#09 branch_20171009_1923_30.11(restart=20171009_2209_46.31)
――これで原本にも記憶させた……。
雅の死は『原本』に記憶させた。不安だったが、ちゃんと自分がリスタートしていて安心した。雅の死を目の前で経験した新たな派生では、邦明との戦闘経験も無ければ、精神状態も不安定で役に立たない事だろう。そんな奴に上宮斉明を任せるくらいなら、今の自分が続投した方が良い。
再び上宮斉明へ戻った彼は隣の部屋へと急ぐ。あまり時間をかければ、邦明からこの部屋に仕掛けてくるだろう。迎撃する準備を整えるよりも、こちらから奇襲して久篠乃から少しでも遠ざける方が良い。
そして重体の久篠乃を助けるために、この状況を乗り切る方法は一つ。
――国枝邦明を……。
殺して何になる? そう理性が問いかける。
雅が生き返るわけじゃない。久篠乃も危ない。その状況で邦明を最優先とする意味は? むしろ重体の久篠乃を助けるためには、邦明に追撃されるリスクを負ってでも病院に担ぎ込むべきじゃないのか?
――もう、これ以上、上宮に振り回されたくないから……。
ここで逃せば、再び国枝邦明に襲撃されるかもしれない日常に戻ることになる。
決着を付けないといけない。七年――いや、それ以上前から……上宮と他家の間で軋轢を生むきっかけとなった『三家交配』――あの時点で、すでにおかしなことになっていたのだ。
上宮は潰されて、国枝も、篠原も結局は廃れた……運命には抗えなかった。
――曾孫同士で潰し合って何になる?
上宮斉明という個人の人生の為に、先達たちの希望を奪うのか?
だがそれもこれも、すべて先達たちの無計画さに踊らされたが故に起きた不幸の連鎖だ。
だが彼らのやりようが失敗だったとして、彼らの責任と押し付けるしかないのか?
こんな事に明確な答えが出るはずもない。煩悶は無意味と悟っていながら、つい考えてしまうのは止まらなかった。
一度小さく息を吐き、考えを別の事に移す。それはすぐ先の未来――邦明との戦闘についてだった。
――細部は決まってない、戦ってる中で整えていくしかない……。
戦術は決まっているが、細部までは頭の中だけでは決められない。その場に合わせて臨機応変に変えていくしかない。
そもそも作ることを生業とする自分は、こういう戦う場面では、相手よりも不利な要素が多い。だからこそ、相手よりも、より先を、より精確に読んで、自分の流れを作っていくことで補うしかない。
未来を作る、なんて言うと大袈裟だが――本質は変わらない。準備と現在の積み重ねが、未来を作り上げていくのだから。
――現在の積み重ね、か……。
積み重ねる段階で歪んでしまえば、どうなるか――今の彼の網膜に残るのは、情けないことに、自分を正しく導いてくれた久篠乃の顔ではなく、歪んだ積み重ねで、歪んだ末路を辿った 雅の死に顔だった。
彼は渾身の力で『弦鳥』を操り、積みあがった瓦礫の一部を吹き飛ばすと、そこから隣の部屋に侵入した。
こうして戦うために国枝邦明と対峙するのは、三度目になるか――だがそこに何の感慨も浮かばない。これで終わらせる。ただその決意だけがあった。
先ほどと変わらない様子で、黒を基調した服に身を包んだ国枝邦明は、部屋の中ほどに立っていた。
両者の距離は十五メートル程度。邦明の道具は分からないが、少なくとも彼の間合いには半分ほど遠い。
それがソードラインの意味なのか、邦明は、話すには遠い間から言葉をかけてくる。
「雅さんとの今生の別れは済ませたかい?」
邦明の挑発的なセリフを聞いても、彼は冷めた目で見つめるだけだった。
「おや、挑発に乗るのは飽きたかい?」
「ええ、飽きましたよ」
彼の 様子に、邦明は馬鹿にしたように鼻で笑う。
「やはりキミは『派生』か……そして雅さんの死には立ち会わなかった。そうだね? でなければ、そんなに動揺が無いわけがない」
「心理的な揺さぶりをかけるつもりでしたか? 僕は『派生』を使う事で、ある程度記憶の継続を断てます。その手の小細工は無駄ですよ」
「僕は? 原本は、の間違いだろ?」
「ワンパターンですね。程度が知れますよ」
「そりゃ良かった。油断してしくじってくれた方が、俺としては嬉しい誤算だ」
我ながら醜いやり取りだとは思ったが、まだ言っておきたいことがあった。『原本』がどう思っているか知らないが、これは彼自身が思う事だった。
「結局あなたがしたかったのって……復讐ですか?」
「どういう意味だい?」
余裕の笑みを浮かべたまま、邦明は首をかしげる。
「雅姉さんを殺した事から分かります……結局、あなたは上宮が嫌いなんじゃないですか? あのタイミングで雅姉さんを殺す理由として、久篠乃さんを引っ張り出したのは無理がありますから」
邦明が、ほんの僅かに眉を顰めるのを見て、彼は肩を竦めて言葉を続けた。
「まぁ、あなたが上宮を嫌う理由なんて知らないですけどね」
今度は邦明が肩を竦めて、呆れた声を漏らした。
「そうかい。分かるはずもないだろうけどね」
「分かるはずもないというか、知るまでもありませんよ。大した理由じゃないでしょう? どうせ逆恨みの類でしょう。違いますか?」
睨み付ける視線は、この男にしては感情的だった。
「そういうキミが俺を狙うのは、雅さんを誘導したからかい? だが残念だけど、俺がしなくても彼女はやってただろうね」
