第43話 奇妙な病気の話
お待たせいたしました。改稿版です。
「カマさん!! 大変だ! また患者が現れた!」
「何ですって!?」
『患者』――その言葉に、空気が変わった。
カマさんの顔色が一瞬で消える。
ただの風邪や怪我ではない。
白銀に彩られた美しい街並み。
だがその裏で、何か良くないことが起きている。
そんな予感が胸を過った。
そう考えていると、カマさんは慌ただしく出掛ける準備を始め、俺達へ振り返った。
「フェレちゃん、坊や達、ごめんなさいねぇ! アタシ、行かないと!」
そう言って飛び出そうとした時だった。
「待ってください!」
フェレシアさんが慌てて呼び止める。
「カマさん! 私も行きます!」
「でも、フェレちゃん……」
カマさんは複雑そうな表情を浮かべた。
その顔を見て何となく察する。
フェレシアさんは怪力のせいで周囲から恐れられ、両親にも捨てられたと聞いた。
カマさんが心配しているのは、患者のことだけじゃない。
この街そのものが、フェレシアさんにとって苦い思い出の場所だからだろう。
「もう、昔の弱い私じゃありません!」
真っ直ぐカマさんを見つめた。
その瞳には強い意志が宿っていた。
「それに、今の私なら力になれるかもしれません! いいですよね!? クロスギさん! アクレアさん!」
「フェレちゃん……」
カマさんが目を細める。
だが、その願いを聞いたアクレアさんは難しい顔をした。
「駄目だ」
即答だった。
フェレシアさんの肩がぴくりと震える。
「私達の任務は患者を救うことではない」
「で、でも……!」
「それに、医者でも治癒師でもない私達が行ったところで、かえって足手まといになる可能性が高い」
アクレアさんの言葉は正論だった。
今回の目的は玄武王に関する調査だ。
病気の調査や治療は専門外。
中途半端に首を突っ込めば、任務の遅延だけでなく被害を拡大させる可能性すらある。
限られた戦力をどこへ投入するべきか。
そう考えれば、アクレアさんの判断は極めて合理的だった。
何より、月ノ城さんの浸食は今この瞬間も進み続けている。
一刻も早く手掛かりを掴まなければならない。
カマさんも何かを察したのだろう。
優しくフェレシアさんの肩へ手を置いた。
「ありがとう、フェレちゃん。でも、その騎士さんの言う通りよぉ」
「……」
「ここはアタシに任せてちょうだい。ねっ?」
フェレシアさんは俯いた。
返事はない。
ただ、握り締めた拳だけが小さく震えていた。
親代わりとなってくれた大切な人。
その人が困っている。
それなのに、自分は何も出来ない。そんな現実に苦しんでいるのだろう。
「本当に……」
小さな声だった。
「本当に私は、何も出来ないんですか……?」
その言葉が胸に刺さる。
数ヶ月前までの自分を見ているようだった。
力がなかった。何も出来なかった。
今だってそうだ。
アイリスやクレナ、ファフニー、フヴェズルングの人達。
いつだって、自分は誰かに守られてばかりだった。
だから強くなろうと決めた。
自分の道は自分で切り開ける人間になるために。
「ヨウイチ……」
アイリスがこちらを見上げる。
「このままでいいの……?」
「……」
何となくだった。
だが、自分の勘が警鐘を鳴らしている。
このまま見送ってはいけない。
そんな気がした。
今まで何度も命を救ってくれた勘だ。
なら、今回も信じてみようと思う。
それに、宿を貸してもらう身だ。
少しくらい恩返しをしても罰は当たらないだろう。
「アクレアさん、行きませんか? せめて状態くらいは見ておいた方が良いかもしれません」
「駄目だ」
即答である。
フェレシアさんが目を見開いた。
突然の助け舟だったのだから無理もない。
だが、ここで感情論を持ち出しても意味はない。
アクレアさんは任務を最優先に考えている。
ならば、それに見合うだけの合理的な理由を示す必要があった。
俺はまずカマさんへ視線を向けた。
