第5話 キックアス その2
目を覚ますと、開けた視界にはゴシックな造りのアーチ型天井が映った。気絶している間にどこぞの教会に連れてこられ、仰向けに寝かされているようだ。絶えず聞こえる忙しそうな足音が、少なく見積もってこの空間には10人の敵がいるだろうことを教えてくれる。私は周りに気付かれぬよう、そろりと立ち上がろうとしたが、両手足を布のようなもので縛られており身動きが取れなかった。
――なんだ、完全に詰んでるじゃないか。
己の置かれた現状に思わずこみ上げた乾いた笑いが、口元から小さくこぼれる。するとそれに気づいたひとりが、「起きましたよ」と誰かを呼んだ。
足音が近づいてくる。満面の笑みで私を見下ろしたのは、百白とかいう気障男だった。
「ようやくお目覚めみたいだね。ずいぶんとお寝坊さんだ」
「……翔太朗はどうした?」
始めに出てきた言葉がそれとは、自分でも少し驚いた。知らないうちに私は、ずいぶんとあの男に肩入れしていたようだ。
「とりあえずは無事だ……って言えば満足かな? 彼はこの撮影には不適当な人材だから、連れてこなかったんだ」
言いながら私を抱き起こした百白は、4本脚の椅子に座らせた。
「何をする気だ? 尋問か?」
「違うよ。撮影の前に少し準備を、と思ってね」
そう言って百白は短めに2回手を叩く。それを合図にしてやってきた男は、腰に巻いたポーチから四方系で小さめのスポンジを取り出し、それで私の頬を軽く叩き始めた。意味が解らないその行動が何となく怖くなった私は、「止めろ」と凄みを効かせた声を作って言った。
しかし、男はその手を止めない。私はファントムハートという偶像を護るため、声を荒げて立ち上がった。
「私に手を触れるなっ!」
私の声に気圧されたのか、男は尻餅をついてその場に倒れる。私はといえば、手足を縛られたまま勢いよく立ち上がったせいでそのまま後方につんのめる。あと一歩で倒れるというところで、私の身体を百白が支えた。
「ダメだよ脅かしちゃ。せっかくメイクをしてあげてるんだからさ」
「メイクだと?」
「そうさ。言っただろう、撮影に来たって。ノーメイクの子と共演するっていうのは、ボクのイメージ的にちょっとね」
百白は再び私の身体を椅子に座らせ、手近な男を呼んで肩を押さえさせた。身もだえすることすらままならない状態のまま、私は唇に紅を塗られ、髪にアイロンを当てられた。やがて簡単な化粧が終わった辺りで、嬉しそうに百白は言った。
「中々いいね。素材がいいんだ、きっと」
「黙れ」
「そう噛みつかないでよ。キミがボクの言うことを全部聞けば、大して痛い目には遭わずに済む。それどころか、一躍有名人になれるかもよ?」
「……貴様、一体私に何をさせる気だ」
「そんなに難しいことじゃないよ。慣れないカメラの前だからって、そう緊張しないで」
そう言って私の視界から消えた百白は、2分ともせずその手にぺらぺらの紙束を持って戻ってきた。表紙には、『リアルヒーロー』と書かれている。
「おおまかなシナリオはこうだ。キミは哀れな女の子。正義を貫くという思いだけが先行して、周りが一切見えていない自称ヒーローだ。そんな解き放たれた獣のようなキミを、このボクが――アージェンナイトが救う。もちろん戦闘シーンもある。キミのアクションにも期待しているよ」
百白の語り口は徐々に熱がこもったものになる。
「拳を交えたことで真の正義を知り、ボクの偉大さに心を突き動かされたキミは心を入れ替え、そして本当のヒーローとなる。クライマックスシーンでは、キミに涙のひとつでも流して貰わないとね。馬鹿な視聴者は女の子の涙が大好きだから。キミみたいな気の強そうな子が涙を流せば、聴率は20……30……いや、40%越え間違いなし!」
天高く拳を突き上げる百白。馬鹿が。お互い生身なら、こんな男ものの数でもないのに。
興奮冷めやらぬといった様子で、小刻みに震える百白は、白い歯を見せつけるように笑った。
「……さて、どうだいこのボクのシナリオは。キミの噂を耳にしてから、ずっと考えていたんだ。最高だと思わない?」
「黙れ。これ以上その声を聞いていると反吐が出そうだ」
「キミはまだ自分の置かれた立場をよくわかっていないみたいだね。ボクに協力するしかないんだ。それがどうしてわからないのかな?」
「貴様のようなヒーローを名乗る事すらおこがましい低俗な存在に、協力する義理は無い」
「……強情だね、本当に」
そう呟いたその瞬間、百白の雰囲気が変化した。爬虫類めいたその空気の質感は、私の背中に冷たいものを走らせた。
「よしわかった。なら、仮にボクが本当のヒーローじゃないとしよう。だとすればキミが本当のヒーローってことなのかい?」
「その通りだ」
私はあくまで気丈に答えることに徹する。
「私には、貴様が持たない〝信念〟が在る。誰かのために在りたいという、強い信念が」
