第20話 都市伝説と戦士と眠り姫
石畳の角をひとつ曲がっただけで、世界の色が変わった。
そこはもう“街”ではなかった。
蔦に覆われた建物。屋根の抜けた石造りの店舗跡。もはや「旧市街地」というより、ちょっと立派な遺跡と呼んだ方がしっくりくる。
「……ここ、たしか“東側商業区”だったよな」
手元の古びた地図には、かつての店の名前がずらりと並んでいる。ポーション屋、鍛冶屋、掲示板のあった広場、ギルド支部。
だけど、今あるのは、灰色に沈んだ瓦礫の山と、折れた看板の残骸ばかり。
私はゆっくり歩きながら、地図と現在地を見比べ、そして——そのズレに苦笑した。
「まあ……三千年も経てば、そりゃ変わるよな」
地図を持ってる意味、ほぼない。なのに、なぜか捨てられなかった。
シルフィの光が、ふわりと先を照らす。迷いがない。まるで、彼女だけは“あの頃”をちゃんと覚えてるかのようだ。
この旧市街に足を踏み入れたのは、今住んでいるギルド宿舎がさすがに手狭で、そろそろ“自分の居場所”が欲しいと思ったからだ。
稼げる依頼はないかと探して、これに目をつけた。
私は、旧市街の探索依頼を請け負って、この廃墟を歩いている。
ギルドでは『危険区域の踏破記録』『封印痕跡の確認』『未知魔力反応の報告』といった依頼があった。
Eランクの依頼なので危険を感じたら帰っても良かった。Eだと危険といった結果が報告できるから、それでも良いらしい。
その中で私は、かつて自分がクリアしたクエストの“結果だけ”を、地図と記憶を頼りに収集していた。
崩れた建物の中、木箱と壺が転がっていた。見覚えのある青いリボンの付いた袋が、奇跡的に残っていた。
「……これ、“届け物クエスト”の受け取り場所じゃん」
配達済みの札がかすかに読み取れる。たしかに、あの時クリアしたクエストの痕跡。
だが、報酬も、感情も、そこにはない。ただ、完了済みのタグのように、風化した“結果”がそこに転がっているだけ。
他にも、倒したゴブリンの巣の入り口、炎で焼き払った痕跡、壁しか残っていない手紙クエストの家。
露店護衛中に偶然出会ったプレイヤーとの共闘の思い出。落ちた神殿の影で偶然起きたイベント。
どれも、鮮やかに蘇るのに、今はそこに誰もいない。
「……思い出の回収って、案外むなしいもんだな」
けれど、クエストの成果としては成立する。写真を撮り、位置と状態を記録し、報告すれば銀貨数枚にはなる。
こうして私は、家を買うための資金を、過去の自分の足跡から“採掘”しているのだった。
「──って、おセンチか。おっさんか。いや、おっさんだったわ」
思わず苦笑しながらも、どこか寂しさを振り払えずにいた。
そんなとき、シルフィの光が、すうっと足元へ沈んだ。
「ん?」
見れば、石畳の隙間に、不自然な亀裂が走っている。
しゃがみこんで手を伸ばすと、カチリと何かが外れる感触。
ゴゴゴ……と、足元の地面が、ゆっくりと沈んでいった。
「マジか……都市伝説、ほんとにあったのかよ」
階段が開いた瞬間、頭の中に、かつての“噂”がどっと押し寄せてきた。
旧市街の地下に、誰も知らないエリアがある。公式にも非公式にも、一切アナウンスのない場所。
でも、特定のオブジェクトが妙に整っていたり、マップデータの不自然な隙間があったり——いわゆる“未使用領域”の存在は、上級プレイヤーの間では有名だった。
「……あったな、こんな話」
ネットのフォーラムでは、何年も前からスレッドが立ち続けていた。運営にBANされたくない連中は直接言及せず、“旧市街の影”“光の目”“沈んだ回廊”といった暗号めいた名称で呼んでいた。
“光の騎士に見つめられたまま立ち尽くす像”とか、“祭壇の奥にだけ反応するイベントフラグ”とか、そんなワードが飛び交うたび、半信半疑のプレイヤーたちが真偽の検証に躍起になった。
中には、座標単位で壁判定を検証し、数百時間かけてルートを洗い出した者もいた。
動画やスクショを撮ろうとして、謎のクラッシュや強制ログアウトに遭遇したという話もあり、もはや伝説は“遊び”の域を越えていた。
「次のアップデートで実装されるんじゃないか」
「いや、これは元から存在してるが、わざと隠してる未実装領域だ」
「運営が誰にも言わずに残した、個人用の検証エリアかもしれん」
そんな熱狂が続いたまま、あの事件が起きた。