「カマさん。さっき『患者』って言っていましたけど、もしかして流行り病か何かですか?」
「えぇ……そうねぇ」
カマさんは少し考えるように視線を上げる。
「三ヶ月くらい前からかしらぁ。急に患者が増え始めて、みんな困っているのよぉ」
三ヶ月前。
俺の脳裏に浮かんだのは月ノ城さんの失踪だった。
そして山に現れた黒い靄。
さらに玄武王。
全部が三ヶ月前後に起きている。
偶然。
そう片付けるにはできすぎていた。
点と点が少しずつ繋がり始めている気がした。
もしこれが玄武王に繋がる現象なら。
調べる価値は十分にある。
「アクレアさん」
「何?」
「月ノ城さんがいなくなったのは三ヶ月前でしたよね」
「そうだね」
「この病気も三ヶ月前から」
「偶然かもしれない」
「そうかもしれません」
俺は素直に頷いた。
「でも、山の黒い靄も同じ頃なんですよね」
「……」
「しかもここは玄武王の縄張りに一番近い街です」
アクレアさんは腕を組む。
「それだけで関連付けるのは早計だ」
「俺もそう思います」
即答する。
「だから断定はしません」
「なら何が言いたい?」
「違和感があるんです」
「違和感?」
「はい」
俺は肩を竦めた。
「一つなら偶然で済ませます。でも二つ三つと重なると流石に無視できない」
そう言ってから俺は続けた。
「でも、逆に無関係だと断定する根拠もありませんし、俺が気になっているのは、時期だけじゃないんです」
「?」
「その病気そのものです」
アクレアさんが眉をひそめる。
「どういう意味だ?」
「三ヶ月も流行っているのに原因が分からない」
俺はカマさんを見る。
「違いますか?」
「えぇ……そうねぇ」
カマさんは頷く。
「誰も“原因が何一つ”分からないのよぉ」
「それです」
やっぱりだ。
俺はアクレアさんへ向き直る。
「普通の流行り病なら、三ヶ月もあれば何かしら傾向が見えてくるはずです」
「……」
「感染経路とか、共通点とか」
「確かに」
「でも今の話を聞く限り、それが何もない」
アクレアさんは腕を組む。
「原因不明の病気ということか」
「はい」
俺は頷き、再びカマさんへ視線を向けた。
「カマさん」
「なぁに?」
「もしかして、その病気……ヒールでも治らないんじゃないですか?」
カマさんの目が大きく見開かれた。
「……どうしてそう思ったの?」
カマさんの声には驚きが滲んでいた。
筋骨隆々のおっさんがシスター姿をしている理由は未だによく分からない。
だが、回復系統の職業である可能性は高い。
初めて目が合った時から、ただ者ではないことは何となく分かっていた。
町の人たちから頼られ、頻繁に呼び出されているところを見ると、カマさんは凄腕のヒーラー冒険者だったのだろう。
「この街の人達の反応を見ていて思ったんです」
「?」
「三ヶ月も続いているのに誰も解決したって話をしていない」
「……」
「それに、カマさん自身もかなり追い詰められているように見えます」
カマさんの視線が僅かに揺れた。
さっきまであれだけ穏やかだった人が、患者が出たと聞いた瞬間、明らかに顔色を変えた。
「それって、ただの病気なんでしょうか?」
「……」
「だからこそ調べる価値があると思うんです」
アクレアさんは黙ったまま聞いている。
俺は続けた。
「もし無関係なら、少し時間を使うだけで終わります」
「だが関係していた場合は?」
「玄武王に繋がる情報が手に入る可能性があります。それに、もし病気の原因が玄武王なら、対策を知らないまま接触する方が危険です。あと玄武王の件もあって、一度フヴェズルングで四大魔獣について調べたことがあるんです」
「結果は?」
「ほとんど何も分かりませんでした」
四大魔獣。
その名前だけで人々を震え上がらせる化物達。
しかし――。
能力。生態。弱点。
どれもまともな記録が残っていなかった。
「大規模な被害が出ているのに情報が存在しない」
「……」
「被害規模に対して情報が少なすぎるんです」
