悪魔的邂逅(下)
「勝負よ黒川咲!」
「……どういうことよ?」
いきなり悪魔であるという最大の秘密を明かされ、面食らってるところで綾に相応しいか勝負! と言われても、状況が全く理解出来ない。
「あんたがあのカフェで綾さんにキ、キキキスをしてもらったの、知ってるんだからねっ!」
顔を真っ赤にして姫乃が叫ぶ。
「ちょ、なんで知ってるのよこの悪魔!」
「あたしもそこに居たんだから! せっかくスタンプが貯まったから綾さんに"あーん"してもらおうってウキウキしてたのに、あんなの見せつけられてショックよ! 大ショックよーっ!!」
さてはこの娘、あの時悲鳴を上げた綾の女性ファンね。
そういうことか、やっと現状が理解出来た。
つまりこれはーー
「ふふん。あなた、嫉妬してるのね?」
「なっ……!? 嫉妬じゃないもんっ! 清楚な綾さんが、自分からあんな大胆な行動する訳ないじゃない! あんたが"魅了"を使ったのは分かってるのよ!?」
「何言ってんの、"魅了"は異性にしか効かないでしょ」
「とぼけないで! あんた今もフェロモンだだ漏れじゃない!」
「変な言い方しないでよ! 知らないわそんなの」
「まさか……あんた自分でも気づいてないわけ? それはちょっとヤバイわ、かなりヤバイわ」
キーキー喚いたと思ったら、今度は哀れむような目で見つめられる。何なんだこの失礼な少女は。
「あたし達は悪魔なのよ。この美しい容姿と魅惑のフェロモンで、男達を狂わせ、魅了して精を喰らう。それが自分のフェロモンをコントロール出来ないなんて、あんた……路上で知らない奴に襲われてもおかしくない状態じゃない」
姫乃の発言に背筋がゾワっと総毛立つ。いくら人間の精が生きる糧とは言え、好きでもなければまして知らない人間のなんて真っ平ごめんだ。
でも、私の母はフェロモンの制御方法なんて教えてはくれてなかった……一体なぜ?
「まあいいわ。現状、あんた男としたことないからそんなのほほんとしてたんでしょ? よかったじゃない、これまで襲われなくて」
「……そういうあなたは、したこと、あるの?」
「へ? えと、あ、あるわ……よ? もう、経験豊富? 百戦錬磨? だし!」
最初の方はぼそぼそとか細い声で喋るものだから聞き取れなかった。こんな娘でも私より進んでいるのか、近頃の悪魔の性の乱れ具合が恐ろしい。
「って、あたしのことはどうでもいいの! とりあえず、あんたから出てるそのいい匂い少し抑えなさいよ。気になってしょうがないわ」
「いい匂い……なの? 自分じゃ分からないし……」
姫乃が近寄ってくる。
「ヤバイわ、ずっと嗅いでると……なんていうか……クラクラしてきて……」
鼻の先がくっ付いてしまいそうな程近くまで寄ってくる。さすがに恥ずかしくて一歩後退するも、すぐに距離を詰められてしまう。
何だか様子がおかしい。頬が上気しているし、心なしか目が虚ろになっている気がする。
なんか嫌な予感……
「も、もっと嗅がせなさい……あんた、ホントに良い匂いだわ。綾さんに負けないくらい……」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 落ち着こう? 一旦離れて、深呼吸するの!」
「ダメ……欲しくなっちゃった……あんたが欲しいよ……」
「何よそれっ……悪魔が悪魔を誘惑してどうするのよっ……!」
もしかしてこれ、私の貞操の危機だったり……?
「大丈夫よ……優しくリードしてあげるわ。雲を数える間に終わらせてあげるから……」
「ちょ、気持ち悪いっ! 耳に生暖かい息がっ! しかもどさくさに紛れてどこ触ってるのよ! この変態悪魔っ!」
「大人しくしなさいよ、気持ちよくしてあげるからさ……」
「イヤッ……! 誰かっ……!」
怖い。スカートの中やセーラー服の中に手を突っ込んでまさぐってこようとするので、腕力で抵抗を試みる。しかし姫乃は本能のまま行動している故か、異常なほど力強く、押さえ込まれてしまいそうになる。
嫌……こんなことで純潔を失いたくない……!
私にはとても大切な、"あの子"がーーーー
…………"あの子"って、ダレ…………?
「何してるの!! 咲ちゃんから離れてっ!!」
「えっ……綾……?」
怒り心頭という表情の綾が駆け寄ってくる。力と気が抜けてその場にくずおれてしまった私を、優しく抱擁してくれた。どうしてここに綾が……?
「あ、ああ綾さんっ……!? こ、これは……違うの! あたしは……」
「隣のクラスの黒崎さん、でしたよね? 咲ちゃんに何しようとしてたんですか」
「そ、それは……その……」
「言えませんよね。だって、咲ちゃんにやろうとしてたこと、エッチなことですもんね」
「綾……いつから……?」
「途中からだよ。咲ちゃんの声が聞こえたから、何があったのかなって来たら、こんなことになってるなんて……間に合ってよかったよ」
「あ、綾さん……あたし……こんなつもりじゃ……っ!」
顔面蒼白の状態で、姫乃が弁解をしようとしている。
「……消えて」
綾は姫乃の方を一瞥し、吐き捨てるように冷たい声音で言った。
「あ、あたしは……綾さんのことが……」
「いいから消えてっ! 早くしないと……怒るよ?」
「う……うぅぅぅっ…………!」
姫乃は一筋の涙を零しながらその場から走り去っていった。
綾のおかげで、一線を越えずに済んだ。それはとてもありがたいことのはず、なんだけどーーーー
「咲ちゃんの魅力に気付いちゃう子、そのうち増えるだろうなとは思ってたけど……こんなに早く来るとはね〜」
「綾……?」
「これからは私が、咲ちゃんの手綱を握っておいてあげなきゃダメかな?」
そう言った綾の瞳からは、この世の一切の光が消え去っているように見えて。
そんな綾に、私はほんの少しの恐怖を覚えた。