返礼
令嬢はシノレに返礼に何が欲しいか尋ねます。
何も要らないと思いつつ、シノレが返した答えは…
着飾った令嬢というのは大体皆似通ったものだ。
シノレにはどれも同じに見えるし、いまいち区別がつけられない。
皆判で押したように、似たようなドレスと宝石と化粧と香水なのだ。
各々の違いや個性を見分けられるような審美眼も経験値もシノレにはない。
「じゃあ、僕はこれで……」
「ま、待ちなさいよ!この薬壺、どこへ返しに行けばいいのよ!ここで待ってなさい!」
「……それもそうですね」
待っていろと言われても、どこにいれば良いのだろう。
ここで別の椅子に座るのは、果たして非礼になるのだろうか。
良く分からないので、扉の近くで立ったまま待機することにした。
やがて几帳の影から、がさごそという衣擦れの音が聞こえてくる。
靴を脱ぎ、薬を塗っているようだ。
「……はあ、全くついてない一日だったわ。
反応に困る話題は出されるし……こういうのを厄日っていうのね。おまけに食べすぎたわ」
その間にも、ぶつぶつとぼやく声が聞こえてくる。
言葉通り満腹の状態なようで、息遣いが若干苦しそうだ。
「大体、御馳走なんてたまに食べるから意味があるのよ。
実家では専ら粗食で何とかしてきたわ。でもここでは勧められたら食べないわけにいかないし……」
「はあ……それに何か問題でも?」
「大有りよ!太るじゃないのよっ!!」
「……はあそうですか」
シノレからすれば考えられない価値観だが、上流では太ることは見苦しいとされるらしい。
長年飢餓状態が当然で、虫やら鼠やら苔やら、下手したら食べ物でないようなものまで食べてきたシノレには、全く異次元の感覚である。
何にせよ、食べられるのなら食べておけばいいと思うのだが。
「それに何か……ここの椅子ってどれも柔らかいのよね。正直困るわ。
この長椅子もだけど、クッションが柔らかすぎて姿勢の維持が難しいんだもの……」
「はあ……でも柔らかい分には良いんじゃないですか。別に姿勢が崩れても……」
「何言ってるの!?男には、それもお前のような子どもには実感湧かないかも知れないけれどね、社交界は戦場よ!!
隙を見せた者から死んでいくのよ!!
弛んだ姿なんて人目に晒せるわけがないでしょう!!!」
「…………はあそうですか。すみません」
シノレが気のない声で謝る。それからもぶつぶつと声が続く。
「……そういうわけだからある程度の固さは欲しいんだけれど、固すぎてもそれはそれで腰が痛いのよね。ほんっと難しいわ……」
やがて返ってきた薬壺を手に取り、「では、僕はこの辺で。どうぞお大事に……」と辞去を告げようとした時だ。
「待ちなさい!助けたんだから、返礼に何が欲しいか言って行きなさい!」
「いえ、別にそんなの結構ですから……大したこともしていませんし」
「……い、良いから言いなさいよ!何か欲しいものとか、そういうのはないの!?」
「はあ、ですが……具体的にどういう返礼をして下さるのでしょうか?
それが分からないと、何も決めようがないのですが……」
そう返すと、相手はぐっと息を呑んだようだ。何だか分からないが、痛いところを突いたらしい。
「い、今は……ちょっと無理!でも言うだけ言っておきなさい!
通りすがりの赤の他人を無償で働かせたなんて、後味が悪いのよ!」
「はあ……」
どうしよう、思ったより面倒くさいことになった。問答しながら、シノレは段々疲れてきた。
下手に御礼など受け取ったら後でどんな火種になるか分からない。
何となく場を流せて、形が残らず、かつ当たり障りないものと言えば……
「……では、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
一瞬の間があった。
「…………セ……セレネ」
若干口ごもったような調子が気になったが、シノレはそこには言及しなかった。
(セレネ……セシルをちょっと変えた感じの名前だな)
やっぱりそうなのかなと思い、聞いてみようかとも思ったが、やめておいた。
名前を聞いただけでも踏み込みすぎたくらいだ。これ以上は止めておこう。
迂闊に立ち入って、面倒なことになっても嫌だ。
改めて薬壺を持ち上げ、落とさないよう掌の上で固定する。
「では、セレネ様。僕はこの辺で。お役に立てて光栄でした。……あまり無理はしませんよう」




