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第5話 キックアス その3

 舞台は礼田市の端にある古臭い教会。演者は俺、司、そして〝悪の大総統〟である百白皇とその愉快な仲間たち。目的の達成まであと一歩というところで突然発生した煙幕に気を取られている間、俺の手によって半数近くの仲間を瞬く間に失った百白は、歯を食いしばって悔しがる。


 おおよそ、百白が頭の片隅ですら考えもしていなかったであろうシナリオが、一瞬のうちに進行した。ここまでうまくいくのなら、外連味もたまには悪くない。先ほどのそれは、現実主義に肩まで浸かった俺にすらそう思わせる一幕だった。


 未だ涙を流す司を背中で庇いながら、俺は真っ直ぐ百白を睨み付ける。百白は引きつった笑みを浮かべながら、倒れた仲間をそれぞれ見た。


「……音響に、ADに、カメラマンに、照明に……。これだけやられちゃ、今日は撮影にならない。やってくれたね、本郷クン」

「今はタマフクローだ。違うか、百白」と、俺は百白に歩み寄る。


「司を返して貰いに来た。ついでに、お前を殴りに来た。覚悟しろ」

「殴りに来たって……まさかキミ、ボクにこれでもかってくらいやられたばっかりってことをもう忘れたのかい?」

「ボケ老人じゃねえんだぞ。そんなすぐに忘れるかっての」

「よくもまあ、そんな減らず口を……。いいかい? ボクはヒーローだぞ。しかも、キミみたいな三流と違って、超一流の。そんな僕に対する敬意が足りないんじゃないか、君は」

「ヒーロー、ね……」


 瞬間、俺の脳裏に駆け巡ったのは司の言葉だった。なるほど確かに、コイツを見ているとヒーローなどという〝取るに足らない〟職業にも、大事なものが一本あるということがよくわかる。


「……百白、お前はヒーローなんかじゃない。でも、それは俺も同じだ。俺もヒーローじゃない」

「……キミ、今なんて?」


 百白は表情を怒りに歪め、俺を睨み付けてきた。俺はそれに構わず、さらに続けた。


「俺の〝友達〟がこう言ってた。信念を持たない者はヒーローじゃないって。俺は信念なんて持ってないから、同じようなヤツは見ればわかるんだ」


 百白が無言で指を鳴らす。すると、残っていた仲間が俺を取り囲んだ。「これ以上喋ればただじゃおかない」という、安っぽい警告だろう。鼻で笑った俺は、人垣の向こうから見下したような視線を向ける百白を人差し指で指した。


「最後に、もう一回だけ言うぞ、百白。お前は俺と同じだ。ヒーローなんかじゃない。ただのくだらねー男だ」

「……こういうの、頭にきたっていうんだ」


 百白は独り言のように呟いた。


「誰でもいい、あの三流に教育してやってよ」


 言うが早いか、俺を囲む男達が動き出す。マントの端を掴んでその場で一回転し、男達の動きを牽制した俺は、手近なヤツの顔面に思い切り頭突きを叩きこんだ。


 ゴッという鈍い音が響き、男が後方へと倒れていく。残った男達は一瞬怯んだものの、拳を握って俺に向かってきた。


 男達は俺を囲むが、その動きは全く連携がとれていないため恐れるに足りない。同士討ちを恐れ、他の誰かが構えると躊躇して一歩踏み出せないのである。これなら、1対1で相手をする方がまだ怖い。


 戸惑いと共に放たれる大振りな攻撃を躱し、隙を逃さず鼻先に拳を当てるを繰り返していると、〝作業〟とも呼ぶべきその行為には1分足らずでケリがついた。


「もう終わりか? それとも、だんご虫みたいにそこら辺をひっくり返せばまだ出てくるのか?」


 俺は、唯一残った百白にそう言った。百白は元より男達に期待していなかったのか、その手には先ほどまでは無かった例のアタッシュケースが握られている。自分で決着をつけるつもりのようだ。


