氷玉
「……ようやく暑さも和らいできましたこと」
「ええ。今年もどうにか夏を越せそうで何よりのことです」
(……あれ……警備……のはずじゃ……?)
その一時間後、礼装に着替えたシノレは馬車の座席で固まっていた。
隣には同じく礼装のユミルがにこにこと座っている。
向かいに座っているのはオルシーラだ。そして彼女の話し相手をしているのは、見知った長老ルダクだった。
落ち着いた語り口で、時折セネロスの宮廷語も交えて優雅に語り合う。時々ユミルがそこに溌溂と質問や話題を提示する。シノレはただ場違いだった。
流石は使徒家の馬車、四人入っても広々したものである。狭苦しさも暑苦しさも殆ど無い。でも正直降りたい。今すぐ降りたい。
「……教団のもてなしには感服致しました。氷玉庫の活用も、とても……ああいうものは是非、騎士団領に広く取り入れたいものです。暑い地域にこそ必要なのに、中々普及しないものですから……」
「存じ上げております。新しいものを受け入れるというのは、難しいことですからね」
「ええ、そうなのです。ですが氷玉庫があれば、食材も長期保管でき、料理の幅も広がるでしょう?その有用性を直に見たり体感できて、大変勉強になりましたわ」
(……氷玉、か……)
シノレもこの夏、それにはかなり助けられた。暑い夏の間、氷菓だの冷製料理だのが色々饗された。……それを可能にしたのは氷玉だ。
氷玉は単に、夏場に美味しい半解凍の果物ではない。冷気を留めやすく、溶けにくい性質を持つ。一つだけでなく、複数集まると更にその性質は強まる。発明家フロイエンはこれを「氷脈」と名付け、画期的な技術を生み出した。
氷脈の分析と抽出。その効果を高める垂氷草と氷晶鉱の粉末。熱を伝えにくい木材と陶器。これらを組み合わせることで、閉鎖空間の温度を低く保ち、食材などを長持ちさせる技術が開発されたのである。
それまでは氷玉といえば、完全な球状しか価値が認められなかったのだが、冷却の素材としての価値が発見され需要が一気に広がった。
たとえば、歪なものや皮が欠けたものは冷気が漏れやすい。熟成が不完全になり美味ではないが、裏を返せばそれだけ周囲を冷やしてくれるということだ。
これらを混ぜて氷玉塊にし、氷晶鉱と垂氷草の根の粉末を混ぜ込めば更に冷える。買い手がつくようになったことで、北の人々はこぞって氷玉を育てるようになった。
「そう言えばシノレって北育ちなんですよね!もしかして、栽培とかに関わったことあります?」
「い、いえ滅相もありません……皆様の方がずっとお詳しいでしょう。お恥ずかしいですが……」
頼むからこの空気の中、話を振ってこないでほしい。披露できるような話など何も無いのだし……奴隷時代もそれ以前も、特に関わったことはないのだから。
「あら、あれは……」
大通りを中程まで進んだところで、オルシーラはある一点に目を留めた。その声につられてシノレも目を向ける。
何かの入口のようだった。地面に空いた空洞からは、地下へ続いているらしき階段が伸びている。
「あれは一体何でしょうか……」
「そちらは民たちの共同氷玉庫ですよ。ご覧になりますか?」
「では、ええ、お願いします」
(……共同氷玉庫ってなんだ?)
疑問に思い、こっそりユミルに聞いてみた。降車と移動の隙にこっそり教えてもらう。襟に口元を隠し、ひそひそとした声でやり取りする。
「……氷玉で冷蔵保管をするって、温度管理とか手入れとか取り替えに気を使うし、結構大変なんです。それに適した材質も、良いものをと思えばそれなりに費用がかかります」
「ああ……そう言えば、南の真夏の暑さだと、一個だと一日くらいで溶けてしまうんでしたっけ。冷却専用に売られる安いものなら尚更」
「その通り。一日くらいなら粘土壺に氷玉塊一つでも充分ですけど、長期で使える本格的なものは、一家にひとつというわけにはいかないんですよ。
だから氷玉庫を利用したい家がお金を出し合って、一つの大きな貯蔵庫を作ることがあるんです。地下とか、温度変化の少ない場所を選んで。あれもその一つですね」
「そうだったんですか……」
まあ使徒家なら、当然のように巨大氷玉庫の十や二十は所有しているのだろうが。
金を出し合って、得た利益を分かち合う。それはとても、教団らしいと感じた。




