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宰相の娘  作者: 衣々里まや
13歳
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ラパント卿

いままでも気を抜けなかったけれど、ルーデンスのおかげでいっそう油断のならない生活が始まった。


彼はわたしがどこに行こうとも、父がいない場所であっても、ぴったりと付いてくる。護衛という任務を忠実に果たそうというただの使命感からくる行動なのか、宰相の娘が少しでもおかしな動きを見せたなら自分が証人となってみせる、とでも思っているのかはいまだに分からない。


「カイルのところに追い返すにしても、理由が必要だもの……」


ルーデンスがいるせいで安易に行動を起こすこともできず、わたしは部屋でひとり風聞紙を読んでいた。


風聞紙はいわゆるこの世界の簡易な新聞にあたる。


正確に言えば号外紙に近く、人々の興味をそそるような話題が持ち上がったときや大きな事件が起こったときだけ、またときに誰かの思想を喧伝するために、街角で配られたり、ごく少額で販売されているものだった。紙もひじょうに粗末で、本のようにしっかりとした版などの印刷ではなく読みにくい。


しかし、気軽に外出できないわたしにとってはこれもまた市井の情勢を知るツールとして有用であり、街から通っている使用人のひとりに、毎回購入をお願いしているのだ。


「『今年は過去最高の出来! 葡萄酒の市場価格が最高値を更新』ね……新酒は毎年そう宣伝するのよ。だいたい高値というならグータ――……」


わたしの頭にあったのは、お酒を飲める年になったカイルが貴族たちと酒を酌み交わすシーンだ。


そこで話題になった、≪天上の酒≫とも呼ばれ、死ぬまでに一度は味わってみたいと次々に口にのぼった、ある葡萄酒。たしか、最初は誰にも見向きもされなかったと言っていたはず。


「今ならまだ、わたしでも買えるのではないかしら……」


手持ちの宝石だけでは、今後の活動資金として心もとない。その内に何か手を打たなければならないのは分かっていた。


葡萄酒の市場は酒税という二重の間接税のおかげで新規参入がほとんどなく、ライバルもまた少ない。


成功すればいっきに顧客を奪い、大手へと躍り出ることができるはず。


「ためしてみる価値はあるのかもしれないわ」


わたしはとっておいた宝石を衣裳部屋からいくつか持ち出し、使用人を呼ぶ鐘を鳴らした。


「誰でもいいわ。今から街に行って、わたしが言うものを買いあつめてきてちょうだい!」




使用人たちが命じられたとおりに葡萄酒を求め街を駆け回っているあいだ、さらにわたしに待望の来客があった。


「お嬢さま、ラパントさまが面会をご希望なさっています」


「お通ししてちょうだい!!」


わたしの歓喜の声に、見知った姿が戸口に現れる。


「ようこそお越しくださいました。どうぞ、こちらへ」


手で促すも、ラパント卿は扉の場所から動かない。


「あの……?」


「ヴェラ・ドッゥア・モルノ・モート」


宴のときのような朗らかさはかけらもなく、杖の上に両手を重ね、睥睨し、彼はそう言い放つ。


わたしは絶句した。エルゲネス語だ。


以前、わたしがカイルを助けたときにエルゲネス語を習っていると言ったのを知っているのだ。あの場にいなかったのに。


直訳すれば、“花は枯れゆくのみ”。昔の慣用句であり、時間は過ぎていくもので戻すことはできないという意味となる。


ただし、老いたものが使う場合、もうひとつの意味をもつ。時は短い、つまり“貴重な人生の残り時間を奪うな”ということ。


警告だ。


彼は、貴族的な持って回った言い回しはやめて自分に声をかけた理由を率直に話せと言ってきている。


「クオ・ラ・ドノッゥソ・グク・ォミルテ」


正直にお話しいたします。


わたしは腰をかがめ、辞儀をしながらそう応えた。


念のために、最低限の学習をしてきてよかった。もし、これに返答できなければわたしは彼のテストに不合格。ラパント卿は一歩も進むことなく、部屋を出ていっていたであろう。