「ずいぶんと調子に乗ってるね、三流クン。まだ真打が目の前にいるっていうのに」

「いいからさっさと〝変身〟でもしたらどうだ? そうでもしなくちゃ、お前、何も出来ないんだろ?」


 怒りに肩を震わせる百白は大きく舌を打つ。戦力的には不利だが、心理的にはこちらが優勢だ。


「後悔させてあげる。正義の味方気取りで現れたことも、ボクに歯向かったことも」


 百白が「変身」と呟くと共に装甲が展開する。ファン連中にはおおよそ見せられないだろう仏頂面を覆い隠すように百白の身体に纏わりついた白銀の光は、ヤツの行動に似つかわしくないほど眩い光を放っている。


「何回見ても派手な格好だな。恥ずかしくないのか、それ」

「キミの名前に比べれば100倍マシだねっ!」


 吠えた百白は直線的に疾走する。100mの世界記録を悠々と塗り替えそうなスタートだったが、所詮持っているのは速度だけだ。愚直な攻撃を避けるのは訳ない。


 身体を半身に捻り百白の一撃を避けた俺は、カウンターの要領で胸に肘を入れる。しかしやはりと言うべきか、百白は俺の攻撃が効いた様子を微塵も見せない。


「やるね、ちょっと効いたよ」

「……嘘つけ」

「本当さ。――だから、今度はこっちの番だ」


 言いながら、百白は大振りの攻撃を幾度と繰り出す。力と速度のみのそれはまさに自然災害と呼ぶべき暴力で、全て捌き切ることは叶わず、数発モロに食らってしまった。腕を、脚を、腹を、頬を、抉るような痛みが次々と襲い、鉄の味が口中に溢れた。


 癇癪のような乱打を終えた百白は、肩で息をしながら満足そうな笑い声を漏らす。


「どうだい三流クン。痛かったろう? まあ、ギブアップしたところで許しはしないけどね」


 答える代わりに、俺は精一杯の力を振り絞って百白の顔面を数度殴りつけた。普通の人間相手なら「やり過ぎ」と言われそうなそれも、その装甲の前では無意味だった。


「わからない人だなあ。何度やっても無駄なんだよ」

「……100回ダメでも、101回目は成功するかもしれないだろ?」

「じゃあ、気の済むまでやってみなよ」


「お言葉に甘えて」と返しながらも、俺は一旦距離を取り司の元まで戻る。


「司、泣き止んだか? それとも、まだボロボロ泣いてんのか?」

「なっ?! デリカシーが無さすぎるぞ、貴様!」


 どうやら、もう大丈夫そうだ。「悪いな」と返した俺は、改めて司の隣に並んだ。


 百白をどうにかする前に、まずはこっちの問題からだ。俺は司と――この偏屈強情生意気女と話をつけるために、ここまでやって来たんだから。百白はあくまでその〝ついで〟なんだ。


「司、お前、この前言ったよな? 『貴様は信念を持ってるのか』って」

「……言った。そして貴様は、持ってないと答えた」

「そう、信念なんて持ってないんだ、俺。毎日毎日、お決まりのようにサイテーな名前だなんて言われて、世間からはフリーター扱いされて、教え子からはヒモ扱いされて、ハロウィンでもないのにコスプレ紛いの格好で街を歩いて……周りからは散々好き勝手言われてんのに、誰かのためにありたいという崇高な心なんて、そんなアホみたいに重いボランティア精神、抱えて歩けるかってんだ」

「き、貴様! こんな時くらい、嘘でもいいから少しはだな――」

「でもな、やっぱり本物なんだ。わかるか司? 誰かを助けるその瞬間の心は、間違いなく本物なんだ。助けなくちゃって身体が動くことは、助けてやりたいって願いは、間違いなく本物なんだ。そこに損得勘定も計算もねえ」


