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ゾラム[弍]

孤児院の敷地へと足を踏み入れた瞬間、最悪の状況が目に入ってきた。魔物が孤児院を取り囲んでいるのだ。


その魔物は筋肉の塊のような紫色の巨躯(きょく)を持つ、四足の魔獣だった。頭部には三本のねじれた赤い角がそびえ立ち、首元から背にかけては、ダークグレーの鬣(たてがみ)が激しく揺れている。むき出しの凶悪な牙とは裏腹に、その瞳はガラス玉のように虚ろで、生気が全く感じられない。孤児院の扉は固く閉じられており、獣どもはどこから突入しようかと、隙を窺うように低い呻(うめ)きを鳴らしていた。



「魔物、だと……!」


てっきり『ゾラム』の配下達が子供を攫っていこうとするのではないかと予想していた。


「あれは……マネバクだ。なぜこんな所に……。もっと西の方に現れる魔物だぞ」


アイシスから驚愕の混じった声が漏れる。


「どんな魔物か分かるか?」


俺はマネバクから目を離さず、アイシスに問いかける。


「動き自体は極めて単調だ。鋭い爪での引っ掻き、牙での噛みつき、そして頭部の角を利用した頭突き。だが、筋肉の塊のくせに、瞬発力が異常に速い。猛烈な勢いで突進しながら頭突きを仕掛けてくるんだが、あのねじれた角が肉体に突き刺さると、そのまま空中へ高く打ち上げられる。ねじれが身体の傷口をさらに広げ、地面へと叩きつけられる凄まじい衝撃で、骨を砕かれて絶命する者が多いんだ」


「生身で正面から受けるには、極めて危険な相手というわけだな」



視界に入る数だけでも、既に十体以上の紫色の躰(からだ)がうごめいている。範囲攻撃を得意とする魔法使いの面々は、全員城門の防衛へと向かわせてしまっていた。


「チッ、対人戦を前提に動いていたのが完全に裏目に出たな」


そうこうしている内にマネバクの一匹が入り口の木門へと突進を始めた。ドォン! と、轟音が夜の空間に響き渡る。だが、一撃では破られなかったらしい。


「……シヴァ、行くぞ。アイシスはナナシと共に回り込め。入り口付近の群れから確実に屠(ほふ)っていく」


俺は短く指示を飛ばすと同時に、石畳を強く蹴り出した。走りながらマジックボックスの空間を素早くこじ開け、愛用の一振りを引き抜く。ジャラリと金属音が奏でられ、大鎌(サイス)が俺の手に収まった。


すぐさま術式を脳内で複数展開し、アイシスの視界を確保するために眩い光の玉を上空へ浮かび上がらせ、同時に無数の螺旋鋼を創り出した。それをマネバクの胴体へと容赦なく放ち、動きの鈍った奴から順に、三日月の湾曲刃でその首を深く切り裂いていく。


シヴァもまた圧倒的なスピードを活かし、魔獣の死角へと滑り込むように回り込みながら、その強靭な首筋へと確実にナイフを突き刺していた。



激しい風切り音に混じって、アイシスが放つ魔導銃の破裂音が響き始めると、その方向から狂気的な高笑いが聞こえてきた。


「うふふふふ、きゃはははは! 素晴らしいわ、どんどん肉塊になぁれ!」


黒いレースの目隠しを揺らす、ナナシの声だ。一瞬だけそちらへ視線を走らせると、彼女はその華奢な身体からは想像もつかないほど、青く澄んだ光を放つ巨大な戦鎚を軽々と振り回し、マネバクの頭蓋を文字通り粉砕していた。


飛び散る返り血を浴びながら、心底楽しそうに身を震わせている。その姿だけを見ていると、ただ破壊に夢中になっているだけのようにも思えたが、その立ち回りは完璧にアイシスの死角を補う防壁となっていた。おかげでアイシスの魔導銃が、狂いのない正確さで次々に魔獣の額を打ち抜いていっている。



「くっ……っ!」


身近な敵を片端から片付けていたその時、すぐ側からシヴァの苦悶(くもん)に満ちた声が届いた。即座に彼女の状況を確認する。一匹のマネバクがシヴァに向かって猛烈な突進を仕掛け、彼女はそれを間一髪でいなしていた。しかし、最悪なことに二匹目、三匹目のマネバクがシヴァへと突進しようとしているのを視認する。俺は躊躇なく地面を蹴り上げ、身体の回転による遠心力をすべて大鎌(サイス)の刃へと乗せる。激しい嵐のような軌道を描き、シヴァへ迫っていた二匹の魔獣の首を、まとめて一息に刈り取った。


