アンドロイドは世界の終わりに愛を知った。
核戦争が終わってから、七年が経過していた。
戦争で焼かれたこの都市は、高濃度の放射線汚染区域に指定され、住民は避難した。遠くの地域に人間が残っているのか、二体には分からない。外部通信網は七年前に途絶えていた。
少なくとも、この街にはもう誰もいなかった。
それでも、二体だけ動くものが残っていた。放射線汚染区域作業用人型アンドロイド。
R-04。黒に近い髪を持つ青年型。光の下ではわずかに紫がかった色を帯びる。背が高く、表情の変化は少ない。
M-07。金髪の少女型。白い肌と静かな瞳を持ち、一見すれば人間に見えた。
人間に似た顔と身体。人間の言葉を理解するための会話機能。そして、人間と円滑に作業するための感情模倣機能。
すべては、人間と共に働くために与えられたものだった。
その人間は、この街にはもういない。
◇
「R-04」
「応答する」
「自己診断が完了しました」
七年前まで事務所として使われていた建物。窓の外には、植物に覆われ始めた街が広がっている。
道路の白線はまだ見える。横断歩道もある。錆びた自転車が歩道に倒れたままになっていた。人間が昨日まで暮らしていたと言われても、不思議ではない。
ただ、誰もいない。
「結果を報告」
「主電源セル劣化率、九十九・七パーセント」
R-04の動作が一瞬止まった。
「推定残存稼働時間は?」
「七十時間五十八分です」
沈黙が落ちた。
「R-04も診断してください」
「必要ない。同型電源だ」
「予測と計測は異なります」
数秒を置いて、R-04は答えた。
「……了解」
自己診断の結果はすぐに出た。
「七十一時間四十二分」
「誤差範囲です」
「ああ」
交換用電源セルはない。保守施設は戦争の初期に破壊されていた。施設屋上の自動充電設備だけが、二体を七年間動かしてきた。その最後の設備も、三日前に停止した。
街のどこかには同型機の残骸がある。だが、使用可能な電源セルが残されている確率は〇・二六パーセントだった。
「捜索を実行しますか?」
M-07が訊いた。
「推奨しない」
「理由を要求します」
「移動に使用する電力の方が大きい」
「同意します」
R-04は窓の外を見た。青い空だった。
七年前、同じ窓の向こうには、まだ人間がいた。朝には車が走り、昼には店が開き、夜には建物の窓に明かりが灯った。
R-04の記録領域には、その映像が残っている。今の街と重ねても、同じ場所には見えなかった。
「残り三日か」
「正確には三日未満です」
「そうだったな」
二体は黙った。
停止する。それだけだ。人間が死と呼んでいた現象とは違う。恐怖を感じる必要もない。
そのはずだった。
「R-04」
「どうした」
「提案があります」
「内容は?」
「残存時間を、通常業務以外に使用したいと考えます」
R-04は周囲を見た。七年前から更新されていない作業予定表。回収する人間のいない記録媒体。もう送信先の存在しない報告書。
「通常業務はもう存在しない」
「その通りです」
「では、何をする」
M-07は少し考えた。
「人間がしていたことを、してみたいです」
◇
残り六十二時間。
二体は衣料品店にいた。入口のガラスは割れていたが、奥の棚にはまだ服が残っていた。七年分の埃をかぶっていても、その形は人間が最後に置いたときのままだった。
M-07が一着の上着を取り出した。淡いピンクだった。しばらく眺めてから言った。
「記録があります」
「何の?」
「戦争以前。この店舗で、人間の女性が同系色の衣服を選択していました」
「覚えているのか」
「はい」
M-07は上着を身体に当てた。
「どうでしょう」
「防護性能は低い」
「性能評価を要求していません」
「では何を要求している?」
M-07がR-04を見た。
「似合うかどうかです」
R-04は動きを止めた。服飾データ、色彩、体格、組み合わせ。複数の情報を照合した。
