『虚月』①
楽団にいた頃、シノレは最下層の奴隷だった。様々な人間がそこには落ちてきた。中には、令嬢と呼ばれるような出自の者もいた。何人かはそれこそ、この城に出入りする者たちに劣らぬような、力と富を持つ家の娘であったろう。
しかし――楽団で女に生まれた者の人生など、無残なものだ。たとえどんな富豪の家に生まれても、娘ではまともな教育も相続も受けられない。家長の意向によっては、娼館に入れられることすらありうる。良家に生まれ良家に嫁ぎ、しかし自分の名前すら満足に書けない者も少なくない。
いわゆる婚姻をしたところで、それは何も変わりはしない。それによって家同士の関係や利害が変化するというわけでもない。
騎士団や教団でよくある政略結婚など、結局は「女性は家同士を結び付け、益をもたらすことができる」という前提ありきのものだ。女という存在に一定の力と価値を認める、その土壌のない場所では成立しない。
妻――婚姻制度のない楽団で、この呼称が適切かは分からないが――や娘のやり取りなど、言葉を選ばず言ってしまえば、牛馬のそれと大差ない。どこの娘がどこに嫁ごうと、何も影響など与えない。
(良いとこのご夫人とかご令嬢とか、それに対する対応とか、教団に来て驚いたことの一つだったなーそう言えば……)
……例えば、シノレが知るとある娘は、無理矢理かどわかされて売り飛ばされた。ある日やってきた男を見て、「お父様」と呼びかけ助けを求めた。シノレはその時、別の檻から一部始終を見ていた。
だがその「お父様」は、娘を見ようとすらしなかった。冷めた目で周囲を見渡して、それだけだった。後は淡々とやり取りを終えて帰っていった。その後その娘がどうなったのかは、シノレも知らない。
シノレは、娘を救おうとした父も、妻のために犠牲を払った夫も、未だ見たことがない。
楽団では女の価値は極端に低い。そういう世界で生まれ育ったシノレにとって、少女一人の命が軍略を左右するという話は、何とも奇妙なものに感じられた。
ただ、何度も言い聞かされたことだが、楽団と教団は違うのだ。そしてきっと騎士団も。そういうことを言ったらまた怒らせそうなので、シノレはその考えを飲み込んだ。
「仮に異変が起きたとしても、それは軍の領分。お前が何よりも優先すべきは、聖者様のお傍付きとして、二度と先月のような失態をさらさぬよう研鑽することである。良いな?」
「……分かりました」
シノレは何となく、南の方を見た。小さく眉を寄せた表情に、ジレスが問いかける。
「お前は最近、やけにあちらの方を気にしているな。南に気になるものでもあるのか?」
「いえ、別に……ないはずですけど」
どうなんだろう。確かに最近、南の方を見ることが多い。自分でもうまく言えないが、何だか気になってしまうのだ。
「…………」
「おい、おい。聞いているのかシノレ?」
「…………。…………っ!?」




