遠い過去の夢
——どうして最近、昔のことばかり思い出すのだろう。浅く眠りながら、レアナは過去の夢を見ていた。
あれからもう、十年近くも経つのだ。あの日午睡から目覚めた彼女は、聞かされた報告に跳ね起きた。
――おかあさまが帰ってきてくれた!
幼いレアナは、喜び勇んで部屋を出た。頬が緩み、足取りは弾む。
だって、母に会えるのは久しぶりなのだ。冬に体調を崩してから母は宿下がりを願いでて、実家に戻ってしまい——それから大分経過していた。具合が悪くて、仕方ないのだと兄から聞かされていた。折に触れて手紙は貰っていたが、やはり寂しかった。
庭に飛び出す。会いたくてたまらなかった人は、すぐに現れた。遠くても見間違えるはずはない。
「おかあさ――」
喜び勇んでそう叫んだ少女の顔は、一瞬で凍りついた。
「久しぶりね。大きくなって……」
「おかあさまも……あの、大丈夫……?」
久しぶりに会った母は、しかし元気になったようには全く見えなかった。寧ろ以前よりもずっと憔悴しているように見えた。喜びに輝いていた少女の頬が、たちまち不安で曇った。
それでも母は駆け寄った少女を抱きとめ、優しく頭を撫でた。その手も冷たく震えていて、喜びと同時にどうしようもなく不安がこみ上げる。
「……だから、ラーデン。この子のことも、どうかお願いね」
「…………はい、母上」
一緒にいた兄もまた、青白く強張った顔をしていた。母の言葉に、血の気の失せた唇を結び、小さく頷く。どうやら母と兄は、自分が来るまでに何か話をしていたらしい。少女は事態をよく呑み込めなかったが、何かただならぬことが起きているような、そんな空気を感じていた。
妙な胸騒ぎがして、少女は顔を上げて窓を見る。その向こうには小さな林道が続いていた。この館から見て左手の方角には、更に大きな館や施設が立ち並んでいる。それは少女も知っていた。そこは、この館よりも立派で広々としている。
そこは、「えらい方たち」がいらっしゃるところ。少女はそう聞いていた。年に数回ほどしか行くことのないそこは、この館を世界としていた彼女には、庭を抜けた門の先は丸ごと別世界と言ってよかった。
…………思えばこの数日、そちらの方が、慌ただしかったような気がする。
胸騒ぎが確信に変わったのは、その門の向こう側から、着飾った女性がやってきた時だった。嵐を孕んだような怒りの気配が、びりびりと肌を震わせた。
――とても怖いことが起きた。今も、それはきっと。理屈ではなく肌感覚で、少女はそれを感じ取った。
「戻りましたか。まるで尾に火のついた鼠のように……弁明にでも来たのですか?」
「…………奥方様。どうか、憐れみを。私は何一つ関与しておりません。奥方様を裏切るなど――」
蒼白な母が、その前に立たされる。すぐに兄が少女の手を引き、潜めた声で囁いた。
「レアナ、あっちへ行こう」
「まって、やめて、お兄様……!」
兄は少女を抱きかかえるようにして引きずり、強制的にその場から離れさせた。幼い少女に、それに抗う力があるはずもない。
程なくして、凄まじい怒声が聞こえてきた。振り返ろうとした彼女の顔は引き戻される。なすすべもなく引きずられ、やっと解放されたのは声も届かないほど離れてからだった。
「おかあさま、怖がってた……助けないと……!」
そう思うのに、どうしようもなく声は震えた。そんな彼女を、兄はただ抱きしめた。
「……眠っていましたか」
レアナは未だぼんやりした頭を抑え、ゆっくりと伏せていた顔を上げる。諸々の気苦労に、母の看病疲れもあって、最近あまり眠れていない。
軽い休憩のつもりだったのに、こんなに寝てしまうとは。長椅子から気怠い体を起こす。窓の方を見ると、もう夜のようだった。