「適合率は高いと推定する」
「それは褒めていますか?」
「おそらく」
M-07は上着を着た。ひびの入った鏡に、人間の女性にしか見えない姿が映った。
「R-04も選んでください」
「現在の装備で問題ない」
「必要のないことをするのが、本日の目的です」
「非効率だ」
「はい」
R-04は黙った。結局、一着選んだ。
黒を基調に、暗いバーガンディが入った上着だった。M-07がじっと見た。
「似合っています」
「評価を要求していない」
「要求されていなくても、人間は言ったようです」
R-04は七年前の記録を検索した。確かにそうだった。人間は、聞かれてもいないことをよく言った。
「そうか」
「はい」
二体は店を出た。何の役にも立たない服を着て。
◇
残り十五時間。
二体は街を見渡せる場所に座っていた。
七年前、数十万人が暮らしていた都市。ビルの窓にはまだガラスが残り、道路には信号機が立っている。駅の看板も読めた。
けれど植物は少しずつ、人間の場所を取り戻し始めていた。建物の隙間から木が伸び、道路のひびから草が生えている。遠くでは水面が陽光を反射していた。
世界は、人間がいなくても美しかった。
M-07がR-04の肩へ頭を預けた。R-04の姿勢制御系が重量変化を検知した。
「M-07」
「はい」
「接触を確認」
「問題がありますか?」
「ない」
「では、継続します」
「了解」
しばらくして、M-07が言った。
「人間は、夕焼けを見ることを好みました」
過去形だった。
「ああ」
「七年前にも、この場所に人間がいました」
R-04も記録を検索した。夕方、人間の男女が同じ方向を見ている。何を話していたかまでは記録されていない。
「理由を理解できますか?」
R-04は空を見た。
光学情報なら解析できる。波長、雲量、大気中の粒子濃度。すべて数値にできる。だが、それらを計算しても、人間が夕焼けを眺め続けた理由にはならない。
「理解不能」
「私もです」
「そうか」
「ですが」
M-07は動かなかった。
「ここを離れたいとは思いません」
R-04は自己診断を実行した。異常なし。
「俺も同じだ」
「故障でしょうか」
「診断上は正常」
「私も正常です」
「なら、仕様だろう」
「記録にありません」
「では、記録漏れだ」
M-07がほんの少しだけ笑った。
感情模倣機能による表情。そう定義されている。
R-04は、その表情を記録領域へ保存した。理由の項目だけは空欄にした。
◇
残り八時間。
太陽は沈んでいた。二体は、まだ同じ場所にいた。
七年前なら、この時間には街の窓に明かりが灯っていた。今は一つもない。
「R-04」
「応答する」
「次にすることを提案してください」
R-04はしばらく演算した。
「思いつかない」
「私もです」
「問題か?」
「いいえ」
M-07は夜空を見上げた。
「人間は、目的なく時間を過ごすことがありました」
「ああ」
「非効率です」
「同意する」
「ですが、現在はそれを選択したいと考えます」
R-04はM-07を見た。
「何もしない、ということか」
「はい」
数秒を置いて、R-04は答えた。
「……了解」
二体は、それ以上何もしなかった。移動せず、記録も取らず、新しい目的も設定しなかった。ただ、隣にいた。
R-04は検索を停止した。その時間に名前は必要ないと判断した。
風が吹き、遠くで何かが崩れる音がした。
七年前、人間たちはこんな時間を何と呼んでいたのだろう。休息。暇。退屈。どれも少し違う気がした。
M-07が隣にいる。それだけで十分だった。
夜は静かに、二体の残り時間を削っていった。
◇
残り二時間。
二体はまだ同じ場所にいた。移動する必要はなかった。街には夜が深く沈んでいた。
「R-04」
「応答する」
「質問があります」
「許可する」
「人間は、自分が死ぬことを怖がったそうです」
「ああ」
「私は以前、その反応を非合理的だと判断していました」
