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第二皇子従者ミュレット・シャッテンは、ウロストセリア帝国第二皇子リヒト・ウロスタリアに命を助けられた。
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アルセア・帝国戦争が起こってからというもの、ウロストセリアではアルセアに対する不信感と恨みの念が多くみられた。その為、国境ではウロストセリア帝国兵が厳しく警備をしていた。
しかし、極稀に、迷い込んでしまうアルセア人もいるのだ。
国境を定める、セリア川沿いを歩いていた老人は、川岸に倒れる2人の幼い子供を見つける。1人は少年で、腕の中に小さな女の子を抱きしめていた。髪の毛の色はセピアで、ウロストセリアの人間ではない事が明らかであった。しかし、ボロボロの衣服に、傷だらけの四肢を見て、老人は兵士たちの目を気にしながらも2人を自分の家へ運んだのであった。
ウロストセリアとアルセアの国境は緑が少なく、ごつごつとした岩や、土、砂が多い。それは、雨が少ないという、気候がもたらすものであった。アルセアのパワグスタの町に行けばそれほどではなくなるが、その周辺は厳しい環境であった。
それにより、パワグスタを国境の町以外に強者の町と呼ぶ事もある。
「……あれ」
少年に意識が戻る。意識を取り戻した少年は、柔らかい感触が身体を覆っている事に驚く。身体を起こしてみようとするが、力が入らない。何とか動かせる首を回すと、横には穏やかに眠る幼い女の子の姿があった。
「メイ……メイ?」
同じセピア色の髪の毛を持つ、その子供は眠ったままだった。少年は返事をしない事に焦ったが、よく見ると胸が上下に動き、さらに寝息も聞こえてきていた。それにホッとすると、首を天井に向ける。見た事の無い天井に戸惑いが隠せない。
「声がすると思ったら、大丈夫かな?」
「……あ」
少年が声のする方に目を向けると、心配そうに枕元に座る老人の姿があった。真っ白な髪の毛と口元を覆う髭。
「ここはウロストセリアじゃ。お前たち、アルセアの者であろう?」
「ウロスト、セリア……!?」
ウロストセリア、その言葉を聞いて少年は身体を動かそうとする。老人はそれを優しく止めた。
「大丈夫、大丈夫。私は何もしない。私は傷ついた子供を帝国兵に突き出すほど非情ではない。安心しなさい」
老人の瞳が優しそうに細められ、少年はようやく落ち着くと、また元の通り布団に仰向けになった。
「しばらく、休みなさい」
老人がそう言うと、まるで、魔法でもかけられたかのように、少年の瞼は閉じられた。
それから、少年とメイ、と呼ばれた幼い子供は眠り続けた。少年が目を覚ます頃には、隣の布団から話し声が聞こえた。
「そうか、メイちゃんか」
目を覚ますと、メイはスープを飲みながらこくりと頷いていた。それを見ていた老人が、少年に気が付き優しく笑う。
「起き上がれるかな? 温かいスープを飲みなさい」
老人に優しく抱き起され、手の中に埋まったスープのお椀が、温かくて、少年は涙があふれた。メイは隣で、その様子を不思議そうに見ていたのだった。
「名前は?」
「ミュレット、ミュレット・トクマード」
スープが空になる頃、ミュレットはここまでの経緯を老人に話した。
ミュレットとメイは兄妹であり、8歳と2歳である。両親はつい先日亡くなってしまったと、ミュレットは言う。2人はパワグスタにある親戚の家に行く事になったのだが、その道中、乗っていた馬車が盗賊に襲われてしまう。厳しい環境に放り出された幼い子供は、水を求め、川に辿り着いた。そこで、疲れから足を滑らせ、川の中へ落ちてしまった。
そうして、今に至る。
「そうか」
黙ってミュレットの話を聞いていた老人はそれだけ言って、自分が飲んでいたスープの残りを2人に等しく分け与えた。
それから、老人と2人はウロストセリアのアルセア近くの田舎で暮らし始めたのだった。もちろん、周りの目があるため、2人は外に出る事があまりできなかった。外に出る時は必ず何かを被っていかなければいけない。アルセア人であるミュレットとメイはどうなるか分からない。それだけでなく、老人はウロストセリアの兵に捕まってしまう恐れがあるからだ。
貧しい暮らしではあったが、何とか3人、生きて行く事が出来た。何より、ミュレットとメイは親のように世話してくれる老人の存在がありがたかった。
そんな生活は2年で終わってしまうのだが。
やはり、老いには敵うはずがなく、老人は寿命で亡くなってしまったのである。ミュレットとメイはアルセアに戻ろうかとしたが、国境にいる帝国兵の目を掻い潜り、アルセアに戻る事は困難だった。見つかってしまっては、ウロストセリアに不法入国したことになり、どうなるかは分からない。
ミュレットは幼いメイを見て、何とかここで生きていこうと決意した。だが、ウロストセリアでアルセア人が生きる事は難しく、貧しさはさらに酷くなっていった。
「ごめんな、メイ」
「ううん。大丈夫」
6歳になったメイは痩せていた顔で、ミュレットに向かい笑いかけた。ミュレットはメイを力いっぱいに抱きしめたのだった。
ミュレットは頭から布を被り、近くにある市を歩いて、見よう見まねで老人の畑で作った野菜を売ろうとしていた。
「お前、その野菜は自分で作ったのか?」
ミュレットの目の前には綺麗な格好をした、自分と同じくらいの背丈である少年を見た。ウルトラマリンの瞳がミュレットと同じであった。同じ色の瞳同士が向き合う。話しかけて来た少年は興味深そうにミュレットを覗き込む。
ミュレットはアルセア人である事を知られてしまうと、目を逸らした。
「リヒト様、そのようにじろじろ見ては、相手も困るでしょう」
「しかしな……。お前ちょっとこっちに来い」
その少年に付いていた人が咎めたが、少し考え、その少年はミュレットの手を引いて、人通りの少ない所に連れていった。ミュレットは野菜を持つ籠を落とさないようにするのと、頭の布が落ちてしまわないようにするので忙しかった。
少年が止まったかと思うと、ミュレットが被っていた布を取り去ってしまう。露わになったセピア色の髪の毛にミュレットは息が止まりそうになる。少年に付いていた人も驚き、特徴的な丸眼鏡の下の目を見開いている。しかし、布を取った少年はミュレットの顔をじろりと見る。
「お前、俺とそっくりだな」
「え」
「よし。俺はリヒト。この国の第二皇子だ。お前を俺の影武者にするぞ」
「は?」
こうして、ミュレットとリヒトは出会った。
似てはいないとリヒトに付いていた丸眼鏡の者は言ったが、髪の毛を洗い、顔も綺麗にするとそっくりだったのだ。
それから、ミュレットは髪の毛を脱色し、白くした。新しくシャッテンの姓を授かり、普段はリヒトの側役、時として影武者を務める事になったのだ。それを知っているのは当の本人たちとリヒトの先生であるという、リヒトに付いていた者だけであった。
2人はウロストセリア帝国の城の敷地内にある、官舎に移り住むことになり、安定した生活を送れるようになったのだ。
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「気を付けてね」
「いってくる。お前も気を付けるんだよ、メイ」
膝をおり、メイと視線を合わせたミュレット。メイはミュレットの言葉に笑顔で頷く。
手を振るメイを背に、ミュレットは部屋を後にする。廊下をしばらく歩いたところで、振り返りたくなったが、考えを払拭するかのように頭を左右に振り、また前を向いて歩き始めた。