まず最初の試験は及第点だったらしい。ラパント卿はゆっくりと部屋に足を踏み入れ、案内した椅子に腰を下ろした。わたしが合図をして使用人たちを下がらせたのを見届けてから、おもむろに口を開く。


「それで、お嬢さんはこのおいぼれをくだらない争いに巻き込もうというつもりですかな」


王宮の政争をくだらないと言い切った――やはり権力に興味がなく、どの派閥にも所属したくないのだ。ただし、すくなくともわたしに興味を持った。正確にはたぶん、わたしがもつ情報に。


これからの話がつまらなかったら、彼は二度とわたしの元には現れないだろうけれど。


「王宮に招かれるきっかけをつくってしまったことは、心から謝罪いたします。静かな余生をお望みであることも、重々承知しております。しかし、わたくしは、どうしてもあなたに教えを受けたいのですわ。だれかの傘の下にいるのではなく、わたくしが自分の力で、この場所で生きていくために」


「微笑んでいればよいでしょう」


「わたくしの立場で、それだけでは生きていけないとご存じのはず。知識と知恵が欲しいのです」


ほんとは水路だけど。


わたしは心の中で付け足す。


「どうか、助けていただきたいのです、先生。たとえ王族であっても、狩りで子鹿を射ることは禁じられているはずですわ。そうではなくて?」


「迷い込んだ鹿がほんとうに幼くか弱い子鹿であったならば、でしょうな。はてさて、それは黄金の小鹿か、はたまた鋭い牙を隠した野獣けだものか」


彼はじろりとわたしを見た。


でも、父を真似た「先生」を否定しなかった。いい兆候だわ。


「わたくしとかかわっても利がないとおっしゃるのならば――」


わたしはさらなる利点を伝えるべく、言葉を続ける。


「我が家が取引をおこなっている者の中には、国外の情報に詳しい者たちがおります。わたくしが夜会でお伝えしたものも、その伝手で仕入れたものです。わたくしを導いていただくかわりと言っては何ですが、先生のご家業に関係のある情報は漏らさずお渡しすることをお約束いたします」


とうぜんながら、そのような商人などいない。夜会で口にしたのも小説に書かれていた情報を使っただけ。


しかし、今は嘘でもなんでも、とにかくラパント卿との縁を途切れさせないようにすることが何より重要だ。


本の知識を使い、如才なく振る舞い、彼の興味をひき続ける。そうして、しかるのちに目的を果たす。できるならば共同という形をとりたいけれど、水路の整備が間に合うことが第一なので、なんなら、開発の助言にとどめるだけでもいい。


もしカイルが親衛隊と片目を失えば、恨みは何倍にも募る。その怒りは、父ひとりの命ですすげるものではないだろう。


だから、わたしが生き残るためにぜったいに北の砦の事件は回避しなければならないのだ。


わたしは椅子から立ち上がり、頭を下げて頼み込む。


「わたくしに見込みがないと判断なさったら、いつでもお辞めになってくださってかまいません。どうか、わたくしに機会をください。お願いいたします!」


ちらと顔をあげて伺えば、ラパント卿はこちらを黙って見つめたまま、なにかを考えている。


表情からはその思考が読めない。


この人が中立をやめてカイルに協力を申し出たのは、追い詰められたカイルを見て哀れに思ったから。


だったら、わたしのことだって哀れに思ってもらえるはずよ。


だってここにいるのは、恐ろしい父を持ち、政敵ともいえる家に幼い身で嫁に出され、心細い思いをしながらもなんとか日々を耐え過ごしている健気な少女(自称)ですもの!!


わたしは同情を誘うようにもう一度深く頭を下げた。


「先生、どうか、わたくしを助けてください!!」

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