——サービス終了告知。
しかも、直前まで大型アップデートの情報が出ていた。
PVも公開され、新職のイラストやスキル紹介も完了していた。告知当日は、誰もがエイプリルフールかと思った。
だが、運営から出された公式発表はこうだった。
「終了は決定していたが、開発現場には伝えられていなかった」——。
裏切られたような、夢から醒めたような終わり方だった。
プレイヤーたちは失望し、一部の検証勢は「だからこそ、あの領域には意味がある」と言い出した。
そして今——その“ありえなかった場所”が、私の目の前に、現実として開かれている。
「……まさか、ほんとにあったとはな」
階段は深く、ひんやりとした風が下から吹き上げてくる。
降りながら、私は無意識に剣の柄を確認していた。
「マジで未実装領域、ってやつか……」
壁には古代文字が刻まれ、天井には今なお光る魔力の痕跡。
装飾は簡素ながら、構造そのものが“生きている”感じがある。今も稼働しているシステムのような、そんな空気があった。
足音が、やけに大きく響く。
やがて、私は広間へと辿り着いた。
そこで私は、息を呑んだ。
——騎士が、立っていた。
一瞬、警戒の色が走った。
だが騎士は動かなかった。ただ静かに、こちらを見据えていた。
何かを守っている。そう確信させるような、張り詰めた空気。
まるで、聖杯を守るために在り続けた十字軍の騎士のようだった。
装備はよく見れば古びていたが、その素材は明らかに尋常ではない。腐敗すら拒むような魔力を帯びた金属。
三千年もの間、時間の流れに屈することなく在り続けている。それはただの耐久ではない。意志だ。魂の残滓が残っているかのような、そんな気配。
騎士は視線を外さない。動かぬまま、私という存在を見極めている。
受け継ぐに足る者か。
ここまで辿り着いたのが偶然か、運命か。
私はその目を受け止めるように、ゆっくりと歩を進めた。
そして思い出した。
その構え。その鎧。その紋章。
「……まさか」
ゲームの時代、国内最大のレベルを記録した伝説の戦士。
星の梨園で、私と共に幾つもの戦場を駆け抜けた盟友。
彼は常に最前線に立っていた。
物理防御極振りで、レイドボスの最初の一撃を正面から受け止める壁役。
どんなに強化された敵でも、彼が立っている限り、後衛に攻撃が届くことはなかった。
ログアウトしないことで有名だった。
限界までレベリングし、限界まで検証し、ゲームという世界にすべてを捧げていた。
その男が、今ここにいる。
どこからか、静かな光が差し込んでいた。崩れた天井の裂け目か、それともどこか別の……。
私はその光の中に、ためらいなく踏み込んだ。
その瞬間だった。
騎士の目が、見開かれた。
——あなただったのか。
——そうか、貴女が来たのか。
声はない。だが確かにそう語る気配が、空間全体に染み渡った。
彼は、片膝をつき、懐から青い石を取り出した。
私は静かに歩み寄り、無言で手を差し出す。
青い石が、そっと掌に落ちた。
脈動するような魔力の波が、私の心核に重なる。
騎士は、微笑んだ。
そのまま、差し込む光の中で、その身を崩していった。
静かに、静かに、粒子となって、天へと舞い上がる。
瓦礫の隙間から、光の筋が揺れ、その中を魂の残滓が通り抜けていく。
私はその姿を見送った。
耳元で、かすかに、低く、優しい声が響いた。
『来てくれて、ありがとう』
それが彼の、最後の言葉だった。
そして、そっと呟いた。
「……レイヴン」
石を手にした瞬間、奥の重い扉が静かに開いた。
中から漏れ出す空気は、古びた遺跡とも魔法施設とも違う——冷たく、無機質な気配。
まるで、この場所だけが“世界”から切り離されていたかのようだった。
ヒディは慎重に一歩踏み入れた。……が、すぐに思わず息をのんだ。
「な、なんだここ……? 研究所か? いや、映画かアニメで見たような……え、えぇ?」
想像していた“古代遺跡”とはまるで異なる空間に、中年の本能が戸惑いと警戒心を同時に叩き込んでくる。
場違いな無機質さ、人工物の整然とした配置、そして中央に佇む奇妙な装置。
薄暗い部屋の中心に、それはあった。
——カプセル。
ガラス製の筒状装置。その内部で、ひとりの少女が眠っていた。
「……えっ……え?」