アクレアさんは腕を組み、しばらく考え込む。
その表情からは先程までの否定的な色が薄れていた。
「王に遭遇した者が生きて帰れなかった可能性か」
「俺もそう思います」
だからこそ。
「何も知らないまま玄武王の所へ向かう方が危険ですし、それに経験上、こういう嫌な一致は無視しない方が良いと思うんですよね」
俺はさらに続ける。
「仮に玄武王と無関係だったとしてもです」
「?」
「原因不明で治療法不明の病気が大規模で発生している」
俺は肩を竦める。
「それだけで調査対象として十分じゃないですか?」
「だが、それは医者や治癒師の仕事だろう」
「そうですね」
俺は頷く。
「でも、俺達は今、原因不明の現象を調べている途中です」
「……」
「病気なのか。呪いなのか。魔獣によるものなのか。何も分からない以上、切り捨てる理由もないと思います」
しばらく沈黙が続いた。
やがてアクレアさんは小さく息を吐く。
「……なるほど。それでも寄り道には変わらない」
「半日です」
「……」
「半日で何もなければ俺も諦めます」
静かに頷いた。
「確かに調査としての価値はある」
そう言ってアクレアさんはカマさんへ向き直る。
「すまない、カマさん。その患者のところへ同行させてもらっても良いだろうか?」
「……もちろんよぉ」
俺はフェレシアさんへ振り返ってピースをする。
「というわけで、アクレアさんの許可も貰いました。行きましょうか」
するとフェレシアさんの顔がぱっと明るくなった。
「……っ! ありがとうございます!」
しかし、安心するにはまだ早かった。
問題は何一つ解決していないのだから。
「じゃあ、話は終わったかしらん?」
カマさんの掛け声に、俺達は頷く。
そのまま患者の元へ向かった。
宿を出て30分ほど歩いた先。
案内された家へ入った瞬間、鼻を突く鉄臭い匂いが広がった。
「……っ」
そこには衝撃的な光景があった。
近づいた瞬間、妙な寒気がした。
血の臭いとも違う。
腐臭でもない。
もっと、生理的な嫌悪感だった。
ベッドの上に横たわる一人の男性。
全身の至る所から血が滲み出ていた。
シーツは赤黒く染まり、床にもぽたぽたと血が垂れている。
だが妙だった。
俺は怪我人を見慣れている。
魔物に裂かれた冒険者も、戦場の負傷者も見てきた。
それでも、この男からは普通の傷とは違う異様さを感じた。
まるで傷口そのものが生きているような――そんな嫌悪感。
その間にも、カマさんは男性へ近づき、両手から淡い光を放っていた。
ヒール。
しかも相当高度なものだ。
魔力の流れが滑らかすぎる。
見ただけで分かる。
この人はかなり腕の立つヒーラーだ。
街の人達が頼るのも頷けた。
……やはり、人は見かけによらない。
「主人……これは酷いのだ。かわいそうなのだ……」
ファフニーが眉を下げる。
「ヨウイチ……一体何が起きてるのかしら……。全身から血が流れているわ……」
クレナでさえ困惑した表情を浮かべていた。
二人とも血や死には慣れている。
そんな二人が動揺するほど、この病気は異常ということだ。
「カマさん……これは一体、スノーガーデンに何が起きているのですか?」
フェレシアさんが不安そうに問いかける。
カマさんはヒールを掛け続けながら、小さく息を吐いた。
「そうねぇ……どこから話したものかしらぁ」
そして静かに口を開く。
「最初の患者が出たのは三ヶ月前よ」
――三ヶ月前。
月ノ城さんが姿を消した時期と重なる。
山に現れた黒い靄。
玄武王。
そして、この病気。
偶然にしては出来すぎていた。
俺が考え込んでいると、カマさんは続ける。
「あの日は猛吹雪だったわぁ。アタシ、いつも通り宿の仕事をしてたんだけど……突然ドアを叩く音が聞こえたのよ」
――回想
「あれは三ヶ月前の話だったわぁ」
私はいつも通り宿の仕事をしていたのよん。
「ふふふーん♪ 今日はどんなイケメンが来てくれるかしらぁ♪」
そんなことを考えていた時だったわ。
ドンドンドンッ!!
