がめつい卿
「どのような石でも、どのような細工人でもご用意いたします、ラノビアさま」
ラパント卿の訪問から数日後のこと。
向かいに座った小太りな男が手をもみつつ、そう告げる。
ヴェルメール卿の件も小耳にはさんでいたのだろう。磨き上げられ細工されたものから原石まで、大陸中の石がぞくぞくと部屋いっぱいに積み上げられていく。
「どうぞ、何なりとお申しつけを。わたくしのことは、“がめつい卿”とでもお呼びください」
「まぁ、愉快なお名前ですこと」
わたしは貴族の娘らしく優雅に笑う。
ようやくだわ。わたしは心の中でため息をつく。
この人にいずれは接触を図らなければいけないことは分かっていた。そこへ都合の良いことに父が自ら商人を呼んでよいと言い出してくれた――までは良かったのだけれど、父にばれないよう、希望する装飾関連の商人の長いリストを作り、それを消化するのに数日かかった。興味もない装身具の説明を熱心に聞くふりをし、怪しまれない程度の価値と金額のものを選び出すだけでもうくたくただった。
他はすべて父の目を欺くための形だけのもの。わたしは、この目の前の男性、がめつい卿に会いたかったのだ。
彼は父の側の人間として小説に登場する脇役。登場シーンこそ多くないけれど、いずれ父の支援者のひとりとして資金を提供し、金銭的な面で陰で大きな役割を果たす。
卿と自称しているが貴族ではない。裸一貫でここまで上り詰めた商才がありながらも、貴い血ではないためにガラスの天井を突き破ることはできない。若干の揶揄を込めて、そう呼ばれている。
「けれど、宝石はもういらないの」
彼の揉み手が一瞬とまる。しかし、本当に一瞬のことだった。彼は手をほどくと荷を運び込んでいる荷役人を止め、ただし笑みは崩さず、それは残念なことでございました、とだけ告げた。
金持ちの気まぐれにも暇つぶしの道化扱いにも慣れている、ということだろう。
「でも、別のお話がしたいわ」
「もちろん、宝飾品以外も取り扱ってございます。ご希望の品がございましたら、なんでもご用意いたします」
「まぁ、頼もしい。ああ、それから先ほどのお名前のことですけれど、わたしのことは、そうね……テオドラと呼んでちょうだい」
彼がぴくりと先ほどより大きな反応を見せる。
名前を示したのは親しさの強調ではない。これからの相談に家は――父は関係がないと伝えたからだ。
「ほう……それはまた興味をそそられるお話でございましょう」
言葉とは裏腹に彼は目を細める。用心深さをたたえた、猫のように。
「しかし、宰相閣下どのにお呼ばれしたものと思っておりましたが?」
「ええ、父に頼んで。そしてわたしが、いま、あなたとお話をしているのよ」
父にばれないよう動きたいから呼んだのだと、わたしもあらためて伝える。
まっとうな商売人なら、宰相の娘が父の名を抜いてほしいなどと願っても応じてくれるはずがない。しかし、金のためならなんだってできる彼ならば、別だ。
「そうそう。わたしったら、お客さまにまだお飲み物もおだししていなかったわね」
わたしは一杯の葡萄酒を持ってこさせる。そして、開けた瓶は、ラベルが見えるように彼に向けてテーブルに置く。
「なんと、ありがたいお心遣いでございましょう」
そういいながら、彼がちらりとラベルに目をやった。
グータリング原産王国歴372年。
唇の端に隠しきれない薄笑いが浮かぶ。しょせん、子どもだという笑いが。
本当は飲む気にすらならないのだろうけれど、礼儀として手に取る。そして、グラスを近づけた瞬間、顔色を変えた。
「これは……」
彼は葡萄酒に浸るほどに丸い鼻をグラスにさしいれると、犬のように鼻をひくつかせて香りを確かめはじめる。指を入れ、指の腹で色を見てから、ゆっくりと口に含んだ。身体が一瞬強張ったあと、ごろごろとうがいのように風味を確かめ、やがてのどが大きく上下する。
グータリング地方は葡萄の有名な産地であったが、ある年に葡萄の病気が発生し、収穫高が減って、葡萄酒の味も落ちたと言われていた。しかし、実はその病気こそが葡萄酒の風味を高めることに繋がっていたと数年後評価が一変する。
この372年のものは病気が最初に出た年で、出荷本数も少ない上に毀損品だと大切にされることもなく消費され数を減らし希少性をさらに高めた結果、やがて途方もない値段で取引されるようになる。
それこそ1本で母のドレスと宝石がいくつも買えるほどの価格にまで。
がめつい卿が横目で葡萄酒のラベルをしっかりと記憶に焼き付けようとしているのがわかる。今度はわたしが唇の端に笑みを浮かべる番だ。
「残念だけれど、こちらの葡萄酒はすべてわたくしが買い占めたわ。市場にはもうひとつも出回っていないの」
はじかれたように顔を上げた彼の目の前に、わたしの合図で、不味い酒だと手もつけられずほこりをかぶっていた瓶が続々と運ばれてくる。ここにあるだけで終わりではない。借り上げた地下倉庫には樽も眠っているのだ。
