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トルコの内陸部、ウスパルタの夏は酷烈なまでに乾燥していた。
キャンプを囲む鉄条網が取り払われた日、ヴァルターは帰国を希望する“戦友”たちの列を見送った。
廃墟となったドイツへの帰還。家族を捜し、瓦礫を片付ける日々。
それがかつての兵士たちにとっての「戦後」だった。
しかし、ヴァルターは彼らと共に歩み出すことはなかった。
彼の懐には、エニグマの暗号表と引き換え得た滞在許可証があった。
それは軍人としての誇りを売り払った証であり、同時に一人の人間として生きる
ための免罪符でもあった。
ヴァルターは、海から遠く離れた内陸の街に居を定めた。
砂埃の舞う静かな街だ。
彼は名前を現地風に改め、小さな修理工場を営むようになった。
鉄を叩き、機械の脂にまみれる生活は、かつてのベルリンでの日々を思い出させたが、そこには死の気配も、冷酷な命令も存在しなかった。
夕暮れ時、近所の茶屋で、トルココーヒーを啜りながら地元の老人たちと語らう。彼らが語る羊の放牧の話や家族の悩みを聞き流しながら、時折ヴァルターは海の底に沈んだ鋼鉄の棺を思った。
ただ、乾いた風が彼の頬を撫で、過ぎ去った記憶をゆっくりと風化させていった。
END