 考えもせずに溢れ出てきたのだから、それはきっと俺の本心だったんだろう。こんなにクサイ言葉が自分の口から出てきたなんて、自分でもにわかに信じられないが。


「だから……悪いな、司。俺はヒーローじゃない。でも、俺はお前を助ける。嫌かもしれないけど、ちょっと我慢してろ」


 俺の言葉を司がどう受け止めるのかはわからないが、後はもうどうにでもなれだ。俺は俺の考えを好き放題にぶちまけたのだから、それがどんな結果を生んでも構わない。


「そうか」と、司は呟いた。そして深く、深く頷くと、もう一度「そうか」と、清々しい笑顔で呟いた。


「……負けだよ、翔太朗。私の負けだ」

「なんだよそれ。負けって、俺達何か勝負でもしてたか?」

「そういうわけでもない。だが、貴様の勝ちだ、翔太朗。偽りの信念など、持っていても意味が無いのだと、私はようやく気が付いた」


 その言葉の真意はわからなかったが、どうあれ司は俺の言葉に納得したらしい。いまいち意味がわからないながらも、俺は「勝ったならいいか」と返す。


「とにかく、話はこれで終わりだ。司、俺は今からアイツをぶっ飛ばすから、ちょっとここで待っててくれ」

「あの装甲相手に素手で太刀打ちするつもりか?そんなことをするのは、よほどの間抜けだぞ」

「……お前が言うか、それ」


 俺は懐から、いつぞや司から受け取った赤い球を取り出す。先の突入の際にも使用した、煙幕を噴出するタイプのものである。


「ま、心配すんな。策はある」


 俺は一歩踏み出し、待ちくたびれたという様子で貧乏ゆすりをしていた百白と対峙する。


「待たせたな。お望み通り気の済むまでやってやるよ」

「101回でも1001回でも、遠慮なくどうぞ」


「言ったな」と、俺は赤い球を百白の足元に投げる。瞬く間に広がった煙が、教会内の視界一切を遮断する。


 蒼く光る百白の目を目印にして真っ直ぐに走り、勢いのまま煙を切って拳を走らせる。しかし俺の拳は左頬に当たる直前に、百白の手に止められた。


 ――〝予想通り〟だ。


 今日の夕方、強盗達を相手にした時もコイツは、暗闇をものともせずに動いて見せた。煙幕の中でも俺の動きを正確に捉えたことを考えれば、あのマスクにはきっと熱感知機能でも付いているのだろう。


「残念だったね。今度は当たりもしなかった。1001回どころか、10回すら遠いみたいだ」


 余裕ぶった百白はそう言って、俺の身体を力任せに放り投げた。背中から滑る身体は撮影機材の幾つかを倒しながら進み、祭壇の前でようやく止まった。摩擦熱のせいで、クリーニングではどうしようもないほどマントがボロボロになった。


「翔太朗っ!」


 悲鳴に近い声を上げた司は俺の元へ駆け寄る。全身の痛みに耐えながら立ち上がった俺は、「大丈夫だ」と司を制した。


「それよりも、司。頼みがある」

「骨を拾えというのは、御免だからな」

「んなこと言うかよ」と俺は司の耳元に口を寄せる。


「俺がアイツに向かって走り出したら、ここの電気を消してくれ。全部だ」

「……悪いが翔太朗、それは却下だ。私の見立てでは、あのマスクには何か熱感知機能かそれに準ずる機能が搭載されているはずだ。いくら闇を作りだしても、返り討ちに遭うだけだぞ」

「知ってるっての。だから、俺を信じろ」


 司は「うむ」と唸ると、俺の肩に拳をぶつけた。本気に近い正拳突きだったが、不器用な司なりに激励のつもりなのだろうと解釈した俺は、あえて何も言わなかった。


「……信じたぞ。だから、私を失望させてくれるなよ」


「任せろ」と、俺は百白へと歩み寄る。歩いた振動ですら全身ズキズキと痛むが、平気だ、まだ動く。

動くなら――大丈夫。


「使い古したぞうきんみたいにボロボロじゃないか。止まれば? 後は楽にしてあげるからさ」

「そうしたいとこなんだけどな。止まれそうにもないんだ。お前をぶん殴るまでは」

「……無駄なことが好きだね」


 歩幅を一気に広くした俺は、再び百白に突進する。身体のあちこちから悲鳴が上がり、全力で動かす手足が千切れそうになる。


 激突の直前、教会の照明が一斉に消える。でも、狙いは変えなくていい、正面でいい。拳を突き出せば、きっと――。



「だから言ったじゃないか。全部、無駄だって」



 喉笛に百白の手が掛かり、俺の動きは止められる。そのまま脚が宙に浮き、息をすることすら難しくなる。


「殺すわけにもいかないけど……骨の1本や2本なら、〝事故〟だよね?」


「かもな」と答えた俺は、懐に忍ばせていた、司から受け取ったもう別種類の球――閃光を発する黄色の球と、爆発する白い球を左手で握りしめ、渾身の力で百白のマスクに叩きつけた。


