ラディスラウの述懐
セネロスのその祭壇は、地下の奥深くに存在した。
大公家の至宝の一つともいえる、月の鍵。それを安置する祭壇を収めているのは、地中に杭を穿つように掘られ、逆さに作られた塔である。この古代の遺物は、何百年とセネロスの宮殿地下に人知れず眠っていた。こういった建築は旧時代のものに珍しくなく、各地に存在する。楽団に残る審議の塔も、その一種だ。
「なるほど、こうなっているのですか。これは、なかなか……」
地下のため時間は分かりにくいが、外ではもう月が沈んでいるだろう。そう言えば、昨夜は満月だったか。
夜が終われば、セネロスは眠りにつく。その前にやっておくべきことがあった。
祭壇の手前で、ラディスラウは待機していた。だが、先ほどからどうにも気にかかるものがある。彼は古びた小机の上にかけられた布を取り払い、中をしげしげと観察した。
「ふむ」
ラディスラウは呟き、盆の上に積まれた魔晶銀を一つ手に取った。
微妙に、濁りが足りない。内部の魔力も不均一だ。これでも売り出せば相当の値がつくことだろうが、純粋な質で言えばやや落ちる。気にするほどのものではないが、やはり他の魔晶銀と比べると見劣りする。
ラディスラウはそれに魔力を注ぎ、ごくゆっくりと、慎重にまとわせていった。足りないところには魔力を流し、多少整える。例えるなら、石を魔力を使って磨き上げるような要領だ。
それなりの技術と根気は要るが、作業自体は難しくない。下等の魔晶銀はそうやって、深く濃く魔力を注いでやれば、幾らか上質なものへと変質する。程なくして、手の中の魔晶銀は周囲のものと変わらぬ質になった。
「……まあ、これは契約外と言えますが」
今回のことは、滅多にない事例だ。何十もの大量の魔晶銀を消費するのだ。注ぎ込む費用は絶大なもので、ここにきて出し惜しみをする意味はない。まあこれが失敗したところでラディスラウは困らないし、総帥も然りだが、成功するに越したことはないのである。
ラディスラウ個人としても、滅多にない好機を与えてもらったのだから、このくらいの謝礼を惜しむ理由はない。
古の伝説、虚月を動かす瞬間など、早々見られるものではない。この数百年に一度の珍事を、直に観察できるのだ。
「……そこに、いるのは、誰か」
「ああ、こんにちは」
かけられた声に、ラディスラウは動じずに返した。上へ続く階段から現れた大公は、落ちくぼんだ目で、震える膝を支えて立っている。
ただ階段を降りるだけでも、体に響くのだろう。それでも執念で動いているような有様だった。
「大丈夫ですか。お薬をどうぞ」
「あ、ああ……ありがとう、リーデル……」
他人の名前で呼びかける大公は、目も足もまともに利いていないのだろう。全身が痙攣して、座り込んだ体勢でも酷く危なっかしいものがあった。
「……いつもの、こと、だが。君がいると、体の痛みが和らぐな……」
「お役に立てたのなら、拙も嬉しいです」
手を貸しながら、祭壇へと導いていく。ここにはまともな光源はないというのに、不思議と明るかった。祭壇にあるもの自体が、常に燐光を放っているからだ。
時代に置き去りにされ、人に忘れられても、千年以上、絶えることなくずっと。
「————……」
大公はそこに、長いこと立ち尽くしていた。虚ろな目で、これからしようとしていたことも忘れてしまったのではないかと、そう思わせる顔だった。しかし思い出したように、長い時間をかけて声を絞り出す。
「贄は………………揃っているのかね」
「ええ、こちらに。準備は万全です。どうぞお取り下さい」
ラディスラウは魔晶銀の盆を持ち上げ、祭壇脇の所定の位置に置いた。




