捕縛
凄まじい警鐘が頭の奥で打ち鳴らされて、吐きそうな気分だった。
嫌だ。絶対に嫌だ。どうしても嫌だ。途方もなく嫌だ。これはまずい。命の危機だ。自分みたいな弱い奴は目立ったら死ぬ。何としてでもここから逃げなければ。今のシノレの思考を占めるのはそれだけだった。教え込まれた常識も礼節も見事に吹き飛び、奴隷時代の本能に支配されていた。
大扉は分厚い石で作られており、シノレ一人の力で動かせるものではないはずだった。だがそれでも、動かさないといけない。何としても動かす。そう決めた時、例の耳鳴りが響き、一瞬だけ静かになった。魔力が独りでに流れ出し、大扉の一点に集中していく。
勝手に開き出した扉に、またどよめきが響いた。それを振り払うように、開いた隙間を抜けて外に出る。頭に響く反動も無視して走り出そうとして――いきなり誰かにぶつかった。
見覚えのない男だ。鎧を付けた実用的な騎士の出で立ちであり、どうやら貴族ではなさそうだった。鎧に弾かれながらも受け身を取り、逃げようとしたシノレの腕を彼は咄嗟に掴んだ。
「……!?な、何だ、君は一体……?」
やや吊り上がった目が、驚きを浮かべて固まっている。その目の中に、咄嗟に魔力を叩き込んだ。騎士の体勢が崩れ、その場でたたらを踏む。呻き声が響く。しかし、シノレが受けた反動も大きかった。一瞬動けなくなったシノレに、再び衝撃が襲い掛かった。
『…………どこへ行く』
知らない声がまた、凄まじい音量で頭の奥に響く。得体のしれない強靭な魔力に打ち据えられる。酷い眩暈と耳鳴り、そして指の痛みに襲われ、意識が遠のいた。それでも緩んだ手を無理矢理振り払おうとした時、慌てた声に追い縋られた。
「シノレ様……!」
息を切らして追ってきたのはシエナだった。彼女の切迫した声に、騎士は顔を上げて応じる。シノレを掴んだ手にも力が戻る。
「……シエナ様ですか。これはどういうことでしょうか」
「あ……お、お久しぶりです。良いところに来て下さいました。挨拶もそこそこに失礼しますが、そちらの方にお怪我はありませんか!?」
「ええ。突然気絶してしまいましたが、見たところ怪我はしていません」
気絶はしてない。体が動かないだけだ。朦朧とする中、何とか周囲の様子を探ろうとするが、それも難しかった。そもそも宮廷語でやり取りされると、何を話しているかもはっきりしない。
「それは良かったです……!それでは、こちらへどうぞ。……一体どうかしましたか?ここに来たということは、何かあったのでしょう?」
「はい、その通りです」
騎士の声が張り詰めた。シノレを捕らえた手にも力が籠る。
「北部で異変が起きております。そのご報告と、大公家の指示を仰ぐために参りました」
そこで一旦言葉を切り、少し躊躇ってから聞く。
「……ところで、ゼファイ様はいらっしゃいますか?」
「はい、典医代理は大公様のお傍にお出でです。今は手が離せないと思うので、一旦こちらへ。シノレ様も休ませないといけませんし」
そうしている内にレイグたちも追い付いてきた。
「……シノレ、いきなり何のつもりだ。あまり煩わせるな」
「いやあ、びっくりしましたね。何だったんでしょうか……。…………君、大丈夫ですか?随分顔色が悪いですが」
かくしてシノレの逃走は挫かれ、呆気なく異教の騎士に捕まったのだった。




