と扉は閉じる。

 隙間なく、ピッタリと合わさる扉に、酒呑童子は一筋の涙をこぼした。


「……まだまだ、子どもということですか」


 扉を背に立つヒュドラは、細く聞こえる酒呑童子の絶叫に、また1つ煙を吸い込む。

 昔を懐かしむように空を眺める老人は、近づいてくる足音に首を動かした。

 1本の瓶を大事そうに抱えて歩く天使。


「無理なお願いをしてしまい申し訳ありません」

「いえいえ~、ポーションの1本くらい、ムク様のためと思えば安いのですよ~」


 煙管から口を離したヒュドラは、歩く天使に一礼する。

 改まって謝罪する老人に、天使は手を振って答えた。

 瓶の中の液体を揺らし、存在を強調しながら天使は老人に歩み寄った。


「ミィは~、ムク様の為になるなら、なんでもするのですよ~」

「やれやれ……」


 そういって、天使ミカエルは笑った。

 天使の笑み、なんて比喩が霞むくらいに美しい表情で。

 ミカエルは、戦略会議での話し方とは真逆の喋り方をした。

 彼女は基本、羽の様にふわふわした性格をしている。

 固く改まった形式は性に合わないらしく、会議以外で固い口調になることはまずない。


「それにしても~、あの子も、貴方に愛されているのですね~」


 ヒュドラを見、ミカエルは頬に手を当て嬉しそうに言葉を発した。

 武具庫の扉の奥へ視線を投げる様に眼を滑らせながら、ミカエルは微笑む。


「はて、何のことでしょう」


 ミカエルの発言に、ヒュドラはとぼけてみせる。

 そんな反応を面白がり、ミカエルは益々嬉しそうに言葉を重ねた。


「だって~、その煙管の中身、今は毒草ですよね~? 通称『鬼殺し』。あの子の為だけに貴方が発明した、特別な配合の毒草ですよね~? 普段なら~、貴方の息に含まれる毒を中和するための薬草を吸っているはずですよ~。だからあの子も~、油断して貴方の毒を吸い込んだんですよね~?」


 煙管を指し、ミカエルは全てを見透かすような瞳に、ヒュドラは肩を竦める。

 大きく煙を吸い込み、吐き出す。

 目の前で毒を吐き出されても、ミカエルは煙たがらず、むしろ笑みが零れ出す。


「鬼に反応する毒。特に、酒気を含んだ者に強く反応する。まさに、あの子の為だけに作られた毒。貴方にも、作用するのにね?」


 間延びした口調を止め、断言するようにミカエルは言った。

 面白がるように、嘲笑するように。

 薬を抱えた天使の影が伸びる。


「あの子は知っているのかしら? その毒草を使うたびに、貴方の身体も」

「ミカエル」


 クスクス、と笑うミカエルをたしなめる様に、ヒュドラは鋭く名前を呼んだ。

 その様子に、更に口角を上げて笑うミカエルに、老人は溜め息を吐いた。


「ミィは~、ただ自分の推理を、述べてみただけなのですよ~?」


 口調を元に戻し、天使の如く微笑むミカエル。

 当主陣の中でも自然治癒能力が乏しい彼女は、独学で薬学を極めた。

 薬学に精通しているミカエルには、薬において誤魔化しは利かない。

 誰に聞くでもなく暴かれた真相に、ヒュドラの機嫌は僅かに傾く。

 無論、決して表面には出さないが。


「そのことは、内密に。決して、」

「わかっていますよ~。ミィは~、そんな無粋なことはしないのですよ~」


 ヒュドラの言葉を遮りながら、ミカエルは同意する。

 当主陣は、相手の話を聞かない者も多く存在する。

 内容を言い終わる前に会話が強制終了することも少なくは無かった。

 そんな対応に慣れているヒュドラは、もう一度煙を吸い込んだ後、ミカエルの後ろへ視線を投げた。


「貴方も、ですよ。ルシファー(・・・・・)

