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自己犠牲

 自分のために他人を犠牲にするのは当然のことだ。けれど、その逆はあり得ない。そんなことは、地上のどこにも存在しない。しないと思っていた。


「あんなこと、とは?」


「……自己犠牲です。しかも、ほぼ親交のない相手を庇っての。……故郷でも、そうしたことが一切無かったとは言いません。ですがそれは見返りや余裕があってのことです。安全な場所にいるのに、人のために全部投げ出すなんて……そんなことは、あり得ない」


 楽団の論理を当然のものと思ってきたシノレには、聖者の行動に薄気味悪さすら感じていた。得体の知れない生き物の、得体の知れない生態を見せられたような気分だ。


 話を聞いたシオンは「なるほど……」と顎を引いた。


「……聖者様がそうした方であることを、私は尊敬し、慕わしく存じ上げております。でも、そういう方に付き従うことがシノレ君にとって苦痛なら、それも仕方がないことでしょう。感じ方は人それぞれです」


 その声には、特に含みのようなものはなかった。寧ろ配慮の色すらあった。だからこそ、胸の奥が冷える思いがする。


「……聖者様は、今……?」

「既に最上階に運ばれ、安置されました。どうにか、今後の方針を立てるしかありませんね」


(…………冷静すぎる。むしろこの対応の方が怖い)


 シノレは、彼女と聖者の間にあった経緯を忘れてはいない。


 シオンは元々聖者の護衛騎士だったのを、聖者自身の願いで外された上、後釜にシノレが座ったのだ。そして聖者はああなった。


 シオンの立場を考えれば、今のシノレに対して言いたいことが山程あって然るべきだろう。教育係以上の罵声を浴びせてくるのがむしろ当然だ。


 それなのにシオンは、不気味なほど平静だった。それがますますシノレの不審を煽る。でも、それを聞いても事態が好転するとは思えない。


「まあ、当然ですが狩猟祭は中止です。待ち望んでいた方にはお気の毒ですが、こればかりは致し方ありません。ベウガンやフィアレス川付近の一帯は警戒態勢に入ります。我々の鍛錬も、明日からは軍事訓練に切り替わるわけですが、まあ、狩猟祭の準備と大きくは変わりませんので!」


「そうですか……。シオン。エルク様やオルシーラ姫は、今どうしていらっしゃるのでしょう?」


「エルク様には先程お目にかかりましたが、気丈に振る舞っておいででしたよ。ただオルシーラ姫の方は大変な衝撃を受けたようで、気絶してしまわれたそうで……エルク様も、大変心配なさっていました。今は侍医や侍女たちがつききりで看ておられるそうですが……」


 しばらく、城内は落ち着かないでしょうね。シオンはパンを口に運びながら、苦笑した。


「私はこの件を猊下にご報告せねばならないので、一度聖都に帰還します。その際はヘレナ様、そしてユミル様にもご同行をお願いすることになります」


 レイグの妻ヘレナは、程なくして聖都に戻ることになるだろう。


 元々使徒家の奥方、それも本家当主の正妻ともあろう女性が、聖都を離れること自体珍事と言って良いのだ。普通は聖都に留まり、社交や子育て、後方支援に徹する。それは保険であり役割分担であり、そして人質でもあるのだ。


 結婚を延期した者たちとはまた違った意味で、レイグとヘレナも、先代教主の死によってかなり想定を狂わされている。結婚直後に先代教主の死とそれに伴う騒乱が巻き起こり、互いに激務の日々が続いた。


 教徒にとって婚姻は神聖なものだ。何年もの準備と覚悟が必要な人生の一大儀礼であり、一度結ばれれば解消は基本的に認められない。


 だが一つだけ、比較的容易に離婚が成立する場合がある。

 

 ここ数年はあまりに目まぐるしい出来事の連続だったため、それほど槍玉に上がることはなかったが……ヘレナはその条件を満たしてしまっているが故、決して安泰な立場とは言えないのだ。リゼルドの母リシカも大いに苦しめられた、婚姻に関わる残酷な掟だった。


 これからどうなるのかは見えない。それでもシオンは騎士として、できることをするだけだった。


「……シノレ君。どうか、後をお願いしますね」






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