肉を断つ重い手応えと共に、鮮血が夜霧に霧散する。シヴァもまた、自身がいなした一匹の隙を突いてトドメの一撃を刺し終えていた。俺は呼吸を整えながら、心配になって彼女の隣へと歩み寄る。


「怪我は?どこか痛む箇所はないか?」


シヴァはナイフを流れるような手際で回し、手首の可動に問題がないか確かめる動作を取った。


「はい、問題ありません。ノア様、お力添えいただきありがとうございました」


「シヴァも『贄刻(げいこく)』を使用できていたよな?万が一、自身の身が危ういと判断した時は、迷わず『絶界(ぜっかい)』を展開しろ。ただし、自身の血を贄(にえ)とすることだけは忘れるな。使いすぎれば、自身の身体がもたないからな」


「かしこまりました。しかと胸に刻みます」


シヴァが手を左胸の前に当てながら、頭を下げる。


「さて、こちらの群れは全て片付いたが。……あちらも、丁度終わったみたいだな」


アイシスたちも返り血を拭いながらこちらへと視線を向け、加勢の必要性を見極めようとしていたらしい。互いの目が、薄暗い空気の中で真っ直ぐに合わさった。



「どちらも完全に片付いたようだな」


俺は大鎌(サイス)をマジックボックスへと収め、アイシスとナナシの元へと歩み寄りながら声をかけた。


「ふふっ、頭の構造が単細胞なマヌケばかりで助かりましたわ」


ナナシは口元に細い指先をそっと添えながら、何事もなかったかのように軽やかに笑ってみせる。



「ノア、現時点で何が起きているのか、詳しい状況の把握がまるでできていない。安全を考え、孤児院の子供たちをアタシの私邸へと連れていきたいんだ。シリウスの元にも新たな情報が入ってきているかもしれない」


「ああ、分かった。それが賢明だな」


俺は頷き、彼女の提案に同意を示した。アイシスはすぐに頑丈な木扉へと近づき、中で身を潜ませていた孤児院の先生たちへ、移動の身支度を整えるよう手短に告げに行く。間もなくして、怯えた様子の先生たちと、大勢の子供たちが外へと出てきた。



その混雑の只中(ただなか)から、リオネルが俺の姿を見つけるなり、足音を立てて真っ直ぐに駆け寄ってくるのが見えた。俺は片膝を固い地面へとつき、彼の小さな身体を両腕でしっかりと受け止める。


「リオネル、怖かっただろう。大丈夫だったか?」


「うん! ノアお兄ちゃんに言われた通り、ちゃんと皆を守るために、一番先頭でこの剣を構えて立っていたんだよ!」


リオネルは誇らしげに、細かな傷の残る木剣を俺の目の前へと突き出してきた。あの獰猛なマネバクの群れを前にして、皆の盾になろうとしていたのか。その頼もしい眼差しを見て、彼の心がこの短い期間でどれほど強く気高く成長したのかを実感し、胸の奥が熱くなる。


俺は再びマジックボックスの空間を軽く手元で開き、奥から一振りの小ぶりな真剣を取り出した。


「わぁ! すごい! その剣、今何もない空中から突然出てきたよ!」


「ん? マジックボックスを見るのは初めてなのか? この世界では、日常的に使っている人間も多いと思うが」


「僕、この孤児院の外へは、あまり出かけたことがないんだ……」


途端に肩を落とし、俯いてしまったリオネルの柔らかな髪を、俺は指先で優しく撫でながら言葉を掛けた。


「そうだったのか。なら、これから身体を鍛え上げて、自分の身を完璧に守れるくらい強くなったら、世界中の色んな場所へたくさん出かけられるな」


俺の言葉が胸に響いたのだろう、リオネルの瞳に瑞々(みずみず)しいしい光が戻り、「うん!」と元気よく笑顔を取り戻した。


「じゃあ、まずはこれをリオネルに預けよう」


俺は先ほど取り出した、細身で美しい仕立ての剣をリオネルの手へと手渡した。


「これは、俺がまだ小さかった頃、初めて貰った大切な剣だ。今まで使っていた木剣とは違って、本当に物が切れる真剣だから、鞘から抜く時は扱いに細心の注意を払うんだぞ」


「分かった! ノア兄ちゃん、本当にありがとう!」


「ああ。じゃあ皆の所へ戻って、今度こそその剣で皆を守ってやってくれ。出発するぞ」


リオネルは力強く頷くと、再び友達の輪の中へと混ざっていき、小さな体で一生懸命に周囲を警戒するような仕草を見せ始めた。


俺たちは孤児院の人々を中央に守るように集め、四方に散らばって不測の事態に備えながら、アイシスの私邸を目指して歩みを進めた。




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