エレラフの復讐
知識を仕込んだ諜報員や暗殺者を既存の住民の中に潜伏させ、隠密活動を行わせる。それは楽団や騎士団では常套手段だ。だが教団では、そんなことはまず間違いなく成功しない。
理由は単純、教団の地域は横の繋がりが極めて強いからだ。生まれた時から知り合い、時には親戚であるのが当然だから、妙な人間が成り代わればすぐに露見する。余所者への警戒心も強く、紹介者を介さなくては信頼を得ることすら難しい。
偽装が露見しなくても、少しでも不審があればたちまち通報される。だから、教団領での密偵の活動は困難を極めるのだ。どうしてもするのなら短期間で区切り、広く浅く。それが密偵側の鉄則だった。
だから今回の襲撃犯が企んだ、一つの村の村人全員を殺してそれにそっくり成り代わるなどというのは、荒唐無稽な奇策というしかない手法だった。
しかし、それは成功したのだ。元々遠方だから、村人同士の交流も浅い。村長の顔を知る数少ない者たちが死んでいたり、不在だったのも功を奏した。
教団に背き罰されたエレラフの者たちは、奴隷にされ散り散りになった。そこから数十人が再集結し、一つの復讐計画が練られたのだ。そして彼らは今、踏みにじられた故郷と家族の無念を背負い、凄惨な宴を開いている。
そんな背景まで知る由もないエルクは、退避した先でひたすら気を揉んでいた。大聖堂の様子を伺おうにも、護衛の壁に阻まれて良く見えない。聖者が戻ってしまった以上、自分だけ逃げ出すことはできないが、危険地帯に戻ることは立場が許さない。板挟みになった末の、中途半端な場所での立ち往生だった。
「一体……何が、起きているのですか……?」
「未だ状況ははっきりしていません。ただ、大聖堂を包囲するほどの手勢はないようですし、じきに鎮圧されるでしょう」
「エルク様はどうかこちらでお待ち下さい!」
ワーレン家の人間に、何かがあってはならない。負傷でもしたら、警備の人間は文字通り腹を切らねばならなくなるのだ。彼は騒ぎが起きた途端、最も安全な場所に退避させられ、止まない喧騒の気配に息を呑むばかりだった。
そして駆けつけてきた者の声に、その場にいた者の胸中に激震が走った。
「大変です!!聖者様が、教徒を庇って重傷を負われたと……!」
そしてそこで、一人、限界を迎えた者がいた。
「…………っ」
震える手が、ぱさりと扇を取り落とす。短い、笛のような悲鳴が響いた。その持ち主が受けた衝撃を物語るように、緩やかに体が傾いでいく。ドレスが広がり、飾り付けられた宝石が、レースが流れるのが、エルクの目にはいやにゆっくりと見えた。
騎士団の姫は、咄嗟に手を伸ばしたエルクに体を預けたかと思うと、瞬きの間に崩れ落ちた。




