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tomari〜私の時計は進まない〜  作者: 七瀬渚
第6章/想いを聞かせて(Tomari Katsuragi)
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99.記憶の中にいられたら(☆)


 和希から電話がかかってきたのはその夜のことだった。

 母と兄と遅めの夕食をとった後、旅館のホームページをスマホで見ているときだったからすぐに出ることができた。

 私がここにいる事情を詳細に知っている彼女。それゆえの予感があったんだろう。私は迷わず席を外し、二階の寝室まで登って行った。


『家族と一緒にいるところ悪いな。あんたらがあれからどうなったかどうしても気になってよ』


「ありがとう。気をかけてくれたのだな。和希のおかげで、無事に千秋さんと会うことができたよ」


『おう、そりゃ良かった。それで? お互いの気持ちとかちゃんと話せたのか』


「気持ち……そうだな……」


 私の視線は澄んだ夜空に吸い寄せられた。まだ雨戸も閉まっていないから月明かりまでもがよく見える。

 窓に触れると氷のようにひんやりする。そうしたのは、夢現ゆめうつつを漂っているような意識を現実と繋いでおくためだったのかも知れない。


「痛いほど伝わってきたよ」


 それでもあのとき全身で受けた溺れそうなほどの情熱はどんな現実よりも鮮明だ。ここにある温度とは比べ物にならないほど。

 夜空の花はもう散ったはずなのに、私の昨日はまだ続いてる。


『そうか。熱い男だもんな、あの人』


「いちご狩りに行ったり、花火を見たりしたんだ。とても貴重な時間だった。彼も私も、どうやっても忘れることはできないだろう」


『なんで忘れる必要があるんだよ。大切に覚えておけばいいじゃないか』


「鎖で繋いでしまったようなものだ。私は彼を解放するつもりで会ったのに、できなかった。どうしても、あの優しい目を見ていると、情緒がぐちゃぐちゃになって苦しい。楽しかったのは本当なのだが、私だってきっと、彼にそういう思いをさせているから……それで今日は、突き放すような言い方をして……」


『うん』


「……すまない。上手く言えない」


『ああ。気にすんな。おおむねわかってるつもりだから』


 和希がどんな結果を望んでいたか知っているから、それに対する罪悪感もある。期待に添えなかったことを伝えるのが心苦しい。

 おそらくこの沈黙で伝わってしまってるとは思うが。


『なぁ、トマリ。一つ訊いていいか』


「なんだろうか」


『それはあんたの本心だったのか』


「え……」


『千秋さんのためとか、私のためとか、そんな基準で選んでないか? あんたは気遣い屋だ。そっちへ帰る前も、千秋さんに甘えてはいけないとか言ってたもんな。それも確かにあんたの意思だ。わかるよ。でもな、想いが一致してる相手だぞ。あんたが自分の気持ちに素直にならなかったら、それこそ千秋さんは自分が不甲斐ないせいだとか思っちまうんじゃないのか』


「そんなことはない! 私は千秋さんに何度も助けられている。頼もしさがあり、だけど驕り高ぶらず私のことも尊重してくれる。彼の優しさは強さの証なんだ」


 つい大きな声を出してしまった気がして、ちらりとドアの方を振り返った。特に足音などは聞こえない。緊張はゆっくり解けていった。

 窓ガラスにこつんと額をつけて、息を深く吸ったりなどしてみる。


「すまない。熱くなってしまって」


『いや、私も一気にいろいろ言い過ぎちまった。一つどころじゃ済まなかったな。わりぃ』


「いいんだ。和希の言うことはもっともだと思うのだ。私は千秋さんに誤解を与えてしまったかも知れない。あの人は、実はあのとき……」


 彼と過ごした時間は二人だけの宝物にしておきたい気持ちがあった。だから全ては話せないけれど、彼が一度、自分を選んでほしいと願いを示してくれたことを和希には伝えた。


 私が罪悪感に囚われないようにと気遣って身を引いてくれたことも。

 そこまで話して私は気付いた。これはこれで彼に甘えていたんだと。たとえ傷付いても私を嫌わない。大人の表情で頷いてくれる。


 そうだ、やっぱり、嫌いになって忘れてほしいなんて強がりだったんだ。


 昨夜、彼の瞳に映っていた自分の顔を思い出す。そこには確かに切実な思いが滲んでいたことも。



挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)



 忘れないで。

 私のこと、忘れないでほしい。

 美しい景色も苺の味も繋いだ手の温度も、あなたと共有したもの全部。


 許されるなら、あなたの記憶の奥深くにいさせてほしい。いくらも思い出さなくたって構わないから。生きていたいんだ。あなたの世界で。


 だけどそんなことは言えない。言う資格はない。あんなに冷たく振る舞った後なら尚更。


 やはり明日は家で大人しくしているのが良いだろう。ちょっと外に出るだけでも危険と思った方がいい。

 運命は何度でも私たちを引き合わせたから、もうその流れに乗らないようにせねば。



 ……リ。


『なぁ。トマリ、聞こえてるか?』


 私の意識はやっと和希の声をキャッチした。一体どれくらいの間、自分の世界に浸っていたんだろう。


「すまない。その……何処まで話していただろうか」


『あ〜、別にいいんだ。今のは聞こえてなかった方が都合がいい。独り言が漏れたようなもんだし』


「?」


『会話が途切れたってあんたの気持ちはよくわかる。私は経験したことのない気持ちなのにな、不思議とわかる感じがするんだ。私が千秋さんを連れ戻したのだって、やはりこれで良かったんだと思えた。私じゃ千秋さんの代わりは務まらな……いや、なんていうか、あんたとあの人の絆は深いんだと改めて実感してな』