どこまで本気の言葉か知らないが、今更になってその言葉を真に受ける彼ではなかった。軽く受け流して別の言葉で応じてやる。
「別に……そんなのどうでもいいです。雅姉さんを最後に手をかけたのは誰か……僕があなたを狙う理由は、それだけでも十分です」
「俺はダメなのに、篠原久篠乃は特別扱いか」
「あなたは自分の為に雅姉さんを殺しました。けど久篠乃さんが雅姉さんを殺そうとしたのは、僕の為です」
「キミの為ならよくて、俺が俺の為にやるのはダメってのは勝手だね」
「あなたに言われる筋合いはありませんよ。あなたが上宮をつけ狙うのも、自分勝手な理由でしょう?」
「つけ狙う? なんのことかな?」
とぼける理由が分からない。指摘したところで開き直るか分からないが、話が進まないのでとりあえず指摘してみる。
「あなたが使った解創は、上宮殲滅事件の時に、上宮や裁定委員会が使った解創でしょう? むしろそれを示そうとしてるのは分かりますよ」
「おや、そこまでは気づいてたか」
白々しさに鬱陶しさを感じこそすれ、褒められているとは毛ほども思わなかった。
「わざとでしょう?」
「わざとかな?」
からかっているのか? いや、違う。攪乱などではない。
「あえて言葉で言わずに、解創を使って示したのは、自分の意思の強さを示すためですか? 口先だけではなく、自分はここまでやる人間だと言いたかったんですか?」
「かもしれないね」
否定はしない。だがあからさまに肯定もしない。上宮に対する執着心を見せつけておきながらも認めないし、何かしらの攪乱を狙っているとも思えないし、したところで無意味だ。
だとすればこの男は――今まで誰にも自分の本心を見せたことが無いのだろう。誰も信用できない。だからこそ、自分の意思を見せておきながらも肯定しない。どうやって意思表示をしたらいいか分からないのか、はたまた直接的な意思表示をすることを恐れているのか。
どちらにしても哀しいものだ――憐憫の情すら浮かんだ。そしてその気質は、おそらくこの男が上宮を狙う事とも関係があるのだろう。
「廃れた国枝の子である貴方が、仮にも追求者としての資質を持って生れたのは、上宮の血を半分継いでるからでしょう? なのになんで、あなたは上宮に、それほどまでに憎悪するんですか?」
「キミは七年前に、家族も自由も失った。その全ての原因は上宮だ。違うかい?」
上宮をかばうセリフに対して、間をおかずに邦明は反駁した。
その反応で確信を持った。この男は、上宮斉明を見ていながら、上宮斉明という個人を見ているわけではないのだ。集合の要素、象徴――上宮斉明を通して、上宮家というものを見ている。
だから上宮斉明には不敵な態度を取っていたのだ。だが上宮の話が出た時――斉明が「斉明という作り手」個人ではなく「上宮の次期党首」になった瞬間は、反応が違っていた。様々な策を弄しておきながらも、本心を理性で隠しきれない。それほどまでに彼の憎悪が深いのと同時に、また、この男の弱さでもあった。
「僕にとっては全ての元凶は貴方です」
吐き捨てたセリフは、上宮斉明の『原本』にとっても同意見だっただろう。一字一句の違いすらも無いはずだ。
「確かに……そうかもしれないね。巻き込んだことは分かってるよ。だけど君も当事者だ。キミが作り手として存在する限り、それは上宮が存続していることと同義だからね」
彼にとっては、自分がやりたいようにやっているだけだ。だが上宮斉明という存在は、曾祖父の富之によって、作る才能を作られた可能性すらある。
だとしたら上宮斉明がやりたいようにやる、裁定委員会に都合の言いよう、道具を作るというだけで……上宮は残り続けるという事と同義なのだ。
そして、そこを指摘したという事は、この国枝邦明の目的は、上宮斉明を殺し、上宮を滅ぼす事に他ならない。
執着の理由は分からない。だが自分も似たようなものかと自虐した。
――僕だって、雅姉さんを巻き込んだこいつが許せない……。
「原本は、本当なら自分で『探り手』を使ってあなたを殺したかったと思います。それでも僕に委ねられた……原本が『使い「手」』に抱いてる感情は、原本を元にした僕らだからこそ分かります」
それは劣等感だ――使う事を知らず、実際には一度も戦う事を知らない。そして憎むべき人間に対する復讐を、自分の複製という他者に任せなければならない屈辱は、彼の複製である自分だからこそ分かる。
ならばこそ、僕は原本の望みを果たしてやろう。皮肉なことに今だけは、彼と原本の意見は完全に一致している。
そして国枝邦明が実際にぶつかるのは、上宮という家の代表としての上宮斉明ではなく……国枝邦明を討ち果たそうとする彼の衝動、すなわち個人的な復讐心をもつ上宮斉明という個人だった。
境遇による不幸も、家への憎悪も、環境と状況による影響はあれど、すべては個人の主観だ。それによって変遷していく思想も思考も、思い馳せる世界に対する感情すらも、そうした過程の紆余曲折がどうであろうと、あらゆるものが最終的に現実の形に至る段階において、すべては個人の行動へと還元される。
人の行いの結果は、その原因の傍へと帰るのだ。どれだけ高尚な望みを抱いているつもりでも、行為は個人の手によるものでしかない。過去の状況は言い訳にしかならない。
たとえば、こうして二人が殺し合う最大の要因があったとしたら――それは彼らが彼らだったからだ。
上宮斉明も、国枝邦明も、もう互いに交わす言葉は無かった。かわりに彼らは、最初の一撃を揮った。




