#276
タラコマ郊外の整備工場でオーバーホールの依頼をしたスフェーン。
そこで知り合ったみくりは、異能を用いた効率の良いオーバーホールを行い、無数の工具を操ってエーテル機関を整備する彼女は異能者だった。
「zzz…」
静かに寝息を立てて、同じベッドで寝ているみくりとスフェーン。
昨晩、銭湯に入れたことで髪の毛からは良い香りがするようになった彼女は、スフェーンの柔らかいベッドの上でよく眠っており、朝のこの時間になっても目覚める気配はなかった。
「…」
そして目が覚めたスフェーンは、自分の隣で眠っているみくりを見て昨日の夜のことを鮮明に思い出す。
『よくお休みになられましたね』
「…」
くすくすと笑って起こしてきたルシエルに茶化すなやと軽く不満げな声色で答えると、そのままそっと起こさないように慎重に体を起こすと、床に足をつける。
「あっ、あぁ〜…」
腕を伸ばし、軽く頭をポリポリ掻いて起きたスフェーン。時間を見るとまだ朝早く、キャビンの両端の空気はよく冷えていた。
「…寒いわね」
そこでカーディガンを羽織った後にパジャマ姿のまま車両工場に出る。
「うぅ〜、よく冷える」
そこで朝特有の恐ろしく寒い空気に触れながら静かに工場を出ると、外の操車場は小雨に包まれていた。
エーテル降雨では無く、雲から降ってくる本物の雨。
「…」
小雨に包まれ、霧まで発生しており、操車場やこの郊外全体が静寂に包まれていた。
空模様は曇りで、今日の天気予報を確認すると今日はずっとこんな様子らしい。
『空間エーテル濃度も、これでは大幅に低下しそうですね』
「まあ所詮は降ってくるエーテルだからね…」
異能を使う上で最も必要なのは空間エーテル濃度だ。
異能者による、異能の発現条件は一定以上のエーテル濃度の高さにある。だから雨が降った後などは、空間エーテル濃度が大幅に下がるので異能を放つ事はできない。
「くぁぁ…」
外の気温の低さに少し身震いしながら工場に戻ると、そこでみくりがベッドからちょうど起きていた。
「おはよう」
「ん…」
長く後ろに伸びている彼女の黒髪はボサボサとしており、枝毛も酷い有様だった。
「…寒い」
「今日は雨だからね。まあ、よく冷えるよ」
そこで目覚めのほうじ茶を淹れる準備を始めるスフェーン。茶葉はアルミ缶に入れて丁寧に保管していた。
「…」
軽く寝ぼけている彼女は少し左右を見回す。
「ちょっと聞こえにくいかい?」
スフェーンが聞くと、少し間を開けてみくりは頷いた。
雨が降り、エーテルが空気中から消えてしまった事で、元々耳の聞こえないみくりは難聴になっていた。
「まあ今日の仕事はやめておいた方がいいわね」
「…分かった」
耳の聞き取りに少し間を開けて答えるみくり。スフェーンは彼女を軽く手招きすると、みくりはベッドから降りてキャビンのテーブルに座った。
「ちょうどいいから、髪でも切りますか」
「?」
スフェーンはそこで準備を進めると、それを見ていたみくりは首を傾げながらコップを傾けていた。
「何を、するの?」
「髪、切るよ」
「誰の?」
「君の」
そこで紙エプロンを用意すると、スフェーンは散髪用の鋏も取り出してみくりに言う。
今日は一日中仕事ができないので、みくりの散髪をしようとしていた。
「どうして、髪を切るの?」
「時には女らしさってのも必要なのよ」
そこで準備を終えると、みくりの手を取ってスフェーンはキャビンを出る。
そして外の椅子に座らせると、スフェーンは瞳を空色に変えて周囲の残ったエーテルを付近に掻き集めて話しかける。
「どう言う髪型が良いかしら?」
「っ!!」
途端に鮮明に聞こえた声に若干みくりは驚くも、スフェーンに髪型の要望を伝える。
「短め」
「バッサリ?」
「うん…」
確認をすると、スフェーンは散髪鋏を左手に握ってみくりの髪を切り始める。
サクッ
昨日整えたとはいえ、まだまだ全然ボサボサな髪の毛を首元までバッサリと切り落とすスフェーン。
「もうこの際だから結構切っちゃおうか」
「分かった」
櫛を使って丁寧にみくりの髪を切っていくスフェーン。髪さえ整えれば石炭から黒曜石のような色合いに変わることが昨日確信したので、若干気合の入る散髪だった。
「ふふ〜ん、どうしよっかな〜」
髪を意気揚々と切っていくスフェーン。前にこう言う散髪をしたと言う経験は、アンジョラのあの孤児院でしており、最初の頃はロト相手にやらかして派手にギャン泣きされたこともあった。
今思えば、こう言うことも全部孤児院でやって来たことだなと思う。
ただ風呂は服を着たまましており、頼まれても断っていたな…。
「スフェーンさん」
「ん?どしたの」
そんな昔を思い出しながら髪を短めに切っていると、みくりが話しかけて来た。
「雨なのに、よく聞こえるから、不思議に思って…」
「ああ…、まあ異能の一つだと思ってて」
「…」
「近くに残ってたカスみたいな量のエーテルをかき集めているだけだから」
彼女はそう言いながら髪を切り続ける。