「ふぇ?」

「おやぁ? バレテタ?」


 ヒュドラの口から出た名前に、ミカエルは首を傾げた。

 すると、ポン、と1羽の漆黒の(カラス)がミカエルの肩に乗った。

 それを見たミカエルは、悲鳴を上げるよりも先に、ポーションごと烏を振り払った。


「い、いやぁああああああああ」

「おっと」


 身体を思い切り捻り、ポーションを投げ飛ばす。

 カラスを振り払うことはできたが、ミカエルは大事な薬も自身の身体がら離してしまった。

 天使の身体から移動した烏は宙を舞いながら光を伴い、人型へと姿を変えていく。

 途中、片手で瓶を受け止め、事なきを得ながら。


「大事な薬投げるなんて、ミカエルはそんなに俺に会いたかったのか?」


 黒い羽を広げ、悪魔は天使に歩み寄る。

 ポーションを指し出し、微笑んでみせる悪魔に、ミカエルは頭に血が上る。

 ポーションを奪い取り、微笑み返した天使は、悪魔に喧嘩を売り込む。


「どの面下げてー、ミィの前にいるのですかー? ミィはー、2度とミィの前に現れるなと言ったはずなのですよー。それにー、何肩に乗ってんだよクソゴミ虫低俗悪魔さんの分際でー」

「ハハハ、相変わらず熱烈なラブコールだなマイハニー?」

「ぶち殺すぞこのやろー」


 だが、ものともしない悪魔は、喧嘩を買うどころか大出血サービスまでして売り返す。

 段々物騒な口調になりながら、ミカエルは負けぬように言い返し続けた。

 間延びした話し方ではなく、どこか平坦な喋り方で。


「お二人とも、痴話喧嘩は後にしていただきたい」

「ポーションぶち割るのですよー? いいのですかー?」

「やはり、俺達お似合いかな?」

「ミィの前でー、永遠に口をひ」

「おや? 君の前以外だと喋ってもいいんだね? やはり君も俺のことを愛して」

「話はしっかり聞くべきなのですよー、ゴミ虫クソ野郎低俗最低最悪悪魔ー」

(貴女が言いますか)


 皮手袋をはめたままで、手を叩き綺麗な音を奏で、一触即発の天使悪魔の気を引く。

 ヒュドラはふざける様子もなく、淡々と客観的な2人の様子を指摘する。

 その言葉に、ミカエルは瓶を握る手に力を込めた。

 逆に、ルシファーは嬉しそうに笑って見せる。

 天使の肩に手を回そうと伸ばされた悪魔の手を、ミカエルは光速で弾く。

 仲の良さを見せつけるだけのように思えるやり取りに、ヒュドラは溜め息を吐いた。

 2人の仲の悪さは、当主陣のお墨付き。

 からかうようについて回るルシファーと、嫌悪し逃げるミカエル。

 なぜルシファーがミカエルに執拗に拘るのかは、誰も分からなかった。


「そうそう、俺の可愛い手下悪魔が1匹見当たらないんだ。ミィ知らない?」

「それならー、ポーションの材料に使ってやったのですよー。感謝してほしいのですよー。あとー、二度とミィと呼ぶな低俗悪魔ー」

「そっか……。それなら、代わりに君の天使の輪を貰っていくよ」

「何言ってやが、痛い痛い痛い痛い!!!!」


 さりげなく本題を切り出したルシファーに、ミカエルは勝ち誇ったように笑った。

 それを見たルシファーは、徐にミカエルの頭上に浮かぶ光輪を鷲掴みし、引っ張った。

 見えない何かで光輪とミカエルの頭は繋がっているようで、無理やり動かそうとするとミカエルが本気で痛がった。

 涙目で痛みを訴える天使を、ルシファーは面白そうに眺める。

 子どものやり取りを続ける2人に、ヒュドラは再度手を叩いて己へ視線を集める。

 その隙をついてミカエルは光輪からルシファーの手を剥がし、身なりを整えた。

 咳払いをし、取り繕うミカエルに、ヒュドラは再度願った。


「それでは、お願いしますよ」

「任せてほしいのですよ~」


 武具庫の扉を開けて中に入っていく2人を、ヒュドラは扉が閉まり切るまで見送る。

 2人の姿が消え、周囲に誰1人として存在していないことを確かめた後、老人は、壁に倒れ掛かった。

 息を荒げ、胸を上下させる。

 煙管を落としかけ、震える手で羅宇を押さえた。


「……煙草を」


 壁にもたれかかり、手を突きながらヒュドラは歩く。

 重い岩石を押し動かすように、ゆっくりと。

 その口元から、真っ赤な血液が一筋流れ落ちた。




ミカエルの一人称の「ミィ」は、ミカエル自身と英語の「me」をかけています。

遊び心、ですね。

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