突然、ドアが壊れそうな勢いで叩かれたの。
「ギャッ!!?」
あまりの音に本気で飛び上がったわぁ!
もうびっくりしすぎて心臓止まるかと思ったんだから!
私はちょっと不機嫌になりながら、プリプリしてドアへ向かったの。
「もー! 何よぉ! びっくりするじゃないのぉ!」
そう言って扉を開けた瞬間――そこには顔面蒼白の男の子が立っていたのよん。
雪みたいに白いまつ毛。
整った顔立ち。
店の灯りが当たった瞬間、きらきらして見えるくらい綺麗な子だったわぁ。
でも、その顔は恐怖でぐしゃぐしゃだった。
するとその子、アタシを見るなり叫んだの。
「助けてください! 父を……父を助けてください!!」
必死だったわぁ。
だからアタシ、とりあえず落ち着かせて話を聞いたのよん。
「どうしてアタシなのぉ?」
「貴方はスノーガーデンで一番の治癒師だと聞いたんだ……! お願いだ、父を救ってくれ……!」
……そこまで言われたら放っておけないじゃない?
だからアタシ、急いでコートを羽織って、その美男子の家まで向かったのよぉ。
でも――。
家に入った瞬間、アタシは息を呑んだわ。
ベッドの上に、一人の男が横たわっていたの。
全身が血まみれだった。
「……っ」
あの時の光景は今でも忘れられないわぁ。
普通の怪我じゃなかった。
近づいて見た瞬間、アタシはゾッとしたのよ。
……その傷、“生きていた”んだから。
――――――
「生きていた……?」
「それは実際に見たほうが良いわ」
カマさんは俺達へ向かって手招きをする。
俺達は促されるまま、横たわる男性へ近づいた。
「ここを見て頂戴」
カマさんは傷口の周囲を布で静かに拭う。
露わになった皮膚は、ただ裂けているだけではなかった。
傷の周囲だけ色が沈み込むように黒ずみ、まるで別の何かが皮膚の下に潜り込んでいるようだった。
そして――。
傷口が動いていた。
ただ肉が震えているというより、まるで傷そのものが意思を持って蠢いているようだった。
それは生き物の動きとも違う。
呼吸のようでも、痙攣のようでもない。
ただ、傷そのものが“こちらを見て笑っている”ような、不快な気配を放っていた。
ぴく、ぴく、と裂け目が収縮する。
そのたびに、ぐちゅり、と湿った音が鳴った。
まるで傷口そのものが呼吸しているようだった。
その奥から滲み出る赤黒い液体は、傷自身が何かを吐き出しているように見えた。
「うっ……!」
「あら、ごめんなさいねぇ。少し刺激が強かったかしらぁ」
それを見たフェレシアさんは口元を押さえ、その場にしゃがみ込む。
俺も思わず息を呑んだ。
単純に傷が酷いとか、そういう話じゃない。
“人の傷口ではない”と本能が理解してしまった。
しかも、それが一つではない。
男の全身にある傷が、どれも同じように不気味な脈動を繰り返していた。
アイリスは慌ててフェレシアさんの背中をさする。
すると――。
横たわっていた男が突然激しく身を震わせた。
「うあああああああ!!! まただ!! また聞こえる!!!」
「ど、どうしたんだ!?」
「落ち着いてちょうだい、これも病気の症状の一つよ」
そう言ってカマさんは白い手袋をはめ、そのまま男を押さえつける。
「ああああああああ!! 聞きたくない!! もう聞きたくない!! 遠吠えが……!!」
男は血走った目で天井を見上げながら叫び続ける。
「遠吠え?」
俺達は顔を見合わせた。
その言葉に背筋を冷たいものが這い上がる。
理由は分からない。
だが、“その言葉だけは妙に耳へ残った”。
胸の奥が嫌にざわつく。
まるで、暗い山の奥から何かがこちらを覗いているような――そんな不気味な感覚だった。
すると、不意にファフニーが小さく身を震わせた。
「主人……」
いつもの間延びした声ではなかった。
「どうした、ファフニー?」
ファフニーは男を見つめたまま、ゆっくり口を開く。
