楽団総帥の息子たち
「ふふ。最近南が賑やかになって、その分こちらは静かだね。このまま何事もなく、穏便に去ってくれれば良いのだけれど」
「……どうでしょうね。ヴェンリル家がそう簡単に引き下がるとも思えません。油断は禁物かと」
「しかしこうなった以上、あちらの総大将はシルバエルに戻るしかあるまい。今月は穏やかに眠れそうだ」
リゼルドが陣取った地点から、遥か西。ブラスエガの城にて、アルデバランとバルジールは久しぶりに同じ食卓についていた。南方でワリアンドと教団が戦端を開いたことは、既に彼らの耳に入っている。
朝の光の中で、食器を動かす音もなく、ただ談笑の声だけが響く。数ヶ月ぶりに会った兄は以前と全く変わらず、品の良い紳士としか言いようのない風体だった。
次男であるアルデバランは、総帥が非常に若い頃に作った子であり、年齢も十と少ししか違わない。彼は兄弟の中で最も総帥に似た姿形をしていると言われているが、その雰囲気は微妙に違う。総帥は沈思している時でも、小さな火花一つで全てを焼き払いそうな烈しさがあるが、アルデバランはただ穏やかで、その分底が知れないところもあった。
未だ二十にも届かないバルジールに対して、アルデバランは倍以上の経験と戦歴がある。親子ほどに年の離れた兄弟は、その日も表面上は和やかに笑いあった。
「……しかし、思えば何とも理不尽な話ではないか。我らが先代教主の死に関わったという確証があるでもないのに、勝手に因縁をつけられて攻め込まれたのだよ?」
「……そうですね。教団にとっては、新体制のもと結束を強めるためにも必要だったのでしょう。外部の、仇との戦争が」
「そのためにこのブラスエガは標的にされたわけか。挙げ句あんな州都防衛に関わるところまで攻め込まれて、全くついていない」
つまらない因縁で攻め込まれる――その程度のこと、楽団では日常茶飯事だ。それを分かっていないはずもないだろうに、アルデバランは言葉遊びのように嘆いてみせる。
サダンが落ちれば、州都への道中における軍事拠点がほぼなくなり、存亡の危機に晒されることになる。けれどそれは実のところ、それほど大きな問題ではない。
ブラスエガは広大だ。仮にここが落ちたとしても、主要拠点となる街は幾らでもある。事前準備をきちんと行っておけば、州都の代理とてこなすことができる。そこで地盤を整えれば、まだまだ抗戦することができる。これまでにも何度かあったことで、ワリアンドのヴィラ―ゼルも似たような状況にあると言える。
そしてそうなれば、仮に旧都を落としたとしてもその先に待つのは、教団領全てと匹敵する領土と資源、そして兵力だ。
教団にはとてもではないが、その全てを制圧するだけの力はない。あったとしても利益と損失が釣り合わない。先代教主の仇討ちだのと言っても、戦とは結局のところ、利益を得るためにするものだ。程々のところで手打ちにせざるを得なくなる。だから、彼らはそれについてはそこまで心配していないのだった。それよりも――
「……使徒狩りが遂に始まろうとしているが、バルタザールはどうするのかな。君は何か聞かされているかい?」
「妨げになるようなことは何もしないと思いますよ。あの人は昔から、妙に教団……というかヴェンリル家を敵視していますから」
「それは意外だな。あれは嫌いなものは根絶やしにする気質とばかり思っていた。だが、あれからもう十年だからね……丸くなったとしても不思議はないか」
アルデバランは微笑んで首を傾げ、
「ところでバルジール。地境が一旦平穏になったからこそ言うのだが……ツェレガに行ってみる気はないかい?」
穏やかに発されたその言葉に、バルジールは同じく笑みを返して考え込んだ。
ツェレガは楽団の北端だ。主要な地域ではない。地図上では中央から遠い辺境に見えるし、事実その通りだ。
だが、ただの辺境ではない。軍事力や資源という点では他よりも抜きん出ているくらいだ。何より、北である。魔獣がいる。魔獣がいる場所では、魔晶石が採れる可能性が高まる。
魔晶石の産出や人為的な作成については、総帥の長年の研究分野でもある。それだけではない。魔晶石は、継承戦において一発逆転の切り札となりうる。魔晶石の発生量やその流れについて、彼らは絶えず情報を集めて見張っている。そこを手中に収めておくのは、決して悪いことではないだろう。
ただ、これは、アルデバランの試しだと感じた。
大人しく北へ行くのなら良し、行かないのなら造反と見做す――こうした試練を仕掛けられたことは、これまでにもあった。
「勿論。兄さんのお望みとあらば、どこへなりとも赴きましょう」
バルジールは静かに笑い、そう返事をした。




