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第12話 ②

 前回の続きです。

 不穏な空気がまだ続行中です。


~~~~


 それからほどなくして二戸は、本日の活動予定を各部員に確認したのち、職員室へと戻っていった。

 二戸が去った後の部員達はぼちぼち、長テーブルを二つ向かい合わせにしたいつもの作業スペースを囲んで、各自予定に挙げた活動に取り掛かる。

 永司が体験入部で訪れているため、七つのパイプ椅子が満席になっている。

 そういえばこの椅子の数が最初は六つだったことを、珠里は思い出す。当初部員ではなかった北上が、あまりにも頻繁に部室に入り浸っていたので、気を回した桐矢が体育館のステージ下から借りてきて、一つ足したのだ。その後北上も正式に部員となり、結局七つの席は新たに椅子の予備を用意する間もなく、毎日当たり前のように埋まって、テーブルを囲むようになった。

 今も、その七つの席が全て埋められていることには違いない。

 ただ、桐矢がいない。もしもこれまで通りに活動していたなら、彼が座っていたであろう席には、今は代わりに永司が腰を下ろしている。

 たったそれだけの違いで、珠里の目にはいつもの活動風景がまるで様変わりして映り、全くしっくりこなかった。

 倫と雪奈は長辺に並んで座り、各々の漫画やイラストの原稿の下描きをしている。彼らはいつもであれば、読んだ漫画や観たアニメなどを話題に、窓側の短辺に座る偲も交えて他愛もない会話をしていることが多いが、今日は黙々と言葉を交わすことなく作業に取り組んでいる。

 その対面の長辺では律子と北上が隣り合っている。律子はイラストのラフ絵を作成しながら、構成を思案中の段階だった。そんな律子に北上が、横から真っ当な提案をしたり余計な口出しをしたりして、その都度作業が止まっている。こちらの光景は普段から見慣れたもので、その空間だけでも変わらずにいてくれたことが、珠里に少しの安堵をもたらした。

 廊下側の短辺には永司が座り、過去の部誌を読みながら、時折顔を上げてにやにやと周囲を眺めている。

 珠里はその隣で、ほぼ角のような位置に寄って、部員達の作業を見守り待機する。原案や下絵を、必要に応じてチェックするつもりだったのだ。

 編集やアシスタントの役割は、描き手の進捗度合いに左右される。何らかの形になった原稿が手元に来ない限り、することが大幅に限られてしまうのである。

 そのため、タイミングによって、珠里にはこのような空白の時間ができてしまう。普段であれば、皆で絶えず雑談をしているので意識したことがなかったが、この時間がこれほどまでに所在ないものだったのかと、珠里は戸惑いを覚える。

 だからといって、描き手に無闇に話しかけて構ってもらう北上のような図々しさはない。

 桐矢はずっとこんな感じで過ごしていたのだろうか――

 何ともいえない身の置き所のなさから、そんな思いを巡らせる珠里だった。

 手持無沙汰で仕方がなく、永司のように過去の部誌を持ち出してみるが、珠里は既にどれも読み飽きている。結局時折ページを捲るだけでまともに内容を読むこともせず、それらしい所作で時間をやり過ごした。

 十五分もそうしていると、段々と空虚な気持ちになってくる。

 いよいよ今この場にいる意義を見失いそうになっていたところへ、雪奈が声をかけてきた。


「あの……珠里先輩」


 ぼんやりしていて気がつかなかったが、雪奈はいつの間にか席を立っており、珠里が手を伸ばせば届くような立ち位置まで近づいていた。

 こちらのはっとしたそぶりに気づいた彼女は、いつになく恐縮した様子で原稿を一枚、珠里に差し出す。


「すみません……その、雪奈の下絵を見て欲しいんですけど、いいですか? 何だか、このキャラのバランスが悪いような感じがして……」


 雪奈が指で示すのは、漫画原稿の下絵の一コマだった。

 少年らしきキャラクターが吹き出しで語っているだけのこれといった動きのない場面だが、雪奈はそのコマの絵のバランスが気に入らないのだという。

 原稿を受け取って珠里はその個所を確認する。たまたま他のコマにも、当該キャラクターが描かれていることに気がついたので、それらと見比べて違いを割り出してみる。


「――頭部と顔のパーツのバランス、かなあ」


 頭部というより頭頂部という方が正しいか。要するに髪の毛が生えている部分のことであるが、それに比して目鼻のパーツが大きくなっており、顔部分全体のバランスがとれていないように見えるのだった。横顔のショットなので、尚更パースが崩れやすかったのだろう。


「頭部をもう少しボリューム持たせるか、目や鼻をもう少し小さくすれば、印象が変わるかも」


 雪奈本人にその旨を伝えると、自分の絵を暫く見て考え込んだのち、納得がいったところで頷いた。


「なるほど、了解です。髪の毛のところ、ちょっと描き直してみます」


