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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
第6章/想いを聞かせて(Tomari Katsuragi)
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103.ありがとうと言われるなんて


 古民家のような駅舎の向こうから電車の頭が見え始めた。ゆっくりゆっくり伸びていく車両。カタン、コトン、カタン、コトンという音のリズムは穏やかな拍動よりも遅く、駆け足になるのはまだずっと先だと知っている。


 そう、今朝のような快晴ならば、河川敷の高架橋を淡く香る風を切って走るだろう。

 町の河津桜は彼を見送ってくれる。またいつかこの場所でと。


 電車はだいぶ遠ざかったけど、私は小さく手を振った。

 駅前の屋台が開店の準備を始めた。町の活気が一つ二つと目覚めていく。私も行かなければ。


 この数日間、大切な人と共有した景色や味や温度などの余韻は、私をふやけさせるどころか今では心強い味方となってくれている。

 力が湧いてくるよ。私はもう何処に行っても迷子になどならない。そんな気さえしてくるんだ。


 “独りじゃない”

 その本当の意味を私も少しは理解できたんじゃないだろうか。まだ言葉にはできない。代わりに何かで表現したいなどと思い、桜色をした空想世界の上に光の粒のような模様を幾つもえがいたりなんかした。



 ヒノキの香りが漂う従業員通路はまだ少しモップがけの跡が残っている。


 手を繋いで駆けていく色白の少年と栗色の髪の少女とすれ違った。幼き日の残像ゆえに振り返るともういない。

 朝と夜、晩春と初春が一瞬入り混じった。

 私は彼らが出てきた方、休憩室のドアをガチャリと開いた。


「おはようございます!」


「えっ、トマリさん!? 帰らなくて大丈夫なんですか?」


 目を見開いている大石さんを前に、ん、と首を傾げる。


「帰る、といいますと」


「トマリさん、また都会での生活に戻るって支配人がおっしゃっていたので、ちょっとびっくりしちゃいました」


「ああ、なるほど。兄が余計なことを。ホームページ作成もまだ終わっていないですし、滞在する間は仕事させていただきたいです。と言っても今日までなんですが、キリの良いところまで終わらせて引き継ぎもちゃんとできるように努力しますので、どうぞよろしくお願いいたします」


「まだ一緒に働けるのね! 嬉しい! こちらこそよろしくお願いします」


 ペコ、一礼して彼女の隣に座った。今日もテーブルの上にはノートパソコンが用意されている。表示されているのは何かの計算式だからおそらく別の業務をしていたのだろうな。私はあまり見ない方が良いだろう。


「それじゃあ始めましょうか」


「いいんですか? 一段落してからでも大丈夫ですが」


「大丈夫、こっちの業務も急ぎじゃないから。トマリさんとホームページのこと話し合うの楽しくてね、正直そっちを考えてる方が好き。支配人には内緒よ」


「承知しました。では何処から取りかかりましょうか」


「そうね、まずは……」


 大石さんがマウスを滑らせブログ編集画面を開いた。

 昨日は大石さんがブログのネタを見つけてきてくれたそうで、これを文章化する上でのアドバイスが欲しいとのこと。


 私の文章表現を気に入って頼りにしているのだという。エッセイや小説などを書いたらどうかとまで言っていたが、さすがにそれは過大評価ではないだろうか。せっかく好意的に受け取ってくれてるのだから、軽く謙遜する程度にしておいたが。


 一つ私から提案があった。このあと庭園の撮影に行ってみたいと。


 ホームページに使う庭園の写真を春夏秋冬で用意したらどうかと先日話した。

 今は二月下旬。立春の後とはいえ、景色や気温といった点では冬”とも“春”ともつかない時期だろう。ゆえに中途半端かとも思ったのだが、うっすら雪が残りつつも早咲きの桜や梅、沈丁花ジンチョウゲなどの花が咲いている光景は幻想的な趣があるのではないかと考えた。


 写真写りにもよるが、これをあえて四季の写真に加えてもらっても良いのではないかと思ったのだ。四つでは割り切れない光景を見てもらう。複数枚の写真を並べてグラデーションのように季節の移り変わりを見てもらいたいのだ。


 少しばかり熱くなって語ってしまったが、大石さんは目を輝かせて手をひらを合わせた。


「やってみましょう! 実際に写真を貼り付けてみてからバランスを調整していきましょうか。既にストックしてある写真と合わせれば枚数は結構あるから選び放題よ」


「そうですね。あまり貼り付け過ぎてもごちゃごちゃしてしまうかも知れませんし。写真は横にスクロールする形式にすればいくらかスッキリ見えるかも……とは思うんですが、もし余計なことだったらすみません」


「とんでもない。最近ブログのアクセス数だって増えてきているのよ。トマリさんのおかげ! 何事もまずはやってみるというのが大事じゃない。私も凄く勉強になってる」


 そんなことを言われるとくすぐったくなる。以前の職場では期待されることがプレッシャーになっていたのだが、今はそんなことはない。何が違うのだろうな。


「そういえば旅館のSNSアカウントはあるんですか?」


「あっ、SNSはやってなかったと思います。作った方がいいかしら」


「無理はしなくて良いのですが、ゆくゆくはと考えても良いかもしれません。投稿数はそんな頻繁でなくても大丈夫だと思いますよ。ホームページのリンクを載せるだけでも宣伝効果はありそうですし」