紙エプロンを伝って切った髪が床に落ちており、後で掃除をする予定だった。
「…スフェーンさん」
「ん?」
そこでみくりはスフェーンに聞く。
「もしかして、オートマトンに乗っていたりしますか?」
「え?どうして分かったの?」
スフェーンは少し驚いていると、みくりは髪を切っていた時に見えたスフェーンの手を見る。
「この手、オートマトン乗りの人とそっくりだから」
「ああ…なるほど」
確かに、この身体になっても暫くはオートマトンに乗っており、また最近もよくオートマトンを強奪しては操縦していた。だからまぁ…その癖が手に残ってしまったのだろう。
「まあ、あんな武器使っているくらいだからね。昔はずっと乗っていたわよ」
「…傭兵?」
「そうね、これでも昔。すごく強かったのよ?」
「うん、スフェーンさん強そう」
みくりはスフェーンから感じる歴戦の戦士の雰囲気の違和感に納得する。
オートマトン用の30mm自動小銃を自在に操る事の可能なあの異能と、手慣れた武器の手入れを見て、そう言う仕事をしていた過去があるのかと推察をしていた。
「ふふふっ、正直なのね」
「気を悪くさせた?」
「ううん」
軽く首を横に振って返すと、スフェーンは髪を整えていく。
「傭兵をやってて後悔をした事はあるけど、やらなくて良かったって思った事はないから」
そう言ってみくりの前髪を切っていく。
「後悔は、あるんだ」
「そりゃあね。これだけ長いこと生きてたら幾らでもあるわよ」
傭兵稼業で罠にハマったり、仲間の救出に失敗したりなど、多くの苦労があった。
当時の彼女と共に傭兵を辞めなかったこともその一つだ。
「…スフェーンさん、何歳なの?」
「流石に同性でも言えないおねーさんの秘密」
耳の周りを切り、全体的なバランスをとっていく。
「スフェーンさんって…不思議な人」
みくりが呟くと、スフェーンは頷く。
「そうよ〜、誰かの記憶の中で生き続ける不思議な女運転手。それが私」
そこで少し遠目で確認を行うと、小さく頷いた。
「よしっ、上は出来上がり」
満足げな表情を見せ、次に小さなハサミを使ってみくりの眉を整える。
「みくりちゃんの眉は薄めだから気をつけないとね…」
そこで飛び出たり、整えられていない乱雑な眉を丁寧に切り揃えていく。
「鏡で見ちゃダメ?」
「まだダメ」
途中、みくりが聞いてくるのでスフェーンはそう言って返すと、彼女の大改造は着々と進んでいく。
髪と眉を切り整えた後は軽くドライヤーでみくりの張り付いている切った髪の毛を飛ばし、櫛で丁寧に整え、ワックスで軽く髪型を固める。
顔も洗顔をして、化粧水や乳液を付けて肌をキレイにしていく。
これでもかなり工程を端折っていることから、女性の準備に時間が掛かる理由がよく分かる。
朝から降っていた小雨も徐々に収まっていき、天候は回復していく。
自分がどうなっているかもわからないまま、されるがままに改造を施されていくみくりは、スフェーンの顔をボゥっと見ていた。
「ふふふふふふっ、こりゃ凄いことになるぞ…」
不気味な笑い声と共にみくりにアイラインを引いていく彼女の顔はとても良い笑みを浮かべていた。なぜか化粧までされ、だんだんと面倒くさくなって来たみくりは眠たくなって来ていると、
「終わったよ〜」
スフェーンが話しかけて来たことで意識が戻ると、みくりはそこで手鏡を受け取ると、蓋を開けて覗き込んだ。
「…」
手鏡に映る顔を見て、みくりはスフェーンに聞いた。
「…誰?」
その疑問にすかさずスフェーンが突っ込む。
「君や」
「…!?」
スフェーンに言われたことでようやく理解したみくりは驚いた。
綺麗に整えられたボブカットに、目元に化粧をされた自分の顔。一瞬誰なのかと聞いてしまうほどには、見慣れない顔だった。
手鏡に映る今の自分の顔を見続けているみくりを見て、
「『やっぱり、女の子なんだなあ〜』」
としみじみとした様子で口にしていた。
長くて乱雑に伸びていた髪を短く切り揃え、少々化粧をするだけでこの変わりよう。本人からすれば生まれ変わったようにも思えるだろう。
「おぉ…」
みくりはそんな状態の今の顔を見て目を軽く輝かせていた。
「スフェーンさん、魔法使い?」
「んなわけありますかい」
そこで煙草に火をつけるスフェーン。
みくりの大変身に満足していると、
ガシャーーーンッ!!
激しい音と振動が工場を襲い、スフェーンとみくりは驚いた表情を見せた。
「何だ今のは!?」
「…」
その衝撃にみくりは困惑しており、スフェーンはすぐさま外に飛び出した。
「っ!!これは…」
そして操車場に飛び出すと、そこでは一台の車が工場の壁を突き破って停まっている光景だった。
「いっててて…」
すると事故を起こした車から明らかながらの悪い、バカ丸出しの髪型と刺青をしている若造三人が降りて来た。
「何してんだ?!」
「あぁ??!何だテメェ?」
壁を突き抜けるほどの威力で突っ込んだ車を見て、スフェーンはすぐに通報をする。
そして出て来て早々にメンチを切ってきた馬鹿相手に面倒臭さを感じざるを得なかった。




