熱帯の桜
それは建物の隙間からも薄紫の色をちらつかせていた。
丘は町を囲む高い塀の向こう側だというのに、霞んだ薄紫の塊が時折揺れているのが見えるのだ。
あまり見ることのない色に、ミギワばかりか、カイムも目を奪われているようだった。この辺りの子供なのか、一団がミギワの脇をすり抜けて丘へと駆けていく。
二人が丘の上に辿り着く頃には、子供達は落ちた花を拾い集めて投げ合ったり、ままごとに興じたりしていた。
「死体が埋まってるのは、サクラの樹、だったっけ」
「これは、桜じゃないがな」
「そうなの?」
ミギワは釣鐘型の花を映像として取り込み、検索をかける。
「『ジャカランダ』だって。あ、一部地域では『熱帯の桜』とも呼ばれてたって記録があるよ」
「へぇ」
カイムは花から地面へと視線を移し、かかとで二度ほど蹴りつけた。
青年を埋めたそこは、すでに踏み固められていて、枯れ草色の植物がまだらに生えている。一年以上も経ってしまえば、痕跡など無いに等しかった。
「花が見たいって言ってたよね」
「言ってたな」
「彼が咲かせたのかも」
「まさか。本気で言ってないよな?」
苦々しい顔で、煙草に火を点けようとマッチを擦るけれど、なかなか火はつかなかった。イライラしているカイムにミギワは小さく笑う。
「タマシイなんてないって? カイム、もしかして幽霊とか苦手?」
「あん? な、ワケあるか」
「良かった。僕、視えるんだ。カイムの横で、焼けたら困るから、火はダメだって」
勢いよく擦り付けようとして、カイムは箱ごとマッチを取り落とした。
ミギワが声を立てて笑う。
「ミギワ……学習機能はもっと違うことに使え……!」
「やだなぁ。主人の補佐が務めなんだから、苦手は補えなきゃ」
「苦手じゃ、ない!」
はいはいと受け流すミギワの目に、東の空できらりと光るものが映った。ズームして確認すると同時に、パンパンと手を打つ。
「みんなー。コードイエロー! 壁の向こうへ。帰れる子は、おうちまで戻って。よーい、どん!」
ミギワの掛け声に、子供達はわっと声を上げて一斉に駆け出す。同時に町のあちこちにあるスピーカーから警報音が鳴りだした。
カイムは東の空に視線を凝らす。空にはこちらに向かう影がひとつ。
「酒も飲ませねぇってか」
「合成酒は嫌いなのかも。ビールにすれば良かったかな」
「死人が贅沢を言うな」
向かってきていた物体は途中でUターンして、砂漠に何かを落下させる。そのままスピードを上げて東へと消えていった。
しばしの静寂の後、地平線の向こうがカッと白く染まる。ほどなくして地響きと共に地面が震えた。
にゃあ、と、聞こえた気がした。
地響きに紛れて、微かにだったけれど。
「あ」
ミギワの声に視線を下ろすと、木の根元から何かが飛び出した。反射的にカイムはそれを追いかける。
小さなそれが向かった先には、空まで届こうかという薄茶色の壁が、見る間に迫ってきていた。
「カイム!」
伸ばした手をすり抜け、爆風が迫る砂漠に闇雲に走り込もうとする痩せた猫。依頼のあった、あの猫に違いなかった。カイムの口から舌打ちが響く。
と、慌てすぎたのか、坂道で勢い余った猫が砂に足をとられて転がった。
なんとか追いつき、その体を抱え上げたカイムも、誰かに腕を引かれて尻餅をつく。
上がった顔の目前まで砂色の壁が迫っていて、慌てて首にかけていたゴーグルに手をかける。
それを引き上げる前に、ミギワが回り込んできて、覆い被さるようにカイムを抱きしめた。
コンマ何秒か後、すぐに世界は砂色になった。ごう、という風の音の他に、木や身体にぶつかる砂粒が機関銃のような音を立てている。ミギワに抱きこまれてなければ、身体ごと飛ばされそうで、カイムは片手をミギワの腰に回してしがみついた。幸い、猫も腕の中でカイムに爪を立ててしがみついている。
丘の上では、薄紫の花々もあっという間に風に攫われ、細い枝が折れて飛ばされていく。大きくしなる枝が、ギシギシと悲鳴を上げていた。
「カイム、無茶しないで下さい」
嵐のような風が通り過ぎると、ミギワはそう言って溜息をついた。
「言ってくれれば、僕が追いかけるのに」
「そう、だったな」
差し出された手に掴まって立ち上がると、カイムはミギワに猫を押し付けて、彼の肩や頭に積もる砂を払う。
「自分の治療費より、お前の修理代の方が高くつくと思うと、つい」
「主人の生命優先を叩き込まれてるのに、出ない訳にはいかないでしょう!? 結果が同じなんですから、もう少し効率的な使い方を……」
「非効率的な学習ばかりするジャンク品に言われたくないな」
「そりゃ、元々廃棄品ですけどね。わざわざ僕を選んで引き取りましたよね? あなたが言えば、新品も提供されたでしょうに」
「規格品は楽しくないんだよ。どう頑張ってもちゃんとセーブ機能が働く」
「あなたのプログラム、むちゃくちゃですからね」
「自由が欲しいって泣いてたじゃないか」
「あの頃は泣けませんでした。嘘言わないで」
「タマシイが泣いてたのさ」
上手いことを言ったと、得意げな顔をしたカイムに、ミギワは半眼で一歩詰め寄った。
「趣味全開で改造した癖に、今更ちょっといい話にしようとしないでくれる? 僕が暴走する確率、低くなかったでしょ? システム統括管理室長殿?」
「その時はあれが撃ち抜いてくれる予定だったし」
空を指差すカイムは自信に満ちている。過ちが生じたら、その責任までとる、と。
「まあ、あそこを出て、システムいじっても備品くすねてもバレないくらいには、組織としてダメになってるのが証明されたし、いいじゃないか。ロックした開かずの間の扉を開けられる人材がいれば、置いてきた辞表にも気付いてもらえるさ」
「その時は間違いなく罪人として指名手配されますよ」
「まだ毎月給料もらってるんだよなぁ。泳がされてるだけなら、やりがいがあるんだが……どうだか。一応、給料分の保守管理はしてるぞ? いつか、その時がきたら、しっかり仕事を全うしてくれよ。ミギワ」
「仕事を全うしてほしいんだったら、バイクの燃料切らすとかしないでくれる? それと、また体重減ってるから、ちゃんと食べて寝ること!」
子供みたいに顔をしかめたカイムに指を突きつけてから、ミギワはすっかり元の枯れ木のような大木を見上げた。たわわ、と表現していいだけ咲いていた花はほとんど飛ばされていて、ぽつぽつしがみついているものが、辛うじてそれが現実だったと示している。
遠く東に視線を流して、ミギワはぽつりと呟いた。
「……いつまで続くのかな」
カイムは億劫そうに丘の上まで戻り、持ってきた五百ミリ程度の合成酒の瓶を逆さまにして、木の根元にどぼどぼと撒き始めた。残った数滴を自分の舌の上に落としてしまうと、空になった瓶は木の根元にそっと立てかける。
「終わるまでさ」
足元に転がってきた釣鐘状の薄紫の花をいくつか拾い上げて、立てかけた瓶の中に落とし込むと、カイムは煙草を取り出して咥えた。
擦られたマッチは、今度は一度で火が点いた。




