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妖女殺しの歌

会合の場での失言により、シノレは教育係のジレスからきつく叱責されます。

それを受けながら、シノレは自分の危機感が薄れていることに気づきます。


「妖女殺しの歌」とは、医師団から楽団北部にかけて伝わる魔除けの一種である。

歌うことで魔除けと魔封じの力を宿すとされていた。

こうしたまじない歌は各地にあるもので、地域によって歌詞や音律が違ったりする。



北方でこれらの歌は、無垢な子どもが歌うことで最大の効力を発揮すると信じられてきた。

だからその信仰が根付く地域の家庭では、物心ついた時から教える。

魔除けの歌を歌わせることで成長の証とし、これを祝う。

一部地方ではこれを「魂の羽化」と呼ぶ。

今となっては廃れているところも多いが、魔獣と関わりの深い街や迷信深い地方出身者なら一度は歌ったことがあるとされる。


シノレ自身はこうした事情を全く知らなかった。

ただ数年前、故郷で一人の娼婦に教えられ、促されるまま歌ったことがあっただけだ。


そして勿論、そんな慣習は教団には存在しない。

教団で歌と認められるものは、使徒家に認可された聖歌だけだ。

それ以外の全ては汚れた音律だ。

他地方のまじない、それも魔獣関連の信仰がこもる歌など、教徒にとって穢らわしい異端、呪言以外の何物でもない。


要するにシノレのあの発言は、大変不吉かつ不謹慎な上に空気も読めていない、不適切極まりないものだったということだ。


「けがらわしい……」


「やはり、楽団の奴隷だからか」


「聖者様は何をお考えになって……」


そして使徒家と聖者の寄り合いは、当然のように注目され傾聴されていた。

失言という石が生み出した波紋は、すぐさま広がった。

大分久しぶりに浴びせられた感覚。

それらは疑いようもなく、揶揄であり侮蔑であり、嘲弄だった。


シノレは正直、それ自体は構わない。

いや構わなくはないが、切迫した危機感は覚えない。

教団というところは何かと陰湿だが、その分迂遠で、即時実害が出ることは少ない。

特にああいう公式の場においては。シノレのような、何も持たない者にとっては。


(失態を見せたからと言って、即命が危なくなったりはしないんだし……でも、今回はそれが災いしたなあ)


楽団にいた頃のように、飢えさせられるわけでも、暴力を振るわれるわけでも、肥溜めに落とされるわけでもない。

毒を飲まされたり刃物を投げられて、賭け事の種にされたりもしない。

教徒たちの生温い蔑視や陰口など、お上品なものだ。


……前は寧ろ、それが不気味で、悍ましさすら感じていたのだが。

困ったことに慣れてきている。危機察知能力が鈍っているのだ。


「お前の頭と口は連動しているのか!?

声に出す前に少しは思考を働かせたらどうだ。

妖女殺しの歌などという題、空気を悪くするのは明白だろう!

その程度の思慮も働かなかったのか!?

しかも何だ、こともあろうに汚れた存在に教わった歌だと!?」


「……すみませんでした、師範」


自室に戻ってからシノレは、教育係から久しぶりの怒号を浴びせられていた。


(ていうか、汚れた存在って……)


どうやら彼としては、娼婦という言葉すら口にしたくもないらしい。

シノレとしては聞かれたことに答えただけ、そんな微妙な機微まで汲んでいられるかという気持ちだが、言い返しても仕方がない。

やってしまったものはもうどうしようもない。


あの後は空気が緊張して変な具合になった。

エルクは凍りつくし、聖者も狼狽した素振りを見せるし、教育係は凄まじい目で睨んでくるし。


「…………北の地方では、様々な民謡があるそうですね。

ですが私は、音楽全般にあまり詳しくないのです。

このままでは私たち、先生方のお話についていけないかもしれませんね。

シノレ、一緒に聖歌について学んでおきましょう」


聖者がそう言って話を戻したことで、そこは収まった。

それもまた教育係の苛立ちの種になっているようで、怒鳴る声や言葉選びもいつもより荒れている。


「聖者様がお助け下さったから良いが、あのままではエルク様にもご迷惑をかけていたぞ……!

全く、お前は何故妙なところで迂闊なんだ!」


「……面目次第もありません……」


しかもこの言い方を聞くに、聖者に借りができてしまったことも気にしているようだ。


驚くべきことに、シノレの失言はシノレ一人の責任ではない。

教育係の責任でもあるのだそうだ。

ああいう場でシノレが不適切な発言をしたことは、ジレスの教育不行き届きとも見られる。

そしてそれを、聖者が収めた。

結果聖者に借りを作る形になってしまった。

ザーリア―としては、それが大問題らしい。


前例のない特殊な立場である聖者に注意し、場合によっては牽制するのがザーリア―の方針だ。

こういう事が起これば、その指針に支障が出かねないと、案じているようだった。

シノレからすれば、杞憂としか思えないが。


大丈夫あの聖者絶対そんなことまで計算していない(できない)だろうから――とか言っても何のフォローにもならない上、火に油を注ぐだけだろうなと思ったので、シノレは神妙に口をつぐんだ。


(今日は失敗した……。歌のことだけならまだしも、あの娼婦のことまで言っちゃったのは思いっきり失敗だったな……)


教徒が蛇蝎の如く嫌うもの、それは娼婦と私生児(庶子は良くても婚外子は駄目らしい)と異教徒と魔獣と楽団だ。

他にもまだまだ山程ある。

教徒には厳密な規律があり、そこから逸脱した者に対してとにかく容赦がない。

その価値観が、教育係の怒りに油を注いでいるのは間違いなかった。


教団には教団の道義と美徳があるのは分かる。

その最たるものが、教徒同士の支え合いだ。

どのようなことになっても最低限の安全と待遇は保証され、教徒同士の助け合いの輪に加えてもらえる。


そう、枠の中で生き、それが認められている限りにおいては。


……冷静になって振り返れば、自分も迂闊だったと思う。

最近は時折、妙に気が緩んでしまうことがある。

楽団にいた頃はあり得なかったことだ。

ここのところ、自分はどうも弛緩している。

駄目だ、こんなことではいけない。

いつ足を掬われるか分からないと構えてしまうのは、楽団にいた頃からの本能だが、それががたついてきていると今日のことで確信した。


「とにかく、言葉には重々注意を払え!

誰が聞いているか、どういった言質として受け取られるか分からないのだから。

お前のような素人が調子に乗れば食い物にされるのが落ちだ!!良いな!?」


「はい、以後気をつけます……」


そろそろ終わりかと、そう思いながらも気は抜かない。

ここで対応を誤ればややこしくなる。

シノレはあくまで、殊勝に目を伏せ続けた。


「明日から五日間、課題はいつもの七倍出す。そのつもりで用意しておけ」


「…………は、はい」


なんとかそう返した。




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