「私は和希の気遣いに応えることはできなかった。別れる道を選んでしまったのだよ。それでも許してくれるのか?」


『許すも許さないもないだろ。あんたたちの選択なんだからな。私もこれ以上、あんたを困らせることは言わない。話してくれてありがとな』


 また目頭が熱くなりそうだ。和希の気さくな優しさ、それと、今やっと長い昨日が終わりそうな気配がして、安堵と物悲しさが入り混じった複雑な思いが胸の内で広がる。


 夜空を零れ落ちていく熱き花びらの残像にいつまでも見惚れている訳にもいかない。

 ここから先、私が見つめるべきは現在の景色だ。


「お礼を言うのは私の方だ、和希。本当に感謝している」


『大丈夫か? 声震えてるぞ』


「ああ、大丈夫だよ。それで和希、できればで良いのだが……」


『ん、なんだよ』


「私は地元に帰る可能性が高くなった。だがそうするとしても、引っ越しの手続きや荷物の運び出しなどでまたそっちに行く機会はあると思う。そのときに少しの間でも良いから、食事など一緒にできないだろうか」


 少しの間があった。音声が途切れたのかと思って、もう一度彼女の名を呼んだ。

 そしたらすぐに弾けるような笑い声がした。だけどちょっと掠れ気味だ。風邪でも引いたんだろうかと心配になる。


『なんだよそんな改まって。あんたさえ良ければメシでも映画でも花見でも、なんだって付き合うぜ。どんだけ離れても友達だって約束しただろ』


「そう言ってくれて嬉しい。ありがとう」


『あっ、それと。あんたのとこの旅館、いずれ私も客として行くからよろしくな! そうだ、ツーリング仲間も連れて行っていいか? 五、六人いるんだけどよ』


「もちろんだ。歓迎する。余裕を持って予約してくれれば大部屋も確保できると思う」


『よっしゃ、決まりだな! 楽しみが増えたぜ。今のうちに金貯めとかなきゃな〜。セール期間中に金欠になっちまったからまた頑張らねぇと』


「販売員は最新の服を着て売り場に立つから、商品の入れ替わりが多いほど出費も増えるのだよな。私もそうだった」


『楽じゃねぇよな。どんな仕事もさ』


「私も旅館で働くのは初めてだ。覚悟して臨まなければなるまい」


 無理すんなよ、と和希はやや低い声で言う。

 そうだな、家業ということもあり尚のこと責任を感じているのも確か。あまり肩に力が入りすぎるのもそれはそれで良くないのだろうな。


 やはり和希とは長い付き合いになりそうだと、距離など大した問題ではなさそうに思えてきた。

 多少甘えることが許されるのなら、新しい生活での悩み事なども相談したいし、嬉しいことや楽しいことも聞いてもらいたい。


 和希の話も沢山聞きたい。ツーリングに関してはなんの知識もないが、彼女たちが見てきた光景や美味しかったもの、次に行きたい場所などを聞くのは楽しそうだ。


 アパレルの話を聞くのも好きだ。私はあの業界を離れたけれど、不思議と寂しいとは思わない。服が好きという気持ちが変わらないからだろうか。


 そういえば私は着物の着付けを自分でできる。和希に着付けを教えてあげれば、いつか一緒に浴衣を着て出かけるなんてこともできるのではないか。


 最新のメイクやハマっているドラマ、おすすめの音楽や季節のイベントも。


 ああ、共有したいことが次から次へと浮かんでくる。独りじゃないと思える。

 私はやはりここで生きていけそうだよ。だから安心してくれ、和希。


『なぁ、あんたもう風呂入った? もうちょっと喋っててもいいか』


「お風呂も夕食も済ませてある。和希さえ良ければ私ももう少し喋っていたい」


『おう、なら良かった。いま旅館の仕事手伝ってるんだろ。どういうのやってんだ?やっぱり和服着て接客とかか』


「ホームページのリニューアルやブログを書いたりなどしている。この間は旅館からの景色や料理の写真を撮った。格好は私服だ。基本的に接客はしていないし、地域のイベント情報を集めるために取材に出ることもあるから動きやすい方がいい』


『はぁ〜、そういう仕事もあんのか。どうだ、楽しいか?』


「親切な人が教えてくれるおかげで楽しめている。ただ……」


『ただ?』


「支配人である兄の目があるのがな……」


『兄貴そんなに厳しいのか』


「厳しいのも事実なのだが、いま喧嘩中なのだ。実はな、昨日……」


 こうやってまた相談話になってしまって申し訳ないのだが、正直なところ話の内容は別にこれじゃなくても良かったのだ。兄とのこと、多少気まずいと思っていたのは本当だけど。


 何故か今、いつか和希と一緒に飲んだクリームソーダのことを思い出した。スプーンで掬い取った不恰好なバニラアイスが乗っていた。


 和希の声を聞いていると元気が出てくる。パチパチ弾ける炭酸を舌に感じたときみたいな楽しさ。

甘ったるいばかりの砂糖水みたいな私の心が爽快感を欲しているのかも知れないな。

 そんなことを思いながら私は、自分の影響の受けやすさを少しだけありがたく思ったのだ。


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