ヒディは思わず顔を背けかけた。中にいたのは、見た目十代前半ほどの華奢な少女。その身には、肌を透かすような薄手の布がかろうじてかかっている程度で——
「ちょ、ちょっと、開発者誰だこれ!倫理観どこ行った!?」
戸惑いと動揺、そして何より“目のやり場に困る”という久々の感覚に、五十を過ぎたおっさんの脳が軽くフリーズしかける。
「まずいってこれ……いや、そういう趣味じゃないんだけど……うわ、視線どこ置けば……!」
全身にじんわりと汗が浮き、内心では土下座する勢いで心のなかの誰かに謝っていた。
銀の髪。透き通る肌。表情は静かで、感情らしきものは見当たらない。
まるで人形のような外見。しかし、何かが、ただの造形物ではないことを告げていた。
ヒディは周囲を警戒しながら近づいたが、反応はない。
カプセルの縁に手を伸ばそうとした、その瞬間——
少女のまつげがかすかに震えた。
「……っ」
ゆっくりと、瞼が開かれる。
群青色の瞳。冷たい光を宿したその視線が、まっすぐヒディを捉えた。
恐れも、警戒も、なかった。ただ、観測するような無機質さだけがそこにあった。
「……識別コード、不一致。再判定……」
言葉というより、システムメッセージのような口調だった。
「青い石……認証。マスター、判定——受理」
その言葉とともに、カプセルが解放され、音もなく蓋がスライドして開いた。
少女——シエラは、ゆっくりと身を起こし、ぎこちなく体を動かす。
動きは機械的で、だが慎重だった。まるで、初めて“肉体”というものを扱っているかのように。
「名……シエラ。付与済み識別名称。……あなたは、識別名……ヒディ」
こちらが何も答えていないのに、断定口調でそう言う。記録から引き出した情報か、あるいは反応解析か。
いずれにせよ、感情らしきものは一切感じられなかった。
「あなたが、来た。……受理、完了」
その言葉には、安堵も、喜びもなかった。ただ、プロトコル通りに動作を完了したAIのような、そんな響きだけが残った。
ヒディはしばらく呆然と彼女を見つめていたが、ふと我に返った。
「……お、おい、ちょっと待て。マスターって、え? 俺が? マジで?」
中年の脳内処理が現実に追いつくまで、数秒かかった。
「いや、ちょっとその……そういうの、慣れてないし……第一、こっちは旅の途中のただの通りすがりで……」
戸惑いながらも、少女の無機質な目はヒディから逸れない。どうやら、完全に“主”として認識されてしまったらしい。
「……まじかよ。この歳で、急に“主”になる日が来るとは……」
ぼそりとつぶやき、顔を覆う。
こんな展開、どこかの異世界ハーレム系主人公みたいだ——と自嘲気味に思いながらも、逃げ場のない現実に、少しずつ心を落ち着けていった。
シエラは立ち上がった。
足元はふらつき、体を支えるために何度も手を床についた。
それでも、倒れることなく、じっと立ち続けた。
部屋の奥には、複数の古びた装置と魔術式の痕跡。
ヒディはそのうちのひとつ、今もかすかに魔力反応を示す記録装置に手を伸ばす。
触れた瞬間、空中に光の紋様が浮かび、断片的な音声が流れ出した。
「——観測ユニット“シエラ”試作体、記録起動……リンク先識別コード不明、応答待機状態……」
音声は途切れ、次いで表示されたのは多数のエラーログと再起動履歴。
何度も「接続」を繰り返しながら、完全な覚醒には至らなかった痕跡が残っていた。
「……これが、君の……記録?」
ヒディがつぶやくと、シエラが反応した。
「記録……断片のみ、保持。……完全性、欠損中」
自分の状態を、分析するように静かに言葉を返す。
「君は……ここで、誰かを……何かを、待っていたのか?」
シエラはすぐには答えなかった。
ただ、床に膝をつき、胸に手を当て、目を閉じる。
「反応記憶——照合開始……」
わずかに、彼女の肩が震えた。
「……初期目的……不明。だが、接触者の存在を、否定しない」
ヒディは彼女を見つめながら、何も言わずにそばへ腰を下ろした。
この空間が何であれ、彼女が何であれ——今、この出会いが“始まり”だという予感だけが、確かにあった。
「……ようこそ。目覚めてくれて、ありがとう」
その言葉に、シエラはほんの少しだけ、顔をこちらへ傾けた。
意味を理解していたのかもわからない。
だが、確かに彼女はその言葉を“聞いた”のだった。
できたらポイントといいねお願いします




