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第5話 キックアス その1

 後頭部に当たる冷たい感触で目を覚ますと、俺は仰向けの状態で遠い雲を仰いでいた。もうすっかり暗くなった空には細かい星がちらついている。倒れる前後の記憶が曖昧で、何故このような状態になっているのかわからない。ただ、顎に鈍い痛みがあるのだけはわかる。


 立ち上がろうと脚に力を込めるが、上手いこと身体が動かない。仕方がないので、まずは状況の整理が先かと、自分の身に起きたことぼんやり思い出そうとしたその矢先、ヴーンという空気を揺らす音が断続的に聞こえてきた。ズボンのポケットに入れておいた携帯からである。俺は仰向けの体勢のままポケットから携帯を取り出し、それを耳に当てて電話に出た。


「もしもし」

『ああよかった! 無事だったんだね! 何度かけても電話に出ないから心配したよ!』


 その声は八兵衛のものだった。しかし、いつもと様子が違う。何やらずいぶんと焦っているようだ。


「……なんだよ、心配って。何かあったのか?」

『いや実はつい3時間ほど前、マスクドライドに覆面姿の男達が押し入ってね。窓ガラスは割るわ、机はひっくり返すわでもうメチャクチャ。これはきっと、もう関わるなって警告なのかもね』


「警、告」と確かめるように呟いた瞬間、倒れる直前からの光景が逆回しで脳内を駆け廻っていく。俺が倒れていた理由も、ここで何をしていたのかも、全て。


『でも、もういいんだ。君らが無事なら――』

「……無事じゃない!」


 叫んだ勢いそのままに、俺は動かない身体にムチを入れるため石畳を殴った。拳の痛みが身体を覚醒させていく。


『ぶ、無事じゃないって……何かあったのかい?!』

「司が攫われた。俺の目の前でだ」

『攫われたって……まさか、アージェンナイトに?』

「てことは、八兵衛にはわかってたのか」


『うん』と、八兵衛は声を震わせる。


『彼が売れない後輩ヒーローたちを使って、怪しげな番組を極秘裏に撮影してるって情報を掴んでね。まさかと思ったけど……』

「そのまさかだ。……司は、世間を騒がす〝幽霊〟だったってわけだ」


 言いながら何とか立ち上がった俺は、まるで自分のものじゃないようにふらつく身体を操縦し、ゆっくりと前進する。アドレナリンのせいか、一歩進むごとに乖離していた精神と身体が正しく結びついていき、石畳を渡りきるころにはほとんど正常の状態に戻っていた。となれば、やることはひとつだ。


 司を助けに行く。ついでに、あの白いバカ野郎を気のすむまでぶん殴ってやる。


「八兵衛、迷惑かけて悪かった。俺はこれから百白を探しに行く」

『ま、待ちなよ! そうは言ってもさ、アージェンナイトの行き先に見当なんてあるのかい?!』

「当てはないけど、どうにかするしかないだろ。勘でなんとかする」

『か、勘って……無茶だよタマフクロー!』

「仕方ないだろ。この間にも、司がどんな目に遭ってるかわからない――」

『〝翔太朗〟!』


 珍しく八兵衛が声を荒げたので、俺はぐっと言葉を呑みこんでしまった。


『君の気持ちはわかる。でも、落ち着いて。クールになるんだ。何でもかんでも勘でどうこう出来たら苦労しないよ』


 いつもとは違う、落ち着き払った八兵衛の声は俺の頭を冷静にしてくれた。しかし、冷えたところでどうにもならない。何も抵抗出来ないまま司を攫われたという事実は何をしても覆らないのだから、怒りの炎はすぐにでも再燃する。


「なら……司を助けてやるには、どうすりゃいいんだよ、俺は」

『今の君に何より必要なのは情報だ。違うかい?』


 八兵衛は諭すように言った。


『僕だって、やられたらやり返す主義だからね。タマフクロー、マスクドライドに戻って来るんだ。わかったね?』



――――――


 いつからだったろうか、父の大きなあの背中に憧れたのは。そんなに大事なことを覚えていないのだから、それはきっと物心がつく前の話なのだろう。


 そうだ。私が抱いた最初の感情――それは憧れだった。


 父の雄姿に、父の勇気に、父の夢に、全てに憧れた。いつか私もあの姿になるのだと、漠然とそう思っていた。その憧憬は年々増していき、それは父が居なくなった後も変わらなかった。いやむしろ、あの日以来その心は強くなったかもしれない。私が父の跡を継いでやるのだと、本当のヒーローの存在を認めさせてやるのだと、躍起になったかもしれない。


