教主レイノスとリゼルド
急ぎ旅を終えたリゼルドは聖都に入り、その足で指定された館に赴いた。
「レイノス様久しぶり~!!」
「ええ、リゼルド。よく戻ってくれました」
リゼルドは一年前と同じ部屋に入って、同じように声を弾ませたし、レイノスも同じ笑みで応じたが、勿論全てが一年前と同じではなかった。
「いやあ、大変なことになってるね。聖都に来る途中でも色々聞こえてきたよ」
「全ての難事は神の試練です。原罪を贖い、神の天秤を傾けるための。全ての教徒が力を結集させれば、必ずや乗り越えられるでしょう」
「そうだね!!それで、僕は南の指揮をするってことで良いの?」
「とにかく一度座りなさい。話したいことがありますから」
リゼルドを着席させ、話をする。最初に聞いたのは、優先度の高いことだ。具体的には、つい先日の北部の異変である。
「君の異母兄、ルドガーが手勢を率い中枢を急襲、多数を殺害の上都市ごと占拠したそうですね。この件を、君は予知した上で離れたのですか?」
リゼルドは「そんなことないよ?」と白々しく笑った。
「あいつがこんな真似するだなんて、考えもしなかったさ。普段従順な奴が切れると怖いね、勉強になったよ」
「……であれば、当主としての監督不行き届きを問わねばなりません」
「好きにするといいよ。でもさ、レイグだって領地で不祥事起こしたみたいじゃん」
「…………そのようですね。だからこそ、それも含めて今後の対処を考えなくては」
「まあ、そうだね。楽団側でも、アルデバランとバルジールの分裂が起こったって聞いたよ」
危機的状況にも関わらず、リゼルドは実に楽しげに笑う。全く、どこも大騒ぎだ。これまでが静か過ぎたとも言うが。
「ルドガーもそれを織り込んでやったんでしょ。この機に勢力を広げる気だろうね……略奪とか、破壊とか、懐柔とかで」
「その通りです。今は勧告に留まっているようですが、いつ暴挙に出てもおかしくはありません。実際北部の数都市は、離反の兆しが見えつつあります。対応のため、一先ずセルギスに向かってもらいました。君からも詫びと連絡を届けておくように」
「分かった、後でやっとく」
にしても、とリゼルドは周囲を見回す。奇しくもそこは、一年前に来た部屋と同じ場所だ。聖都を脱走したシノレを連れ戻して、ここで色々と話をした。
あれは楽しい時間だった。久々に、主君に似て非なるみすぼらしい少年を思い出す。
「……あれからそろそろ一年くらいになるのか……そう言えば、シノレどうしてるの?まだ聖者様と一緒?」
連想が引き出した何気ない質問だった。深い意図は無かった。だがリゼルドは、それに主君が僅かに反応したのを感じ取った。表情や仕草や声音に、それらしい乱れが生じたわけではない。ただ第六感としか言いようのない場所で、リゼルドは微妙な冷たさを感じ取った。
「シノレでしたら、聖者様とともにシアレットにいるそうですよ。報告を見る限り、格段の異変は無さそうです。先月の事件で負傷したという話も聞きませんし、今も従来通り過ごしているのではありませんか」
銀髪の主君は、いつも通りの笑みと声だ。けれど何かが滲む。情感ではない。さりとて無関心でもない。もっと冷ややかな、鋭いものだ。目に見えないほど細い針のような――
「へえ、そっか」
中々面白そうである。あの勇者とやらをつつけば、更に何か楽しいものが出てくるかもしれない。覚えておこう――高揚を笑みの中に隠して、リゼルドは更に畳みかけようとして、
「ところで、サレフという人物を知っていますか」
その前に、レイノスは水を向けた。リゼルドの反応は、案の定のものだった。
「は?誰?」
「セヴレイルの派閥の、軍人の一人です。ウィラントの街の防衛を任じられていましたが、防壁の攻防において判断を誤り失陥。現在は生死不明なようです」
それに対するリゼルドの反応は淡白なもので、「ふーん」というものだった。何故教主がその話題を持ち出したのか、理解しているのかすら怪しい。
「その者は、ユリア嬢と……君の婚約者である人と、以前から親しかったようです。それを知ったリシカは、大変な剣幕でしてね。君との話を破談に持ち込もうと毎日のように働きかけているんですよ」
「へえ、そうなんだ。それで?」
「……君たちの縁組は急遽決まったものですから。それまで殆ど面識もなかったでしょう?こういう機会でもなければ、きちんと話し合う時間も取れないでしょう。今後のためにも会っておくのはどうですか?」
リゼルドはそれに小さく笑い、
「話すも何も。母上一人まともにあしらえない人と話したいことなんて何も無いよ」
それに教主は、寸時思案した。彼にとってこの話は、自ら仕向けた縁談だ。壊したいわけではない。ただ、不安材料が多いのも事実である。
命令すれば、おそらく従うだろう。だがそれは良い結果に繋がるかは甚だ疑問だ。
寧ろリゼルドの場合、下手に相手を気に入った方が悲惨なことになりそうだ。跡取りを作るだけの契約と互いに割り切る方が、案外一番穏当なのかもしれない。
「……大体、そんなことしてる暇あるの?教団領の安定を取り戻すために、僕は呼び戻されたと思っていたんだけど」
「その通りです。ですが戦いに赴くからこそ、必要な時間があるでしょう。まさか、一度も屋敷に戻らず出発するつもりですか。少しの時間でも帰ってあげなさい。リシカも待ちかねているでしょう」
「……まあそうだろうね。でも、それより会いたい相手がいるんだよね」
「会いたい相手、ですか」
リゼルドは一度目を閉じた。異母兄たちのことを思い出して、笑みを深めた。心から楽し気な表情だった。
「あいつらと違って、中々一緒にいられないんだから。忘れられたくないじゃない」
そして主君に、ある悪だくみを持ち掛けた。