「わあ凄い。流石だよ」
ほくそ笑む百白はいい加減に手を叩いた。
「流石、〝あの〟アイアンハートの娘だ」
「な――」
何故、そんなことまで。この男、ただの馬鹿ではなかったのか。揺らいだ心は隠しきれず、そのまま表情として現れる。慌てて取り繕おうとしても、どう意識したって歪んだ口元は戻らない。
「その顔、初めて見せる表情だね。驚いたって顔してる」
「……貴様、何故それを」
「ほら、家庭事情ってこの手の番組では必須だからさ。調べさせてもらったんだ。お母さんとは死に別れ、お父さんは行方不明。ずいぶん歪んだ環境で育ったんだね。それで思ったんだけどさ。キミが口にするその信念っていうのは、本当にキミ自身のものなのかな? キミにとって憧れの存在である〝大好きなお父さん〟を真似ただけの、空っぽの信念なんじゃないかな?」
飄々とした語り口から紡がれた台詞は、怖いくらいに的を突いていた。ただでさえ揺らいでいた心の水面に、岩が放り込まれたような気分だった。動揺は焦りとなり、焦りは呼吸の乱れを生み、顔つきは自然と険しくなる。
「どうやら図星らしいね。キミみたいなわかりやすい子、嫌いじゃないよ」
「貴様の妄言に付き合っている暇など――」
「もう少し付き合ってよ。撮影が始まるまで、まだ少しかかるみたいなんだ」
楽しげにそう言う百白は、悪魔的に口元を吊り上げた。こちらの全てを見透かしているようなその顔を直視できなくなった私は、逃げるように顔を伏せる。
「いなくなったお父さんの背中に少しでも追いつこうとしてる、とか」
「……黙れ」
「いや、もしかしたらもっと子どもじみた……うん、そうだ」
「……黙れと、そう言っているのが聞こえないか?」
「ただ〝だだをこねてる〟だけなんだ、キミは。届かない目標に、達成できない志に、背伸びして手を伸ばして、『届かない』ってかんしゃくを起こしてるだけなんだよ」
「……黙れ! 黙れ黙れッ! 私に……私に――」
私にその現実を突きつけるな。自分自身、わかっているのに。借り物の理想をかざし、追いつかない背中を睨んで拗ねているだけのことなんて、痛いくらいにわかっているのに。
弱い自分を見破られたことが、ただただ悔しかった。瞳からは自然と熱いものがこぼれた。
「ああっ! ホラホラ! 涙だよ涙! 早くカメラ回して! この絵、絶対後で使えるから!」
百白が嬉しそうに手を叩くと、大きなテレビカメラを構える男達がやってきて、様々なアングルで私を撮り始めた。
「地獄に堕ちろ」と私は絶え絶えに呟き、精いっぱいの強がりで百白を睨み付ける。
「拝んでみたいものだね、その地獄とやらを」
やがて私を囲んでいたカメラが離れてゆき、誰かが「リハ入ります」などと声を張り上げた。
「そろそろらしいね。じゃ、かるーくアクションシーンからやってみる? それとも、クライマックスからかな?」
ああ、ファントムハートもここで終わりか。ああ、私の掲げていたハリボテの正義も、ここで終わりか。私という存在は、今日ここで壊れる。今日、ここで終わる。
諦めて天井を仰ぐと、教会内を濃い煙幕が覆い始めていることに気付いた。
「誰だい、勝手に煙を焚いているのは?」
百白は苛立ったような声を上げる。どうやら、これは奴らにとっても予定外の出来事らしい。見てみれば、その場に居る誰もが困ったように顔を見合わせ、首を横に振っている。
やがて煙幕は教会全体に広がった。10cm先もロクに見えず、焦りとざわつきがその場を支配する。そんな状況の中、ふいに聞こえてきたのはドサリと何か重い物が倒れる音だった。
その音を皮切りに、ひとつ、またひとつと何かが――いや、人が倒れる音が聞こえる。目を凝らせば、煙の中を黒い影が動いている。
「な、なんだこれ!こんな演出、僕は聞いてないぞ!」
「――当たり前だろ。お前の演出なんかに構ってられるかよ」
なんだかずいぶんと懐かしい気がする声がした。そう思うのは、この声の主を待ちわびていたからだろうか。
誰かが窓を開けたのか、徐々に視界が開けていく。薄まった煙幕の中から私の前に現れた背中は、父のそれと比べれば少し小さかったが、遠い日の憧れに近い雰囲気を漂わせていた。
ああまったく。ああ、まったく。貴様という奴は――。
「……翔太朗っ……!」
「元気してたか、司。助けに来たぞ」
翔太朗は私の手足を縛っていた布を丁寧に解いた。謝りたいのに、礼を言いたいのに……私はあろうことか、翔太朗に詰め寄った。
「……何故来た! 放って……放っておけばよかったろうに!」
「誰かが困ってるってわかってて、それを放っておけるわけねえだろ。俺の仕事はそういう仕事だ」
生意気な強がりを放った私に、翔太朗は背を向けながらそう答えた。
ファントムハートの仮面を脱ぎ捨て、そして一文字司としての仮面すら脱ぎ捨てた〝本当の私〟は、翔太朗に聞こえないよう「ありがとう」と呟いた。




