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宰相の娘  作者: 衣々里まや
17歳
40/50

暴走

「あの、お嬢様、カイル殿下がお見えになりました」


「かまわないわ。すぐにお通しして」


「で、ですが……」


「どうしたの?」


使用人は口ごもりながら、扉を開けた。


入ってきたカイルの様子で彼女が戸惑っていた理由がわかった。


「……みんな、出て行ってちょうだい」


「お嬢様、しかし……!」


ロニヤまでが不審げに、ちらとカイルに目をやる。ロニヤが心配するのも理解できる。


カイルの表情は危ぶみたくなるほどに暗い。なにかに悩み、追い詰められたような雰囲気を醸しだしている。


「大丈夫よ。何かあったら呼ぶから」


私は侍女も使用人も全て部屋から追い出し、自ら戸を閉めた。


振り返れば、彼はさっきと同じ場所に立ったままだった。すすめた椅子に座ろうともしない。


「カイル、どうしたの? 私に話があるから、会いに来てくれたのよね?」


≪夏の庭園≫でプロポーズを受けてから、数日が経っていた。


そのあいだ、どうして彼がああいうことを言い出したのかずっと調べていた。何がバレたのか。カイルたちはどういう証拠をつかんでいるのか。ロニヤやルーデンスに探りを入れてもみたけれど、ふたりは本当になにも知らない様子で、結局まったくわからなかった。


そして今日、カイルがここにやって来た。それが意味するものとは。


私は緊張に息を詰めながら、カイルが話しだすのを待つ。


長い沈黙のあと、ようやく彼が口を開いたとき、出てきた声は不自然なほど抑揚を失い、揺らいでいた。


「ティアは、どうして結婚を拒むんだ?」


「え?」


「俺たちは婚約してるんだ。結婚するのがあたりまえだろう」


「こ、婚約したからって必ずしも結婚するわけではないわ。破棄や解消という手だってあるのよ」


私の言葉に彼は返事をしない。


カイルの様子がおかしい。うつむいたまま、声も低く、体の横で握られた拳が震えている。けんめいになにかをこらえている感じだ。


でも、何を我慢しているというの。


「……宰相だけでなく、お前も最初からそのつもりだったのか?」


「“そのつもり”? いったい、何のこと?」


「妃にならないというのなら、どうして俺に――……それとも、あの男と出会って気持ちが変わったのか?」


「あの男?」


「結婚するつもりなのか?」


「ねえ、誰のことを言っているの?」


「ガードナーだ! 先日の夜も、ずいぶんと親し気に話をしていただろう!!」


「あの人はただ協力を……」


「協力とは?」


言えない。


父の罪を暴き、あなたに恩を売るための情報提供者を見つけてもらっただなんて。父に殺される前に私が確保したかったのだなんて言えるわけがない。


「言えないのは、図星だからか?」


「だから、さっきから違うと言っているでしょう!? 今日のあなた、変よ? どうしちゃったの?」


カイルは些細な勘違いをしているだけなのだから、冷静に説明すればすむこと。それはわかっているのに、罪悪感とやましさでつい私も声を荒げてしまう。


「……じゃあ、逃げられないようにすればいい」


震えた声で吐き捨てるように言って、彼が顔をあげた。


「何を言って――……カイル?」


私に向かってくる彼の目がおかしい。さっき以上に表情が虚ろだ。


そのあまりのつらそうな彼の顔に驚いていると、彼の腕がこちらにのび、私の体がソファに傾いだ。私は視界が反転し、ただ自分の体が倒れるままに呆然と見つめていた。


彼が私の上に覆いかぶさってくる。


首元の留め具が強い力で引きちぎられて開かれた襟から空気と共に入り込んだ彼の長い指が私の首筋をたどる。カイルの手は汗ばんでいて、それなのにとても冷たかった。


その感触でようやく私は自分の身に何が起こっているのか理解した。


「いや!! やめて!!」


彼を押し返そうとする腕が頭上で縫い留められる。いつのまにこれほどまでにちからの差ができたのだろう。私の両手は彼の腕一本でかんたんに抑えこめられてしまう。彼の息が荒い。怒りで我を忘れている。


手首を拘束するカイルの指先が煽るように私の手の甲をすべり、指に絡みつく。


「カイル、やめてちょうだい!!」


ストーリーが変わることを希望してはいたけれど、こんなのは願ってない。


彼のかわいた唇が肌をなぞり、刻むように歯が私の首筋にたてられる。


「い、嫌だって言ってるでしょ!!!」


脚で彼を蹴り上げ、ちからがゆるんだ隙に彼の頬を張り倒す。


痛さで我に返ったらしい。カイルは身体をこわばらせ、茫然としていた。


彼自身も、自分のしでかしたことに衝撃を受けているようだった。


「ご、ごめんなさい。強く叩きすぎたわ。その、驚いちゃって、だから……」


おまけに爪が彼をかすめ、傷をつけてしまっていた。頬に一本の赤い筋が走っている。


「痛かったわよね?」


私が頬に触れようとすると、急に恐怖におびえた顔で慌てて飛び退る。


カイルは私の開かれた襟とそこからのぞく肌を見て、まるで視線で火傷してしまうかのように目を背けた。


「ち、違う……俺は……お前を傷つけたかったわけじゃ……」


「……カイル?」


さっきまでの昂ぶりが嘘のように、空気が抜けたみたいな声。泣きそうにも聞こえる。


私の呼びかけにも答えず、カイルは蒼ざめた顔ですまないと何度もつぶやきながら、よろめくようにして部屋を出ていってしまう。


「どうして……こういうことに……」


心臓がどくどくと脈打っている。考えはまとまらず、いまだに自分の身に起こったことが信じられなかった。


「私はどうしたらよかったの……」


カイルは知らないから、いまはまだ私に心を許しているだけだ。


父の所業を知れば、私たちのあいだにある懸け橋には亀裂が入り、炎上し、焼け落ちる。そして嵐に吹き飛び、灰すら残らないだろう。


「彼を拒絶するのは間違ってないわ……」


これはカイルのためでもあるのだと、私は残された部屋でひとり、自分に言い聞かせつづけた。

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