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サウスロイ

 月末の戦地でも、地境に関わる噂は広がっていた。南からワリアンドが攻めてきたなら、教団はそちらに全力を向けざるを得ない。ブラスエガと両立させることはできない。いつ命令が下るかと、人々の話題はそれで持ち切りだった。


 陥落させた楽団の都市に居を構え、サダンの攻略は未だ終了していない。リゼルドがここからどうするのか――そこが人々の目下の関心事であった。


 日はもう傾きかけている。サウスロイは人混みを縫うように歩を進める。そんな噂話の数々を素通りして歩き、塔へ差し掛かった時だった。


「いたいた、サウスロイ」


 上から呼び止められて、声の方を仰ぎ見る。頭上の窓からリゼルドが顔を出していた。風に吹かれた長い黒髪が、鳥の羽のように影を広げる。


 逆光で表情は見えないが、あまり機嫌が麗しくなさそうだと感じた。


「ちょっと、付き合って?」


 石造りの無骨な塔の頂上は、この街で最も眺望が良い場所だ。屋上だけあって、見事な眺めだ。街の全貌を見渡せる。攻め落とした際の惨禍の痕跡も生々しく、不吉で雄大なそれはまさに王者の景観と言えた。


 まあしかし、サウスロイ自身は一介の道化だ。ここで下手を打てば月へ行ってこいとでも言われ、空中遊泳と洒落込む羽目になるだろうが。


 すぐさま使用人たちがやって来て、食事が即座に整えられた。サウスロイはリゼルドの視線と手振りに従って席についた。リゼルドの異母兄であるラーデンとルドガーもいたが、彼らよりも格上の、リゼルドに近しい席である。


 奴隷が主人と同じ食卓につく。まして、使徒家に連なる教徒よりも上座に座らせる。聖都では絶対にあり得ないことだが、リゼルドの近辺では珍しいことでもなかった。


 食前の祈りは省かれた。リゼルドの気分や来客の顔ぶれ次第ではすることもあるのだが、今夜はそういう気分ではないらしい。まあその場合も、教徒でないサウスロイはすることもなく待っているだけなのだが。


「はい。食べて」


 配膳された皿から、リゼルドが適当に切り分けて三人に配る。どこを切って誰に渡すかはリゼルドの気分で決まる。そして全員が食べ終えるまで、自分の皿に手を付けないのが常だった。


 そうすることで毒見を行うのだ。合理的かつ無慈悲な処置だが、それはある種の愛情表現でもあると、サウスロイは第三者目線から察していた。


 魚の塩焼きだった。香ばしく焼き上げられ、脂の甘みも味わい深い一品である。素材を選りすぐり、料理人が丹精込めて仕上げなければこうはなるまい。ごちゃごちゃ調味料や手数を加えるなという縛りを課せられて尚、弛まぬ研鑽をしたことが伝わる味であった。


 しかしそんな献身も、リゼルドにとっては限りなく無価値に近いというのが現実だった。リゼルドにとって食べ物の判断基準はたった一つ、毒が入っているか否か、それだけである。


 後ろに控える侍従たちをちらりと見た。誰もが無表情で、隙のない姿勢で待機している。

 給仕を行う彼らには、食前の毒見の役割も与えられている。食卓に並ぶ品々もとうに確認されていることだろう。


 だがリゼルドはそれで満足はしない。正規の毒見役がいるにも関わらず、部外者にも確かめさせる。必ずと言っていいほど。


 それは彼らの忠義も、能力も、何一つ信頼に値しないという宣言に等しい。代々一族を挙げて仕えてきた者にとって、これ以上の屈辱はなかろう。


 だが、彼らはそれに甘んじるしか無い。

 そうせざるを得ない事情がある。


 食事は粛々と進められた。リゼルドが口を開かないのなら、彼らに話す理由はないし、その権利もない。


「……非常に残念なことに、聖都に行かないといけなくなったよ」


 皿が下げられたところで、水を口に運びながらリゼルドは言った。すぐさまサウスロイが合いの手を入れる。


「おや、それではこちらはどうなさるので?」

「こうなったら、サダンは一旦放置せざるを得ないよね。僕としても残念だけど……」


 残念。その言葉は二回目だ。ここで危険を感じないとすれば、それは相当鈍い人間だ。ひょっとしてここにいる誰かに責任を被せようとか、そういった話だろうか――そう思ったサウスロイは酒に手を伸ばした。


「ああ、これは良いものですね。年代物ですか?」


「……主人の前で良くやるね~?」

「お毒見を済ませたのですよ。御主人様の御身に何かありましては、仕える者の名折れですからね」

「なるほど物は言いようだ。……でも僕、酒は飲まないんだけど?」


 教団では十五で成人、それとともに飲酒も解禁される。しかし未だ、リゼルドは酒に手を付けたことがなかった。サウスロイも当然知っていることだ。


 リゼルドは呆れたように笑ったものの、多少機嫌が上向いたようだった。愉快そうに細めた目を一瞬斜め上に流す。そこには既に群青に色を染め替えた空が広がっている。


「……まあとにかく、僕は使徒家の当主として、地境のことをちゃんと考えないといけないんだよ。ここのことも、あっちのこともね」


「ですがあちら側は、どちらかと言えばカドラス家の領分では?」


「楽団が攻めてきたんじゃ仕方ない。騎士様たちだと対応しきれないことも出てくるからねえ」


 騎士団の兵と楽団の兵では、装備や戦い方が全く違う。最たる違いは装備の重さだ。楽団は軽装兵、騎士団は重装兵が多い。

 つまり機動力に差がある。対騎士団に特化し、自らも騎士としての戦い方を主とするカドラスは、一つ間違うと後手に回ることになる。


 そしてリゼルドは頬杖をつき、わざとらしいほどにこやかに笑う。食事の作法からは外れているが、その仕草は妙に似合っていた。


「だからさあ?大部分はベルナーに任せるけど、ラーデンとルドガー、お前たちも一緒に留守を預かってよ。兵たちも動揺してるし色々大変だろうけど、兄弟助け合って仲良くね?」

「…………承りました」


 ルドガーは異母弟からの指令を、最低限の返事で済ます。やや顔を曇らせたのはラーデンだ。


「……当主様。まことに僭越ながら、この時期の行動は、幾重にも慎重を期した方が良いのでは」

「面白いこと言うね、お前たちに任せたら危険だって思ってるの?」


(……これは……)


 サウスロイはそんな応酬を、杯越しに窺い見ていた。特に気にかかるのはリゼルドだ。先程と比較すれば、かなり機嫌は上向いている。主人が彼ら相手だと生き生きするのはいつものことだ。


 だが、何だろう。それだけではないような……


 異常に整った姿勢、どこか異様な眼光、やけに気怠げな声と喋り方。やや和らいではいるがそれでも、分かり易いまでに不機嫌を示す態様だ。


 だが、何だろうか、この微妙な引っ掛かりは――酔いの回り始めた頭で、主人に視線を向けず思案する。結論が出ていない状態で迂闊に見つめれば、流れ次第で大変なことになる。


(しかし…………いや……違う……不機嫌なのではなく、これは……)


 考え込んだサウスロイは、やがて吸い寄せられるように主人を見た。碧眼が彼を見つめ返し、楽しげに緩められた。


 余命少ない夏の月が、じわじわと空の端に差し掛かろうとしていた。


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