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聖者の目覚め

 部屋は薄暗く、静まり返っていた。物陰に沈んだ最奥の寝台で、聖者が横たわっている。どこまでも青白く冷たく美しいそれが、つい数日前までは息をして動いていたと言ったとて、誰が信じるだろうか?


「…………」


 けれど、ディアの目にははっきりと見えた。ぴくりとも動かない聖者の体内で、凄まじい量と勢いで魔力が巡っている。回復が始まっているのだ。魔力の循環が早まり、患部に蘇生を促していく。


 指先を伸ばし、額に触れる。そこからゆっくりと魔力を溶かし込み、循環を助けた。


「……はやく、起きて?こんなことじゃ死なないのは分かってるから」


 この聖者は、生半可な傷では死なない。始めから、この美しい化け物は、そういう性質だ。放っておいてもそのうち癒えるだろうが、こうして補助してやるのはディアが抱えるある感情のためである。


 程なくして、聖者の瞼が揺れ動いた。青い、恐ろしいほどに澄んだ瞳がゆっくりと浮かび上がる。感情の発露かただの反射か、小さく震えた唇が、ディアさまと、声なくそう呟いた。


 その顔を覗き込む。ディアの容姿は別物だが、浮かぶ表情はかつてと寸分変わらぬものだろう。聖者がずっと忘れられずにいるそれと同一だろう。


「自暴自棄になったの?」

「いいえ」


 何の前置きもなく問いかけたディアに、聖者も当然のように応じた。


「それでは、どうして他人を庇った?」

 ジレスの感知したことは、ディアにも概ね伝わる。そのようになっている。だから、先日起きた出来事についても、彼女は聖都の誰より早く察知していた。寝台についた手がぎしりと音を立てた。


「約束したよね」

「忘れてないよね」

 問い詰める声は静かで、だからこそ有無を言わさぬ圧があった。


「あの時私にしたことを償うと。貴女がここに来たことが無意味ではなく、価値があったのだと、私に示すと」


「…………忘れておりません」


 聖者は呻くように答えた。

 忘れるはずがない。忘れられるものか。


 己の正体は、鍍金で人々を欺いているだけの悍ましい化け物だと、自分で一番分かっている。


 一心に向けられる憧れや崇拝は、火責めのようにただただ苦しい。聖者にとっては、ディアの凍てついた怨念の方が余程心休まる。


 そう思った矢先、枕辺の視線が更に鋭さを増した。


「何がおかしいの」

「……いえ、何も。失礼しました」


 自嘲が漏れてしまったらしい。別に何かを愉快がるつもりはなかった。ただ、被害者の憎しみで楽になる加害者という構図が、どうしようもなく醜悪で無様に思えたのだ。


「一時も忘れておりません。私の全てで以て、必ずや償います」


 己の罪を忘れたことなど無い。この相手に対して犯したものは尚更だ。自分は、教団に降臨した麗しき救世者などではない。鍍金で覆っているだけで、その正体はどこまでも浅ましく、悍ましいものだ。


 それを知っている人がいる。そうである以上、どれだけ讃えられ、崇められようとも、全てが針の筵でしかない。


 朝が来る度に思う。ここにいるべきではない。ここに来てはならなかったのだと。

 けれどその痛みも、己の罪深さを思えば、軽過ぎるほどのものだった。


「いいかげんなことをしないで」

 ディアは無表情のままそう言った。


「裁いて良いと言った。殺しても良いと言った。道半ばで、自暴自棄になって全て投げ出すというのなら、本当に許さない」


 聖者はそれに微笑して、ただ、「はい」とだけ応えた。



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