動揺
部屋に戻されたシノレは、まだ呆然としていた。何かをするべきなのだろうが、完全に思考が止まっていて、何をする気も起きなかった。
廊下の方がざわついている気もするが、確かめようとも思えなかった。
(まずいな。頭、働かない。こんなのは、別に初めてでもないのに……)
知己が目の前で甚振られるのも、死ぬのも、両手の指では収まらないくらいに楽団で経験した。そうした場合、往々にしてシノレも巻き添え寸前だったので、こんな風に呆ける余裕はなかった。
感傷も追悼も命あってのものだからだ。どうにか危機を脱した時には、もう生々しさも衝撃も薄れている。だけど、今回は違う。
あの時の聖者の行動が頭を離れない。それはあまりにも不可解すぎて、だから彼は何も手につかないほど自失するしかなかった。
(…………聖者様が、死んだ?こんな、嘘みたいにあっけなく……)
聖者が刺された位置、角度、勢い、出血量。嫌になるほど鮮明に焼き付いている。あの傷では、おそらく助からない。きっと次の夜明けまで保たないだろう。経験上、シノレはそれを確信していた。だからこそ、茫然自失となっていた。けれど次第に、少しずつ頭が動き始めた。
(……これから、どうなるんだろう)
浮かぶのは、襲撃者の何人かの顔だった。シノレはそれに覚えがあった。彼らはエレラフの、あの時の生き残りだ。となれば動機は、間違いなく怨恨だろう。教団の歪みを一身に受けて滅びた者たちの復讐だと、シノレは確信していた。
襲撃犯たちは騎士によって粗方殺され、そうでない者もどさくさの中で自決していった。元々決死の襲撃で、生き残る気はなかったのだろう。そこまでして復讐したくなるほどの辛酸を舐めたというのだろうか。
(……まあ僕も、遠からず同じ境遇に落ちるのかな)
シノレ自身の今後、それも全く見えない。見えないが、明るい未来など最早どこにも残っていないことは分かる。教団にとって自分の存在価値は、聖者ありきのものだ。こうして存在を許されているのは「聖者が見出した勇者だから」であって、それがない自分など彼らにとって何の価値もないということは、シノレ自身が一番承知していた。
本来の、最底辺の奴隷としての身分に戻り、鉱山にでも送られて一生を終えるのだろうか。殺される確率はどの程度だろう。別に重要そうな機密を知っているわけではないが、聖者から何か教えられている可能性を疑われでもしたら、処分が決まる可能性は充分にある。
(……いや……なんでこんなこと考えてるんだろう、僕。どうも思考がとっ散らかってるな……)
聖者と行こうと、自分なりにそう決めていたのに。自分は一体何を間違えたのか?いや、それ以前に、どうして聖者はあんなことを――