 心なしか彼女の声が明るくなったので、珠里はほっとする。

 作画について意見する時は、こちらも少なからず緊張する。悪意がなくても、指摘という行為は、相手を不快にさせる可能性を十分に孕んでいるからだ。

 珠里も以前は何度か、言葉の選び方を間違えて、描き手との間の空気を微妙なものにしてしまったことがある。流石に表立って非難されたり言い争ったりすることにはならなかったが、それからは幾分気を遣って意見を言うように心がけているのだ。

 作画編集としての意見を求められた時は、飽くまで絵そのものの線や形やバランスなどについてだけ言及するように努め、個人的な印象や感想はあまり言わないようにする。また、意見を言う際も断定口調は避け、描き手本人が最終的に決定する余地を多く残すようにする。

 珠里はこのことが、他人に特別褒められるレベルの努力だとは思っていなかったが、桐矢だけは気づいてくれていた。

 以前何気ない会話のなかで「宮古、気遣うのつらくない?」と尋ねられたことがあった。その時に、桐矢は珠里の振る舞いの変化を指摘したのだった。珠里としては、気を遣うといううよりはそちらの方がお互いにとって穏やかで合理的だと思っていたし、つらくも何ともなかった。

 ある程度意図的にしていたこととはいえ、大きな変化ではないと思っていたので、看取されて珠里は驚きを覚えたが、少し嬉しくもあった。

 今にして思えば、自分なんかよりも桐矢の方がずっと気を遣っていたし、つらかったのだろうと気づかされる。

 そのことも含めて、珠里は無性に桐矢に会いたくなった。会って話がしたくなったのだ。

 そんな思いに耽っているところへ。


「えー? 何で、何で何で?」


 永司がふざけているようなトーンで声を上げる。彼がその続きの言葉を発する相手は珠里だった。


「珠里ちゃん、どうしてそんな酷いこと言うのー?」

「は……?」


 珠里が怪訝な顔で反応するのも確かめずに、今度は雪奈のまわりをうろうろし始める永司。


「何で描き直しちゃうの、雪奈ちゃん? せっかく描いた絵なのに」

「えっ、だって……」

「珠里ちゃんに言われたから? やだねー。意地悪な先輩がいて」

「さっきから何なの?」


 いよいよ腹に据え兼ねて、珠里は永司のもとへ歩み寄り、反論する。


「意見を求めたのは雪奈だし、私は絵を見て気づいたことを言っただけ。雪奈だって納得して描き直しているんだろうし、それを意地悪とか、人聞きの悪い言い方しないで」

「あー、気づいたことを言っただけって、他人を傷つけた人の常套句だよね。そして、自覚ないのがまた悪質だよね」


 殆ど接点がなく部員同士の関係性もよく知らない相手に、何故そこまで非難されなくてはならないのだと、珠里は憤りを禁じ得なかった。

 納得し兼ねる思いをぶつける珠里の声が荒っぽいものになろうとしたその時、代弁者のような声が先に上がる。


「おい、永司」


 北上が、自席から睨みつけるように永司を見ていた。


「今のは、珠里も別に悪くねえだろ。二人とも、いつもそんな感じで話し合ってるんだよ」

「えー、やだー、いつもそんなことしてたの? 珠里ちゃん、いつもそうやって後輩に嫌味言ってたの?」


 北上の牽制も意に介することなく、永司はなお執拗に珠里を責め立てる。

 ここまで来ると、理屈云々よりも悪意を感じてしまう。自分が何か永司に嫌われるようなことでもしてしまったのだろうか。

 だとすれば、抗議するよりも先に理由を聞いた方がいいのか、と珠里が次の一手を思案していると。


「あの、永司先輩……珠里先輩は悪くないです」


 雪奈も寄ってきて、珠里の肩を持つように説明する。


「アドバイスを求めたのは雪奈です。珠里先輩は、小さな違和感を具体的に捉えるのが得意だから、雪奈いつも絵を見てもらうんです。意地悪どころか、それで助かってるんです」

「――へえ、何で絵なんか見てもらうの?」

「何でって……」


 とぼけているのかのような永司の問いに一瞬たじろぐが、雪奈は正論で返す。


「それは……いい絵を描きたいからですよ。少しでも上手く描きたいし、作品として仕上げたいからです。自分で何とかできる時はそうしますけど、そうじゃない時は、他の人に相談したっていいじゃないですか」

「んー、そっかあ……でも、おっかしいなあ。何かおっかしいなあ」


 雪奈の言葉にはそこそこに頷いておきつつ、永司はそれほど間を空けないうちに首を傾げる。

 まるでステージ上で台詞を言いながら歩くように、芝居がかったわざとらしい所作で作業スペースのまわりを一周した永司が最後に立ち止まり、声をかけた相手は。


「――――ねえ、偲先輩?」


 永司は言う。


「雪奈ちゃんがそんなこと言ってますけど、許していいんですか? だってこの部って、絵の上手下手関係なく、みんなで仲良くするのが大事なんでしょう? いい絵を描きたいって、要するに上を目指す考え方ですよね。仲良くやっていくために必要なことではないですよね」

