#257
「よいしょっと…」
車用のバッテリーをリヤカーに乗せ、そこで軽くスフェーンは息を整える。
「お疲れだな」
「えぇ、そりゃあ誰かに言われて車の修理をさせられる訳ですしね」
少々恨みを込めてスフェーンはセントレジャーを見る。
「ふむ、では映画と食事代で手を打とうじゃないか」
「…どうせ自分に作らせるんでしょう?」
呆れたようにスフェーンが言うと、セントレジャーは頷く。
「よく分かっているじゃないか。よい心構えだ」
「…修理終わったら速攻で仕事に戻らせてもらうんで」
どこがよい心構えだ。なんて思いながらスフェーンは軽く伸びをして腰を叩く。
「んあ〜、腰腰」
腰痛にだけはなりたくないと言うと、
「若いのになぁ」
「いや、十代でも平気でヘルニアになるよ?」
「おう…なんだか経験済みみたいな声だな」
セントレジャーは少し引き気味な表情でスフェーンを見ると、彼女はリヤカーに荷物を乗せ終えて鍵をかけた。
「まあ実際、同じ姿勢で長時間座り過ぎて痛めたことはありましたよ」
スフェーンはそう言い、傭兵時代にオートマトンから降りた瞬間にぎっくり腰になった苦い経験を思い出す。
ぎっくり腰の酷い点といえば、一度やると二度目は早いと言う点だ。本当にあれだけは勘弁してくれと何度思ったことか。
「可哀想に…」
「何でそんな憐れみの目線を向けるんですか…」
リヤカーに車とバイクの修理に必要な部品諸々を購入し、出発準備を終えたセントレジャーは早速取手を握る。
「行くぞ」
「いつでも」
そしてセントレジャーが一歩踏み出すと同時にスフェーンは後ろから力をかけて押すと、リヤカーがゆっくりと動き出してセントレジャーはそのままリヤカーを引いて走り出す。
「ふぅ、まるでばんえいだな」
そして街を抜ける脇道を進むセントレジャーは言う。
「えぇ、よくもまあこんな荷物積んだリヤカーで走れると軽く感心してますよ」
帰りの補佐役で横を歩くスフェーンは言うと、セントレジャーは返す。
「馬鹿言え、現役の頃は軽トラ引いて走るのが当たり前だったんだぞ」
「え、何その前時代的訓練方法」
「それが手っ取り早い、薬に頼らない訓練方法だったのさ」
そう言い、彼はその時のことをふと思い出した。
「なぁ、スフェーン。俺が自然主義にこだわったのはなぜだと思う?」
「え?不正を正すためとか?」
そんな返答にありきたりな返しご苦労と彼は言うと、そこでその訳を話す。
「ある友人の陸上をやってた男が薬に手を出し過ぎて、ホルモンバランスが崩れて性転換手術をする羽目になってな」
「それで、薬に頼らないことを決めたと?」
「それは理由の一つにすぎん」
二人は今、リヤカーで街中を走る用の専用の自転車用道路を走っている。
獣人がリヤカーを引く光景は良くあるので誰も気に留めようとはしなかった。
「まあ、動機ではあるがな」
そこで腰を入れると、リヤカーのスピードが上がった。
「本来のスポーツというのは、自然な肉体美を演出する為の道具だ。それを薬でどうにかしては、本末転倒もいいところだろう?」
「そりゃあ、まあ…」
スフェーンは横で軽く駈歩になりながらリヤカーを追いかける。
「それに、走り始めた頃は俺も期待されていなかった。むしろ同期の別のやつの方が走りに関しては期待されていた」
リヤカーの速度はだんだん速度を上げていき、それと同時にスフェーンも段々足を早めていく。
前に披露した時速八〇キロで走ろうもんなら足に結晶が出てきてしまう。それを抑えるために彼女は巡航速度を時速三、四〇キロとしていた。
「ほっほっほっほっ!」
「よーし、ちゃんと着いてきているな!?」
リヤカーを走る王者という知る人が知ればシュールな光景を前にスフェーンは苦笑気味に追いかける。
「よしっ!少し重い、坂道に差し掛かったら後ろから押せ!」
「はいはい、分かりましたよ!」
そこでスフェーンもセントレジャーを追うように走り出す。幸いにも、少女体型ではないので体力には自信があった。
「ゼェー…ゼェー…」
途中の山道の手前、肩から息をしてどっぷりとスフェーンは汗をかいていた。
いや、普通にダメでした。やぁ、防弾チョッキに銃や予備弾諸々を装備しての街郊外までの行軍は骨が折れる。
「体力無いな」
「えぇぇえええいっ!仕方ないでしょうが…」
大きく息を吸い上げ、体をぬっと起こしたスフェーンはセントレジャーに言う。
「そもそも私、そう言う走る訓練受けてないんですけど…?」
「ふむ、やはり鹿の獣人だな」
巡航速度で長いこと走っていた彼は、これからの山道にやや不安を覚えると察したようにスフェーンは言う。
「ああ、坂に関してはご心配なく。体力はすぐに回復しますので」
「なら良いのだが…」
しかし事実、彼女の荒げていた息は落ち着きを見せていた。
「ふぅ…さて、行きましょうか」
「うむ」
そこで車の修理部品やスフェーンの荷物で重くなったリヤカーを後ろから押して坂を上がっていく。
夜になると寒過ぎて凍死するかもしれないのでタイムリミット付きだった。
「せーのっ!」
そしてスフェーンは後ろからグッとリヤカーを押し込み、坂を登っていった。
