使徒ザーリアー
「…………まず、ザーリアーは隻眼の使徒。ワーレンと最初に出会った使徒。その出会いの経緯は何も分かっていないし、出自すら未解明の、一番謎が多い使徒」
一つずつ拾い上げて、言葉に落とし込んでいく。シノレの気の抜けた声を聖者が真剣に聞いていることは、顔を見なくても分かった。
「ザーリアーは、記憶喪失だった。ワーレンと出会う前のことを何も覚えていなかった。そのためワーレンに対して、特別に依存的な傾向があった……」
そして、ザーリアーには更にもう一つ、他の使徒と差別化して語られる要素がある。やや躊躇い、言って良いのかなーと思ったが、シノレは教育係の表情を目線で窺い、口を開いた。
「あと……八人の使徒の中で、最も短命だった使徒」
そう。ザーリアーは、ワーレンと出会ってから十年もしない内に命を落としたのだ。その活動期間は、他の使徒と比べて格段に短い。
存命中、ワーレン以外に心を開くこともなかった。礼儀正しくはあったがそうだが、他の者にはどこか余所余所しかった。
だから、その人となりや詳細な実態を伝える証言もほぼ残っていない。子孫に当たる者たちですら、実像を掴めないくらいには、その情報は乏しいのだ。
「……こんなところかな。これでいい?」
段々疲労も楽になってきた。シノレは頭を上げ、聖者に向き直る。いまいち顔が見えないので、遮蔽物と化している書物を動かして机を整理した。
「ありがとうございます。……ですが、本当にジレス様は、それしかご存知ないのでしょうか。かの使徒の直系の子孫だというのに……」
「師範は、別に隠し事をしているわけじゃないと思うよ。そういうことできる人間じゃないし……あるとすれば、本人は隠し事とも思っていないか、よっぽど強い暗示か何かがかかっているか……例の力で、そういうことはできないの?」
「できますね。ある程度熟練すれば、間違いなく。精度は適性にもよるでしょうが」
「それに、何ていうのかな……。最近あの人といると、ちょっと変な感じがするっていうか……こう、産毛がざわつく感じ?前は無かったんだけど……」
どう言ったら良いのかは良く分からない。多分、魔力関連のものだと思うのだ。教育係の内部に、得体の知れないものが混ざっているような、「違う」と感じることがたまにある。
「……それは、気にしなくて結構です」
何故か、聖者の顔色がまた曇った。指を組んで目を伏せる様を、腕越しにぼうっと見つめる。
「……私は……このまま教団に居座り続けることはできないのです。ですが、それは私自身の都合です」
聖者の視線は依然として、課題の山に注がれている。
「教団に連れてこられたこと、勇者としての日々を送ることに、貴方の意思はひとつもなかったでしょう。だから……このことについては、貴方の意見を聞きたいと思っています。貴方は、教団での日々をどう思っていますか」
「どう思うって……そう言われても――……」
生まれ育った楽団とは全く違う。分かっているのはそれだけだ。けれど、今は答えを出せる気がしなかった。
「……ごめん。分かんない」
「……そうですか」
そういうこともあるでしょうね。気分を害した様子もなく聖者は静かに頷く。
「私の気持ちは、あの時から変わっていません。時が来れば、教団から去ることになるでしょう。そしてどうしても、貴方には、私についてきて欲しい」
「まあ、それは分かってるよ。僕は構わない」
「……本当に、それで良いのですか?このまま教団にいたいとは、本当に思わないのですか?」
「……何ていうか……僕は教団が好きじゃないし、楽団に戻りたいわけでもないんだよね。ただあんたと一緒に行こうって、そう思っただけだから。だから、行き先は別にどこでも良いよ」
シノレも、エルフェスのあの満月の夜で腹を括った。聖者がそう言うのなら否やはない。別に特定の場所に特別な思い入れがあるわけでもないのだ。
どこにいたって、それなりに嫌なことはあるものだ。だったら一緒にいようと決めた相手といるのが清々しい。
「……でもあの時も言われてたよね。聖者様がいなくなったなんてなったら、教徒たちは見捨てられたって大混乱になるんじゃないの」
「……それでも……いえ……いいえ、私は、本当は教団にいない方が良いのです。いるべきではなかっ……」
シノレはそれを遮るように立ち上がった。
「待って」
そう告げて、扉に近づいた。




