刺客
その日の夜更け、些細な物音でラーデンの意識は覚醒した。まだ夜が深いのか、辺りは真っ暗だ。
早くも見慣れた静かな自室――けれど、何か異変が近づいている気配がする。音を立てずに起き上がり、明かりもつけずに枕元に手を伸ばした。少し迷ってから、短剣を引き出す。銃では音が響くと思ったためだ。
そうしている間にも、何かが音もなく近づいてくる。扉に肩をつけるように待ち構え、頃合いを見計らう。すぐそこまで近づいた瞬間勢いよく開け放つと、何かにぶつかる手応えがあった。闇の中で動く影目掛けて、彼は抜き身の短剣を振りかぶった。
すぐに決着はついた。血の始末をし、もう動かない体を引き摺っていく。そうしながらもラーデンは、昼間の何気ない忠告を思い出していた。
「今宵はどうやら、一雨降りそうですね。雨戸は閉めておかれますよう」
独り言のようにそう言ったのは、ヴェンリルの分家筋に属する古参の将ベルナーだった。滅多に声をかけてこないあの老臣がああ言った以上、何か起こるだろうと思っていた。こうしたことは初めてではないし、珍しいことでもないのだ。
思い浮かぶのは、庶子への罵りと恨みを叫び立てるリシカの姿だ。これを、彼女は心から我が子のためと思っているのだろう。
そしてリゼルドもまた――気づいているだろうに、このことについて母親を制しようとはしない。推測だが恐らくは、その程度で死ぬような軟弱者なら用はないということなのだろう。仮に刺客に兄たちが殺されたとしても、数日もすれば存在ごと忘れよう。だからこそ、自分の身は自分で守るしかないのが彼らの現状だった。
刺客を捨てるために、隅へ隅へと移動していく。やがて、城壁の近くまでやって来た。ここまで来れば、後は潜戸から適当に放り出しておけば良い。この外であれば、死体が転がっていても不自然ではない。ありふれた戦死者として片付けられるだろう。刺客の死体をそこに移してから、やっとラーデンは一息つくことができた。
危機は去ったが、安心してはいられない。服を変え、短剣の血糊も落としておく必要がある。廊下の痕跡は消したが、確認と点検は欠かせない。朝が来るまでに、何事もなかったように片付けなければ。静かに、けれど足早に歩いていた彼は、ある場所で足を止めた。
「あれは……」
見覚えのある横顔が、先の道からやってくる。同じ庶子であり、彼にとって異母弟に当たるルドガーだった。隣には、同じく見覚えのある茶髪の男の姿がある。何か話し込んでいたようで、やがて二人は岐路で別れて、別の道に入った。
ルドガーは同じ妾腹の子と言えど、母親は違う。だから殆ど関わることもなく、別々の館で育った。リゼルドが当主を継ぎ、楽団との戦端を開くまではそれほどの交流もなかったのだ。けれど――ラーデンは少し考えてから、その後を追った。「ルドガー」その呼びかけに、相手は一瞬動きを止めてからゆっくりと振り返る。
「ラーデン……」
「……あの茶髪の男……ロナンと言ったか?……ハーヴェスト家との繋がりがあるそうだな。それは良くない。当主様や、その側近たちがどう思し召すことか」
その言及に、ルドガーはあからさまに顔を歪めた。それに向けて、できる限り淡々と忠告する。それは自分と家族のためであったが、同時に彼らのためでもあった。まさかそれを口に出すほど恥知らずではないが。
「ハーヴェスト家のことは知っているだろう。君の立場で、そのような相手と関わるなど……自分が何をしているか分かっているのか。あまり妙な動きをしない方が良い。当主様の勘気に触れれば今度こそ……」
そこで口を噤む。それほど、打ち返された視線に宿る憎悪は深かった。ルドガーは薄闇の中でも分かるほどの怒りを滲ませ、彼を無視して立ち去ろうとしたが、耐えかねたように呻きを零す。その声も視線と同様、明らかな憎悪と恨みに濡れていた。
「当主様当主様と……それしか口が利けないのか。媚びへつらうしか能のない犬が」
「……当主様に仕えることが我らの本分だ。それ以上のことは必要でないと言っている」
「ふん、お前にはそうだろうな。お前が気にかけているのは、巻き添えを食うことだ。同じ庶子の誼で……考えるだけに汚らわしい。結局お前はそれしか案じていない。お前は我が身が何より大事な男だから」
これ以上同じ空気を吸いたくもないと言わんばかりに、ルドガーは踵を返す。最後に一言、彼はこう吐き捨てた。
「あんな……あんな真似をしておいて、今更お前などの言葉が聞き入れられると思うな」
「――――……」
ぶつけられた憎悪に、彼は息を吐き、黙り込んだ。それについて、ラーデンが詫びることは決してない。彼はルドガーに負い目がある。それでも、それを後悔はしていない。あの時ああするしかなかったと、その確信があるからだ。詫びて良いことではないし、今更それで何が救われるわけでもないのだ。ただ彼は立ち尽くし、言葉もなくその背を見送った。




