魔晶石の養殖
楽団の「総帥」は医師団の使いと何やら話をしています。
話題は悲願である魔晶石の養殖。そして、教団のあの人に移ります…
千年以上前に滅んだ旧文明の遺産は、今尚絶大な影響力を持つ。今に伝わる術具にはそれぞれの格に合わせた等級があり、魔晶石の質の品等分けもそれに倣っている。その格は上から至純、霊威、遺栄、残滓、廃骸とされる。ここでは当たり前の前提知識として使われる用語だった。
更に、養殖した魔晶石の回収には、多くの場合犬が使われる。魔獣は人間以外を自発的に襲うことはしないからだ。時には逸れの魔獣が人里離れた森の奥で、動物の群れと何の問題もなく共存していたなどという観察結果が報告されることもある。
だから、動物を魔獣の巣窟に入れてもそこまでの危険はない。犬など、訓練した動物を使って魔晶石を取りに行かせる――これが主流であり、最も安全な方法だ。しかし彼ら動物は確実性や判断力、咄嗟の機転という意味では大きく落ちる。
そして言うまでもなく、人間を使うのは多大な危険を伴う。魔獣は人間の気配を感じるや遮二無二襲ってくるからだ。知性がないことが多いので、策を練れば攻略は可能だが、非常に危険かつ困難であると言わざるを得ない。
それにそうしたことに手を挙げる人間は殆どが金目当てであり、報酬絡みの揉め事が起きやすい。その代わり人間であれば、死に物狂いで、どんなことをしてでも戻って来る。
魔晶石の養殖。それは長年、人々にとっての一つの夢だった。総帥は数十年かけて、そのための施設を各所に配置していた。一定の期間で区切り、その間最も良質な魔晶石を生み出した施設に優遇を与える。そうすることで競争と発展を誘い、より良い魔晶石の開発と研究を促してきたのだ。
「しかし、銀は難しいか。あれができれば最上なのだがね」
「……魔晶銀は至高の魔晶石。易易とは生まれません。しかし、”もう足りておられる”でしょう?」
「それはそうだが、人の欲には際限がないものだよ。まして、大量消費を控えた今、あれを入手できれば瑞兆と喜べるではないか」
「…………」
「各施設に通達しろ。来月は魔晶銀の育成に注力しろと。結果を出せなければ頭を取り替える」
「承知致しました」
使者は深々と頭を下げる。聞こえてくるのは至って穏やかで抑揚のない声だが、今の総帥に下手なことを言ってはならないと経験で悟っていた。短い沈黙の後、御簾から別の報告を促される。
「……周辺はどうなっているのかな」
「ツェレガはまだ落ち着く様子がありません。白竜の被害の復興も済んでいないというのに利権争いや権力争いで多大な血が流れ、最早混沌に満ちた様態のようです……お望みとあらば、トワドラに報告し何かしら処置を取らせますが」
「ああ、ツェレガか……まあ、あそこは良いだろう。これからのことに、さして関わっては来ないだろうし。注視すべきは、やはりワリアンドだろうね」
こんなものはただの確認作業に過ぎない。総帥のことだから各都市の実情など完全に把握していることだろう。分かりきったことをわざわざ聞くこの時間は、ただ報告者を試しているに過ぎない。医師団の手の者である彼が、何を言い、どう表現をするか。それを聞かれているのだ。
「教団侵攻の用意も着実に進んでいるとのことです。しかし……そうなると、西のナーガルに、ほぼ背後を晒す形になります。
ベルガルム様はどうやら、それを気にしておられるようです。総帥に宜しくお伝えせよと」
ベルガルムとヴィラ―ゼルの休戦は、教団領侵攻を見据えたものだ。休戦協定が成ったからと言って、完全に警戒態勢を解くのはただの馬鹿だ。いざ侵攻された時のため、防衛用の兵力はいる。教団だけに全戦力を振り向けることはできない。だからこそ、総合力で楽団に大きく劣る他勢力も渡り合うことが可能になるのだ。
ベルガルムはそれが気になり、教団に集中できないかもしれないと訴えている。つまり、そういう形で総帥の便宜を引き出そうとしているのだ。
「ああ、そうだね。ベルガルムはきちんと私の願いを聞いてくれたからね。背後のギルベルトに刺されては可哀想だ。ナーガルの方には、こちらからちゃんと手を打っておくとも」
赤毛の使者は、やや黙り込む。医師団の使いとして二年あまり出入りしてきたが……総帥のこのような様子は見たことがない。胸の奥からじわじわと、疑問と蟠りが広がり、沈殿していく。口答えする危険を承知の上で、聞かずにはいられなかった。
「…………何故、そうまでなさるのでしょうか?教団を攻めるためだけなのですか?」
暫し返答はなく、辺りに沈黙が落ちた。御簾向こうの影は身じろぎもしない。「そうだねえ。それもある」と、どこか虚ろな声が響く。
「……それ以上に、私はね。かの『聖者様』の真贋を見極めたい。一度きりであれば、単なるまぐれの可能性がある。そのようなものに時間を使いたくはないんだ。いくら私でもね」
これからの騒動の中で、聖者の真価が明らかになるだろう。総帥にとって、それはここ最近で一番の楽しみであった。玩具を待ち焦がれる子どものように、一心にそれを思っているのだった。




