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もうひとつの儀式

 癒やしの儀式の終了後。休憩と準備時間を挟んでから、更に場所を変えて、ある儀式が催されていた。


 場所は崩れた地下神殿の深部だ。辺りは暗いが、何も見えないほどではない。崩落部から複雑に光が差し込み、淡くものを照らしている。


 彼らは歪な鉄塊のようなものを囲み、崇拝の視線を送っていた。準備を終えた大神官セリクドールは、やがて人々に呼びかけた。


「前へ」


 その声を受けて、一人が進み出た。恐怖ではなく、高揚で震える手で短剣を持ち、彼は自らの手首に刃を押し当てた。細い赤が灯火の下で輝き、それが鉄に滴る。


「ハールスの怒りを、今こそ蘇らせよ……」


 低く唱える。


 後に続く者たちによって、次々と同じ行為が繰り返される。幼い少年ですら、躊躇いながらも自らの指先に傷をつけ、血を捧げた。両親と思しき男女はそれを静かに見守り、やがて誓いの言葉を紡ぐ。次々と、後から後から。


 シモンはその光景に、恐ろしさを覚えずにはいられなかった。騎士の装束を着た彼は、気づかれないよう深く息を吐く。


 サフォリアとロスフィーク。この二都市が主導する、騎士団内部の戦いは、今この時も続いている。先月の間に着々と駒が進められ、彼我の距離が近づき、とうとう互いにぶつかる局面になっていた。


 対外的には二都市の戦争となっているが、実際はそうではない。互いの戦力はほぼ戦場に出ていないのだ。別地方から募った雇兵や食い詰め者を適当に殺し合わせているのが実態だ。こんな戦いで、貴族お抱えの戦士や騎士が傷つく機会はない。雇兵や傭兵というのは金のために戦う存在だから、余程戦力差がなければ膠着しやすいのだ。それもまた、計算の内であった。


 開戦から今日まで、ロスフィークの騎士で深刻な手傷を負った者はいない。少なくとも戦場ではそうだ。


 それなのに、今彼らが何をしているかと言うと、神に捧げるために自傷しているのだ。


「お許し下さい。この偽証と、誇りの遺棄を……!!」


「全ては狡猾で残虐無道な使徒と、その手先どもを滅ぼすためだ……この犠牲と信仰を、神は必ずや祝福なさる!」


 口々に唱えられる、それは教団への呪詛であった。朧げな明かりの中、血に濡れて鈍く光るのは鎧の一部と思しき鉄の破片だ。シモンはそれを、諦観の入り混じった虚ろな目で見つめていた。


 これは教団領で死んだある戦士の遺品であり、腹心が命をかけて持ち帰ったものだった。


「ハールス様、そのお力を以てお導き下さい」

「ご加護を……!」


 七十年前に勃発した、聖都シルバエルを巡る戦争。それは結果的には教団の勝利に終わったが、では何の痛手も与えなかったかと言うと、そうでもない。かの戦乱の渦中で、使徒家の一角は壊滅状態に追い込まれた。


 たった一人の勇猛な戦士が、そこまで追い詰めたのである。名をハールスという。彼は次々味方が駆逐される末期的状況で、凄まじい力を発揮した。


 己の部隊ごと撤退に取り残され、孤立した彼はしかし獅子奮迅の働きを見せ、教徒を殺し、殺し、殺し、殺し尽くして、遂に時のシュデース家当主とその嫡男を屠ることに成功した。


『使徒の血を――……もっと、もっと、使徒の血を――』


 そう言い残し、戦場の只中でハールスは壮絶な死を遂げた。


 しかも、シュデース家の受難はそれでは終わらなかった。むしろそこからが始まりだったのだ。誰かが、呟く。


「使徒の血を……」


 当主候補の中で目ぼしい者たちは病、事故によって次々倒れた。或いは既に亡くなっていた。使徒の末裔が次々と、激流に呑まれるように倒れていくその様を、ハールスの呪いだと囁く者すらいた。とうとう、唯一残った男児も病に倒れ、シュデースの「正当なる血」はこうして一度絶えた。それは当時粛清と迫害の嵐に晒されていたマディス教徒が、一矢報いた証であった。彼らはそれを、熱狂と号泣で以て讃えた。


「使徒の血を。使徒の血を」


 客観的に見て、その行い自体に意味があったか、価値ある有効打だったかと言えば微妙なところだ。使徒家を一つ潰せたのは事実でも、シュデース家代理としてその執務を代行したザーリア―家の尽力によってそれほどの混乱は生じず、時の教主によって即座に新たな当主が立てられた。寧ろ教団を激怒させ、粛清の嵐を長引かせ、犠牲を増やす結果を招いたとも言える。「余計なことを」と謗られてもおかしくはないところだ。


「――――使徒の血を!!!」


 しかし、彼らは今尚戦士を英雄視し、神の国に向けて賛美を捧げる。教えによるとその戦士は死後、天の園に勇士として迎えられ、永遠の命を得ているのだそうだ。教団では悪魔憑きだがこちらでは英雄扱いで、その名を組み込んだ聖歌まで存在するほどだ。


「必ず、必ずや……教団と使徒を滅ぼし、気高き御身を再び聖地へお連れ致します……!!」


 ――はたして、これは何度目の誓いだろう。


(意味が、あるのか?このようなことをいつまでも……)


 シモンは剣の柄を握りしめた。


 これが一体何になる?とうに死んだ英雄が、今の彼らの苦境を救うわけでもないのに。


 だが、それを口にすることは許されない。それは、彼と、彼らが生きる理由を否定することだった。


 シモンの番がやって来た。


 どうしようもなく、空気が重い。水の中にいる気分だ。彼は半ば無理矢理体を動かして、他の者と同様に、手を切って血を垂らした。


「使徒の血を……」


 抑えられていた唱和の声が、徐々に膨らんでいく。歯を食いしばる者、泣きながら血を捧げる者、憎しみに顔を歪める者。シモンはそれを、形容しがたい気持ちで見つめる。


 ――狂っていると、そう思った。だがそれに、彼自身抗えない熱を感じているのも確かなのだ。


 ――使徒の血を。使徒の血を。



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