 私にとっては、それだけだった。……そうだ。私に高潔な正義感は無い。全てを護ろうとする志は無い。絶対の信念は無い。

――私には、鋼の信念(アイアンハート)などない。私はただ憧れただけ、認めて欲しかっただけ。父を追放した世間に、どこにいるかもわからない父に、本当のヒーローとして活躍する私の姿を見せたかっただけ。


 ゆえに私は虚勢を張り、自ら進んで張子の虎となる。粗暴な態度で他者を寄せ付けず、身体を鍛え見せかけの強さを手に入れ、髑髏めいた衣装で恐怖を煽る。


 そして私は(ファントム)を名乗る。心は無く、姿だけを真似た存在であることを理解しながら、それでもなおあの眩い背中に追いつくために。


―――――



 喫茶店まで戻ってきた俺を出迎えたのは、いつものように閑古鳥の鳴き叫ぶ呑気な店構えではなかった。全ての窓は内側から割られており、道路にガラスが散乱している。ひとつの電灯も点いていない店内に入れば、目につくのは、叩き割られたテーブル、脚を折られた椅子、投げ捨てられたコーヒーメーカー。まるでここにだけ、超局地的な嵐でも発生したかのような有様だ。


 目の前の光景に言葉を失っていると、キッチンの奥からほうきを手にした咥え煙草の愛宕がひょっこり顔を出した。


「誰かと思ったら、翔太朗じゃない。よく帰ってきたわね、大丈夫?」

「俺のことはいい。それより、お前は大丈夫なのか?」

「直接手は出さない、〝紳士的〟な連中だったから平気よ。……でも、コレはね」


 愛宕は荒れきった店内をぐるりと見回し、少し悲しげに微笑む。


「しばらくは臨時休業ね。それとも廃墟喫茶としてリニューアルしましょうか」

「……悪かった。俺のせいだ」


 罪悪感を覚えた俺が頭を下げると、愛宕は「そうは思わないけど」と息を吐く。


「でも、あんたがそう思ってるなら、今度、掃除手伝いなさいよね」

「任せろ。……壊される前よりも綺麗にする、必ずだ」

「楽しみにしてるわ。それよりも、今はやることがあるんでしょ?」


 そう言って愛宕は窓際のテーブル席に座る八兵衛を指した。何やらパソコンを真剣に眺め、キーボードをカタカタと打っている最中である。俺は愛宕にもう一度頭を下げ、八兵衛の元へと歩み寄った。


「調子はどうだ、八兵衛」

「悪くは無いね」と八兵衛はパソコンから目を離さずに答える。


「見てよ、ホラ」


 言われるままパソコンに目をやると、関東一帯の周辺地図が画面上に開かれており、赤く光る点が東京上で明滅していた。


「なんだよ、コレ」

「大手SNS、口コミサイト、さらには匿名掲示板。ネット上に転がるありとあらゆる情報の中から、アージェンナイトに関する目撃情報を集め、現在彼がいる場所を予測した。今のネット社会じゃ、人気者の個人情報なんて皆無さ。どこに行っても人に見られてる」

「24時間体制の監視も要らないってわけか……。ところで、わかるのは都道府県だけか?」

「それだけだったら、こんなことやってないよ」


 八兵衛はキーボードを高速でタッチする。やがて、地図が自動的に東京へとズームされ、ピンの形をしたアイコンが東京中の至る所を差した。


「古い目撃情報は黒のピンで、新しければ新しいほどピンの色は白に近づいていく」


 八兵衛は、眩く光る白のピンにカーソルを合わせる。すると、位置や目撃時間などの詳細情報が別のタブで開かれた。


 これによれば、百白が最後に見かけられたのは、東京のはずれにある(らい)()という市のコンビニ。白のワゴン車の後部座席から出てきたところを目撃されたらしい。時間は、今からおよそ30分前。となれば、そう遠くには行ってないはずだ。


「礼田、か……」


 八兵衛は開いたままのパソコンを持って立ち上がる。


「急ごう、タマフクロー」

「急ごうって……お前も行く気か?」

「もちろんさ。礼田市の辺りまで行くなら、車の方が早い」

「お前、車持ってないだろ。免許も」

「両方とも愛宕が持ってる」と胸を張った八兵衛は、勝手に巻き込んだ愛宕の了解も取らずにとっとと外へ出て行った。


「……あたしも行くんだ」


 愛宕はぽつりと呟き、半笑いで天井を仰ぐ。


「相変わらず身勝手な店長サマなんだから」

「八兵衛の言うことなんて無視すりゃいい。適当にタクシーでも拾うから、お前はここで待ってろ」


「気にしなくてもいいわよ、別に」と愛宕はポケットから車のキーを取り出し、人差し指でくるくる回して弄んだ。


「こういう、バカバカしくって急な展開が嫌いじゃないから、ここで働いてるの」

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