「そちらの一本は今日のお近づきのしるしに差し上げるわ。そして残りは……あなたに託したいの」
その言葉にとつぜん彼が居ずまいを正した。目の前にいるのは小娘ではなく商売人だと、ここは間違いなく商談の場だと理解できたのだ。
「グータリングの葡萄園は藁ひと束ていどの値段で売られていたわ」
グータリング地方は、ある年の長雨による山崩れのおかげで水の流れが変わり、本来交差しない川が交わるようになってしまう。そのせいで、一帯は乾燥地帯でありながら陽が沈めば水分を含んだじめじめとした空気に包まれるようになった。土を入れ替えても、カビがつかないよう工夫をしても同じ。農作物は腐り、呪われた土地だと恐れられるようにまでなってしまったのだ。
「とうぜんながら……」
「ええ、買ってあるわ。そちらの管理もあなたにお願いしたいの」
彼が扱うのはモノだけではない。裏では情報や人――人身売買ではなく人材の仲介――もおこなっている。
「承知いたしました。登記のお名前はいかがいたしましょう」
「名義人を見つけておいて。口の堅い人をね」
「重々承知いたしました」
間髪入れない返事が、こういったことに手慣れていることを語る。
塩や砂糖の投機はよこしまな者たちによって買い占められ値が吊り上がり続けた結果、今や制限がかかるほどとなり儲けは少なくなっている。彼らは新たな対象を求めているはずだ。
今後、市場に登場していくわたしのお酒が、高級な葡萄酒界の基軸通貨になるだろう。
わたしはそっと胸をなでおろす。これで、今後の活動の継続的な資金が確保でき、一つの山は越えたことになる。
「それから、お願いがあるのよ」
「何でございましょう」
「今後、商業切符の拡充を持ちかけてきたかたがいらしたら、応じないでいただきたいの。もちろん、いまのあなたのお家では小さすぎるのは知っているわ」
この男が商業切符の拡充を狙っているのは小説を読んで知っている。手広くやるには、いまの市場では彼には狭すぎるのだ。けれど、彼と父を組ませるわけにはいかない。わたしの行動が物語にどう影響するか分からない状況で、少なくともこちらが把握できない資金で父に自由に動かれては困るのだ。
前のめりぎみになっていたがめつい卿が、水を差されたように姿勢をなおした。
「これはこれは……まさか黄金を前にして嵐逆巻く大洋の中を行き先も告げずに船を出せと仰る?」
「あら、あなたのように優秀な船乗りならば、どちらに風が吹いているかわかるものではないのかしら――そうそう、船と言えばラパント卿はご存じ?」
「ええ、無論でございます」
「わたくしね、あの方とあるお取引をしているの。事業を興す予定なのよ」
これは完全に嘘。
でも、ラパント卿はわたしの先生となることを了承した。
いずれは、彼の信頼を勝ち得て、水路の共同事業者となる――つもり。
「ほう、かの海運卿と。まことに、おめでとうございます」
「そのさいは、あなたにも是非、助言をいただきたいわ」
「なるほど。お話は理解いたしました。……たいへんに魅力的なお誘いでございますな」
彼が笑みを浮かべた。その笑顔の下で算盤を弾いているのが伝わってくる。
葡萄酒に投機したことによって、わたしはすくなくとも商売の才をみせた。さらに、わたしがラパント卿――がめつい卿の立場では顔を合わすことすらできない人物――と繋がりがある以上、彼にとってわたしは価値があるはずだ。
もし、ラパント卿と何かしらの友誼を結ぶことができれば、商業切符の拡充などというものは子どものままごとになる。荷を海の先まで運べば、彼の市場は世界中へと広がるのだから。
一見不利益でしかないような条件が付帯したとしても、それ以上の利があるとわかったなら乗ってくるはずよ。この男は誰よりも金のために動くのだから。
どうじに、彼と手を結べたからと言って安心してはいけない。
彼は、何よりも鼻が利く。
父と手を組んだときも引き際を心得ていて、がめつい卿は商業切符の拡充という目的を手に入れながら捕まることなく一連の事件をまったくの無傷で乗り切った。
彼は真実、優秀な船乗りであるのだ。風を読み、時勢に合わせ簡単に帆の向きを変えられるほどに。
「あともうひとつ、お願いしたいことがあるのよ」
「うかがいましょう」
いまのわたしは小説のわたしとは違う。だとしても、いずれ宰相家は犯罪者の一家の烙印を押されるから、セシリエ嬢とふたたび親しくすることはできない。迷惑が掛かってしまう。
わたしたちの仲がこれ以上深まることも、あの日々も、もう戻ることはない。
知っている。
彼女は物語とは関係がないことも、わたしがいまあの家のために動く必要がないことも。
父を相手にするならば寄り道などしていられない。全力で立ち向かわなければならない。だとしても、
「……利益の一部をセーディ家に投資しつづけて」
わかっている。これは、たんにわたしのけじめだ。