「わかったわ。支配人にも相談してみます」


 インターネット関係はさっぱりだと言っていたからな、兄は。ちゃんとイメージに繋がることを願う。

 大石さんは私の顔を見たまま、あっと小さく呟いた。


「庭園の撮影をするなら今がいいかもしれない! あの辺りはもう掃除が終わってる頃だし、天気もお昼くらいから曇るらしいから」


「そうなんですか。じゃあ行きましょう」


 天気予報、見るのすっかり忘れてた。自然光の明るさ加減は大事だ。

 カメラを持って庭園へ向かう足取りは心なしか弾んだ気がする。ほんのり爽やかなヒノキの香りは、しばらく私の記憶に残りそうだ。



 庭園の雪は軽くまぶした粉砂糖くらい薄く、午前の快晴で全部溶けてしまいそうに見える。無くても良いといえば良いのだが、あれば儚げな風情を添えられそうだから、私のセンスから言えばあってほしいものだった。


 一昨日の情緒的な夜とは違う、澄んだ空気の色彩と厳かな雰囲気におのずと背筋が伸びていく。花の精霊たちが静かにこちらを見つめているかのよう。この心地良い緊張感ごとおさめるべく、私も心を鎮めてシャッターを切った。


 撮った枚数は決して多くない。選ぶのはこの中の一枚だけ。これから作る四季折々のグラデーションの中の一部分だ。


 だけどまるで長い夢でも見ていたように五感は満たされていた。雪の溶けつつある庭園はもう蜃気楼のように遠く。

 同じ景色を見つめている彼女はどんな気持ちなんだろうか。


「綺麗ね」


 シンプルであるがゆえにすっと入ってくる言葉。ああ、そうか。今はそれでいいんだと腑に落ちる。


「大石さん、私……」


 気が付けば口にしていた。

 今、私が立っていられる理由を。これからの私を支えてくれるあの約束のことを。



「私、たぶん大丈夫です。これからも、隣で笑っていてくれるそうなので」



 意図せず出てきたものだから、上手く言えていなかっただろうけど。なんだか後から恥ずかしくなってきてしまったけど。


「トマリさん」


 静かな声色を受けて身体が硬直した。今更我に返った。


 だから。仕事中にいきなり恋愛の話をされても大石さんが困るだろう。あれほど気を付けようと思っていたのに何をやっているんだ、私は。

 彼女の顔を見れないまま、いたたまれなさが膨らんでいく。



「すみません、今のはお気になさらず」


「待って、トマリさん」


「撮影したい場所は以上なので休憩室に戻……」



「待ってってば、トマリさん。ありがとう! 本当に」



 まるで腕を掴まれたかのように動きが止まった。真っ直ぐ私を見つめるその表情に見入った。


 優しげな瞳が沢山の光をたたえている。満面の笑みの中でそれは特に際立っている。

 これはどういうことなんだろう。わかってないはずなのに心は一足先を行く。熱く込み上げてきそうなくらい強く揺さぶられているのを感じるのだ。


「ありがとう。そんな素敵な約束があると教えてくれて」


「隣で笑ってくれた……とおっしゃったのは大石さんですよ」


「でもそこに辿り着いたのはトマリさんでしょ。ううん、トマリさんとその人と二人で見つけた最善の答えね。この歳で、こんなに新鮮な気持ちを分けてもらえるなんて思わなかった。あなたには感謝しかない。本当よ」


「いえ、そんな……」


 こんなときに気の利いた返事もできないことを申し訳なく思う。落ち着いた見た目に反して熱いものを持っているのだなと驚いてしまったのだよ。

 そして今、そんな彼女の思いに共鳴しているのも確かだ。

 降り注ぐ光の粒と柔らかな花の香りを感じながら。


 “独りじゃない”意味がここにもある。帰る前に見つけられて良かった。


「今日でさよならなのは寂しいけど、これなら安心して行ってらっしゃいって言える。いつかまた会いたいけど、まずはトマリさんが嬉しいとか楽しいとか思える時間を優先してね」


「ありがとうございます。このご恩は忘れません。あっちの街で、またいちからスタートできるように頑張ります」


「ふふ、トマリさんらしい。頑張りすぎないでね」


 そう、上手くいくかはわからないけど、ちょっとずつ覚えていきたいと思う。肩の力を抜くということを。

 今この瞬間にもできるだろうか、なんて思って息を深く吸ってみた。

 ゆっくり吐いていくその途中、私の視界にもう一つ春の彩りが舞い込んだ。


「あらメジロ」


「可愛らしいですね」


 見える景色が広がっていきそう。そんな兆しに思えて気持ちが綻んだ。こんなタイミングで私のお腹はぐぅと鳴く。

 綻ぶどころか緩みすぎたか、あるいは桜とメジロが寄り添うさまから桜餅を連想してしまったか……。


 大石さんは何も聞こえていないかのように見えたのだが、休憩室に戻ってすぐにミルク味の飴を私にくれた。濃厚な味をチョイスするところまで抜群な気遣い。

 なんだかこの味も記憶の奥深くにじんわり染みて残りそうな気がする。遠い未来の私はそれを優しい記憶と感じるのだろう。


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