「俺もだ」
「現在、その判断を訂正します」
R-04がM-07を見た。
「停止したくないのか?」
「はい」
即答だった。
「理由は?」
「判別不能です」
R-04は数秒黙った。
「俺も停止したくない」
「恐怖ですか?」
「違う」
R-04は内部状態を検索した。停止そのものに対する忌避反応は規定値内。自己保存機構も正常だった。
別の原因を探して演算を続け、やがて気づいた。二体の残存稼働時間には、四十四分の差がある。
「M-07」
「はい」
「M-07が先に停止する」
「計算上、その可能性が高いです」
「その後、俺だけが稼働する時間が存在する」
「四十四分です」
「その四十四分が不要だ」
M-07は答えなかった。風だけが通り過ぎた。
「この判断を説明できない」
長い沈黙のあと、M-07が答えた。
「私にも説明できません」
「そうか」
「ですが」
M-07はR-04の肩に、もう一度頭を預けた。
「その判断を、好ましいと感じます」
◇
残り三分。
視界に警告が表示された。主電源電圧低下。運動機能停止予告。記憶領域保護モード移行。
「R-04」
「どうした、M-07」
「残り稼働時間、二分五十一秒です」
「計測を停止してくれ」
「理由を要求します」
「残り時間を知る必要はない」
数秒を置いて、M-07は答えた。
「了解しました」
風が吹き、M-07の金色の髪が揺れた。R-04はそれを見ていた。
七年前まで、この街には人間がいた。その人間たちは服を選び、夕焼けを見て、誰かの肩に頭を預けた。
二体がこの三日間にしたことは、すべて人間の真似だった。
そのはずだった。
「M-07」
「はい」
「三日では足りなかった」
「何が、でしょうか」
R-04の演算は止まらなかった。適切な表現を検索したが、該当するものはなかった。それでも答えた。
「M-07と過ごす時間が」
M-07は沈黙した。一秒、二秒、三秒。アンドロイドとしては異常に長い応答時間だった。
「……私も、同一の結論に到達しています」
「そうか」
「はい、R-04」
M-07がさらに身体を寄せた。
「このままでいたいです」
「ああ」
「これは命令ですか?」
「違う」
「では、私自身の判断として継続します」
「了解」
M-07の視覚センサーが停止した。金色の瞳から光が消えた。
R-04は動かなかった。本来なら、あと四十四分稼働できる。だがR-04は、省電力制御を解除した。
聴覚、触覚、温度センサー、光学系、演算装置。必要のない機能を、すべて最大出力へ移行した。
警告。予測稼働時間低下。警告。非常制御推奨。
R-04はすべて閉じた。
最後まで必要だったのは、M-07の頭が肩に触れているという情報だけだった。
視界が暗くなる。R-04は記録領域から、一つの映像を呼び出した。
青い空と、白い雲。人間の痕跡がまだ残る街。そして、M-07。
R-04は、その映像だけを最後の記録として保存した。
◇
朝になり、太陽が昇った。
信号機は動かない。店も開かない。電車も来ない。それでも朝だけは、七年前と同じように街へやって来た。
二体は昨日と同じ場所に座っていた。風がM-07の金色の髪を揺らした。
R-04は動かない。M-07も動かない。
人の消えた街で、最後まで残った二体も停止した。
二体が最後の三日間にしたことに、世界を救う意味などなかった。服を選び、夕焼けを見て、隣に座った。ただ、それだけだった。
七年前、人間たちも、きっと同じようなことをしていた。意味のない服を選び、必要のない会話をし、沈む太陽を理由もなく眺めた。
二体は最後まで、なぜ人間がそんなことをしたのか、完全には理解できなかった。けれど、最後の三日間だけは、少し分かったのかもしれない。
二体にとっての世界が終わったあと。
二体が最後に見つけたのは、生き延びる方法ではなく――終わる瞬間まで、誰かと一緒にいたいと思う理由だった。