 その瞬間、爆音と共に雷のような閃光が教会を包む。百白の装甲に乱反射した光は白銀に染まり、一層強くなった輝きは顔を背けていた俺でさえも僅かに視界が眩むほどだった。


「――――――っ!」


 強烈な光を零距離で受けて反射的に俺の身体を突き飛ばした百白は、喉から絞り出したようなうめき声をあげながら手のひらでマスクを覆ってもがき始める。


「大丈夫か、百白。苦しそうだな」

「き、キミ……一体…………一体何を?!」

「奥の手だよ。何も見えないだろ?」


 俺のマスクは目元に切れ目が入っているだけだから、視界を確保するのはあくまで肉眼だ。しかし、あいにくと百白のそれは違う。熱感知なんて機能があるのなら、レンズで覗いた映像を視界として捉えているはずだ。


 至近距離から強烈な光と熱を受けた熱感知レンズはどうなるか? 答えは簡単、焼き付きが起きて使い物にならなくなる。百白の視界は今きっと何も見えない状態のはずだ。代償としてこっちの左手は火傷で使い物にならないが、視界を奪えるのなら安い買い物だ。


 何度も「この!」と喚く百白は、闇雲に両腕を振り回す。当然、そんな攻撃が掠るわけもない。


「そんな腕振って、バカみたいだな。まるでおもちゃ買って貰えなくてだだこねる子どもだ」

「……この程度で、勝った気にならないことだね」


 あっさり俺の挑発に乗った百白は、マスクを脱ぎ捨て足元に叩きつける。


「これで何ともない。……これで、思う存分キミを痛めつけられる!」

「勿体ないな。その殻に閉じこもってれば、少なくとも痛い目に遭わずに済んだのによ」

「黙りなよ。その口、二度と開けないようにしてあげるからさぁ!」


 百白は手近にあった撮影用照明のスイッチを入れ、それを俺に向ける。白い光が俺と百白の間の最短距離を結んだ。


「……三流クン、これでお終いにしようじゃないか。キミの顔を見るのも、そろそろ飽きた」


「俺もだ」と答えるより先に、百白は光の道を真っ直ぐ駆けてきた。白い装甲に金の髪が映えるその姿はまさしくヒーローで、人気ナンバーワンというのも頷ける。


 ……ごめんな来華。俺、今からコイツをボコボコにするから。


 伸びてきた右拳、それに合わせてクロスカウンター。鼻血を吹き出し怯んだ百白との距離を詰めた俺は、顎先を狙ってアッパーを撃つ。2、3歩後退する百白だったが、執念があるのか、倒れるまであと一歩というところで踏み止まっている。


「ボクが……ボクが……負ける、わけ……!」


「――なあ、百白。……三流に負けたヤツは、何て呼べばいいんだ?」


 拳を高く振りかぶり、一切の迷いなく全力で振り下ろす。百白の額を捉えた拳骨は、勢いそのまま後頭部を床に叩きつけた。


 名前なんてもの付けてない、酷く無骨なパンチ。怪人を倒すのには必殺技が――それもキックが好ましいのだろうが、ただの小悪党相手にはこれで十分だ。


 司がスイッチを入れたのか、やがて教会に光が戻った。俺は大きく息を吐く。もう相手にしたくないな、こういう漫画チックなヤツは。


「……終わったか」と、よろよろ歩いてきた司は百白を見下ろした。そのまま踏みつけでもするのかと思ったが、「ふん」と鼻を鳴らすのみに終わった。少しは大人になったらしい。


「一件落着ってヤツだ。これでお前も、明日から学校行けるな」

「いや、まだだ。この手の手合いの男は、ここでもう二度と動けないようにしておかねばどうしようもなかろう」


 早くも過激派に逆戻りだ。「まあ、待てって」と俺は、その場で飛んでウォームアップを始めた司の肩を掴む。


「大丈夫だ。これで全部スッキリ解決するから」

「本当だろうな。後悔先に立たずという言葉もあるのだぞ」


 疑い深げな表情をする司に、俺は「見とけって」と勝利のⅤサインを作ってみせた。


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