「だから何? そんなの、個人の自由だろ」


 偲は返事をしないが、永司の突き上げも屁理屈に近くなってきたので、珠里は再び意見する。

 しかし、彼はなお動じることなく、場違いなほど飄々としていた。


「そうかなあ。でも、そしたらそのうち、マウントの取り合いとか始まっちゃうかも」

「何で勝手に失礼なこと決めつけるの!」

「雪奈、そんなことのために絵が上手くなりたいわけじゃありません!」


 珠里もいよいよ我慢ならなくなり、はっきりした反論の意図を持って声を上げた。

 雪奈も流石にかちんと来たようで、声に怒気がこもる。

 他の部員達も言葉にはしなくとも、怪訝な顔や難しい顔を浮かべながら、やや遠巻きに永司の方を見やっている。


「部長、こいつに何とか言ってやって下さい! さっきから、発言にいちいち悪意があります!」


 堪らず珠里は、偲に向かって助けを求めたが、彼は返事をするどころか顔も上げない。

 二戸が退室してからというもの、偲は再びヘッドホンを耳に当て、黙々と机とにらめっこするようにネーム原稿を描いていた。といっても、作業自体が捗っているということもなく、宛ら周囲の空気を遮断するために自分の世界に入り込んでいるようにも見える。

 そんな偲のヘッドホン越しにでも確実に届くよう、珠里は再び呼びかけた。


「部長!」


 少々の無礼を承知で、近い距離で声を張る。

 すると、漸く偲がシャープペンシルを持つ手を止めて、(おもむろ)に顔を上げた。


「――――珠里ちゃん」


 その顔貌には、先ほど二戸の前で見せたものと同じ、のっぺりとした笑みを貼りつけていた。


「――――あんまり大きい声出さないで?」

「え……?」

「せっかく見学しにきてくれてる人がいるのに、そんなんじゃ怖がらせちゃうじゃない」


 何を言っているのだろうか、この部長は。


「永司くんも、こういう喧嘩のもとになるから、おふざけもほどほどにね」

「俺は割と真面目なんですけどねえ。おふざけ扱いですか……まあいいや、了解でーす」


 そのやりとりがなされている傍らで、律子がさりげなく手招きし、自分の近くへ雪奈を退避させている。

 今のくだりのなかで、自らの行動を咎められた珠里以上に、精神的なダメージを受けたのは雪奈だろう。永司の発言は、彼女に対する中傷ともとれるのだ。


「……部長は何とも思わないんですか、雪奈があんな心ないこと言われたのに」


 いきり立つ胸の内を抑えつつ、珠里は確かめるように偲に問うた。

 一体何が可笑しいのか、偲が困ったように笑う。

 部員達の感情に不審さを植えつけながら、彼は雪奈のもとへと歩み寄る。


「――大丈夫だよ、雪奈ちゃん。君はそんなくだらないことする子じゃないって、みんな信じてるからね」


 まるで奥行きのないその言葉は、酷く乾いていた。

 それに対し、小さく「……はい」と返事する雪奈の声は、少しも嬉しそうではない。

 部長、今そういう話しているんじゃないです。

 余程横槍を入れたい珠里だったが、それを許さぬ空気がたちまちのうちに作り上げられ、それも叶わない。

 すっかりしょんぼりしている雪奈は、律子に促されて自席に戻り、倫に軽く背中を叩かれて(ねぎら)われていた。

 北上は、一連の流れに納得し兼ねる思いがありありと分かるほどのしかめ面で舌打ちをしていたが、偲がそれに反応する様子はない。

 そこへ果敢にも律子が、


「部長、そうだとしても永司くんの言い方は、ちょっとないと思いますけど」


 と、食い下がって不服を表明するが、偲の返答は相変わらず上滑りしている。


「まあまあ律子ちゃん、そんなに責めないでやって」


 違う。そうじゃない。

 珠里はもやもやを更に募らせた。

 それ以上の会話を断念する律子の顔は、呆れに近い色を滲ませている。

 偲の笑みは、最早誰の異論も受けつけないように固められていた――

 ――ように見えているにもかかわらず。


「……そういうことじゃないと思うんですけどねえ、偲先輩」


 何故か永司から声が上がって、珠里は驚く。その言葉が、まるでこちらの心中(しんちゅう)を悟ったかのようなものなので、尚更である。

 だからといって何を咎めるでもない、淡々とした声のトーンは相変わらずで、永司は続ける。


「でも、本気でそう思うなら別にいいですよ。まあ、()()()()()()()()()()()()()しましょう」


 偲は何も言わなかったが、永司からは深く追及することも、返事を求めることもなく、そのやりとりは打ち止めとなった。

 席に戻った永司は、再び過去の部誌を手に取った。

 珠里は彼の言葉の意図が気になって、表情を読み取ろうとしたが、崩れぬにやにや笑いがどうしてもそれを阻んでいた。



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