「ふぅ…」
そして時間が少し経ち、日が傾いて久しい時間帯に二人は帰ってきた。
「えぇ…流石に疲れた」
車のバッテリーなどの重い部品を積んでいたので、帰ってきた頃にはクタクタとなっていた。
「流石に今日は朝から一苦労でしたよ」
スフェーンもそれには同意すると、リヤカーをガレージに入れて食料や鞄を持って家の中に向かう。
「やれやれ、こんなに遅くなるとは…」
「夜は冷えるからな」
「何でこの緯度でこんなに寒いのか、天候に小一時問い詰めたい気分」
スフェーンはそう言うとセントレジャーの家に入り、そこでセントレジャーは着ていたジャージを脱いでシャツとズボンに着替える。
「これじゃあ修理は明日からだな…」
あのガレージは夜の寒さを防げるほど頑丈な作りでは無いので、事実上日が落ちてからの活動は不可能だ。
どうせ使わないからと一番安いガレージを注文したのが仇になったと思いながら彼は寝室から出る。
「…」
軽く見まわし、そこで自動清掃機がちょうど充電ポートに戻るのを見た。
「はあ…」
そして吐息。久しぶりに体を動かしたものだと思った。
少なくとも現役を引退してから長いこと隠居をしており、早く玄孫が見たいものだと一番上の孫を急かしつつ、静かに過ごす日々を過ごしていた。
「玄孫か…」
今の歳を考えると、少し見るのは厳しいかもしれない。
確かに歴史を辿れば、獣人でも八〇を超えている人は大勢いる。だが、そう言う人たちは大体がいわゆる外れ値の分野に入る人たちである。
「まあ、見れれば儲け物だな」
彼はそう考えると、リビングの家族集合写真を見る。
子が生まれるたびに取り直しており、この写真も三年前に八人目の孫が生まれた時に撮ったものだった。
「さて、今日はどうしたものか…ん?」
その時、セントレジャーの嗅覚が反応をした。
「焦げた香り…?」
はて、台所で何が起こっているのか。
確か今日もスフェーンが夕食を作ると言っていたはずだが?
セントレジャーはそこで首を傾げながら台所に向かうと、
「…何だその格好は」
セントレジャーは少し驚いた表情でスフェーンを見た。
今の彼女は白黒のヴィクトリアンメイド服を着ており、家の薪ストーブに木炭を入れていた。
「どうです?似合っているでしょう?」
ムスーという擬音がつく表情で彼女は胸を張ると、セントレジャーは即答した。
「どうだかな。さっきまでの姿見せられたらちょっとなぁ…」
「ひっでぇ」
まさかの即答にスフェーンは軽く気落ちすると、そのあと再び木炭を薪ストーブの中に入れた。
さっきまで肩から息をして疲れていたというのに、若いのはすごいなとその回復力に感心しながら彼女が木炭をダンボールで買った理由を理解した。
「何を作るんだ?」
「それは後からのお楽しみということで」
そこで彼女はあさわたを入れて、紐で繋がれた火打石を手に取ると、音を立てて火花を散らした。
「フーッ」
そして息を吹きかけ、木炭に火をつけると、そのまま燃える炎は簡単に木炭に火をつけた。
「おぉ、やっぱ安い木炭はすぐに火がつく」
彼女はそう言うとオーブンの扉を閉める。
「しばらくは中を温める必要がありますね」
「すごいな…そのオーブンを使うのか」
「やっぱり火で作るのが一番美味いでしょう?」
「そうだな…」
セントレジャーもそれには同意すると、そこでスフェーンは言う。
「セントレジャーさんって、恐ろしい節制した生活しているんですね」
「ああ、引退後も現役の時のような若々しさを演じたかったからな」
彼はそう答えると、スフェーンも納得した様に軽く頷く。
「確かに、セントレジャーさんって、年齢の割に若い見た目ですよね」
「ああ、まあもうすぐ寿命だがな」
「そんな悲しいこと言わんでくださいな〜」
スフェーンはそう言いながら昼に買ってきた食材で早速料理を作り始める。
「今日はどんなものを作るつもりなんだ?」
「そうですね…昨日と同じ和食といきましょうか」
スフェーンはそういうが、脳裏に米バーガーは和食なのか?と首を傾げたセントレジャー。
するとスフェーンは米櫃から白米を取り出し、二人が食べる分を取り出して洗米を行う。
「やろうか?」
「あっ、じゃあお願いしてもいいですか?」
そこでセントレジャーが手伝うと言ったので、スフェーンは任せるとその間にぬるま湯に温めた鍋にティーバックを放り込んでじっくり煮立てる。
「ほぉ、茶飯か」
「あっ、分かりますか?」
そこでセントレジャーは夕飯に出す料理を言い当てた。
「まあ日本茶は色付けだけで、メインは胡椒飯のつもりなんですけどね」
「ほぉ〜、美味いのか?」
「意外といける料理ですね」
スフェーンはそう返すと、そこで茶を入れながら出汁を作るために同じく沸かした鍋から昆布を取り出すと鰹節を少し手で砕きながら入れる。
そして片方で茶を入れながら、もう片方で出汁を作る。流し台ではセントレジャーが洗米を行いその間にテキパキと準備を進めるスフェーン。
「手慣れているな」
「まあ長いことやっている趣味ですからね」
スフェーンはそこで湯気の経つ出汁を入れている鍋の方を見つめていた。