「……嫌な気配がするのだ」
その金色の瞳が細くなる。
「血の臭いだけじゃないのだ……もっと、古くて、淀んだ感じなのだ……」
ファフニーは鼻を押さえるように顔をしかめた。
「ドラゴンは魔力に敏感なのだ。だから分かるのだ……この傷、普通じゃないのだ……」
その言葉に、部屋の空気がさらに重くなる。
「普通じゃないって、どういう意味だ?」
するとファフニーは少し迷うように視線を伏せた。
「うまく言えないのだ……でも、“生き物の気配”に近いのだ」
ぞわり、と背筋が粟立った。
俺も同じことを感じていた。
あの傷口は、ただ裂けているだけには見えない。
まるで意思を持って蠢いているようだった。
「それに……」
ファフニーは男を見つめたまま続ける。
「さっきの“遠吠え”って言葉を聞いてから、胸の奥がずっと嫌な感じなのだ……」
ファフニーほどの竜種がここまで怯えるのは珍しい。
だからこそ、その言葉には妙な説得力があった。
だが、誰にもそんな音は聞こえていない。
聞こえているのは男の絶叫と、荒い呼吸音だけだった。
しばらくして、男は糸が切れたように動きを止める。
部屋には重苦しい沈黙だけが残った。
「ふぅ……もう百件目よぉ……」
疲れ切った声だった。
「「「100件!?」」」
「えぇ。私以外にも治癒師達が動いているけど……今、この病気に罹っている人は千人近いわぁ」
小さく息を吐きながら、カマさんは男の額に濡れ布を置いた。
どうやらカマさんは、ずっとこの病気と戦い続けていたらしい。
俺の嫌な予感は当たっていた。
このまま放置すれば、街は確実に蝕まれていく。
いや、それどころか――外へ広がる可能性すらある。
「アクレアさん」
声を掛けると、アクレアさんは静かに腕を組んだ。
「……調査を続行する。これはもう見過ごして良い案件ではない」
低い声だった。
だが、その目は完全に変わっていた。
「ですよね」
やはり、アクレアさんも同じ結論に至ったようだ。
原因不明の病気。
三ヶ月前から続く異常。
そして玄武王の縄張り。
ここまで揃っていて、無関係と切り捨てる方が不自然だった。
「もし玄武王が関わっているなら、知らないまま山へ向かう方が危険です」
「あぁ。まずは病気の詳細を探る必要がある」
どうやら皆の認識も一致したようだった。
すると、クレナが不安そうに口を開く。
「百件目ってことは……他の人達はどうなったの? 助かった人はいないの?」
その瞬間、カマさんの表情が暗く沈む。
そして、小さく呟くように言った。
「……全員死んだわ」
小さな呟きだった。
だが、その一言は部屋の空気を凍り付かせるには十分だった。
この病気に掛かった者は、誰一人生き残っていない。
つまり――今、目の前で横たわっているこの男も。
「この人も……いずれ死ぬわ」
カマさんは静かにそう告げた。
「で、でも……! まだ希望はあるんじゃないんですか!? ほら、カマさんのヒールは凄いんですよ!!」
フェレシアさんは必死に食い下がる。
だが彼女自身、分かっているのだろう。
これは“信じたい”というより、“認めたくない”のだ。
原因不明。治療法不明。しかも、誰一人助かっていない。
そんな現実を簡単に受け入れられるはずがなかった。
カマさんはフェレシアさんを優しく見つめる。
「フェレちゃん、治癒術じゃ治せないのよ。それに命は遅かれ早かれ尽きるものなの・・・」
そして――ゆっくりと首を横に振った。
「だから、ごめんなさいね。」
その瞬間、フェレシアさんの表情が崩れる。
「っ……!」
涙を零しながら、フェレシアさんは部屋を飛び出していった。
「フェレシアさん!」
フェレシアさんが飛び出した後、誰もすぐには言葉を発せなかった。
部屋に残ったのは、患者の荒い呼吸音と、ぽたり、ぽたりと床へ落ちる血の音だけだった。
クレナは唇を噛み締めたまま俯いている。
アイリスも不安そうに患者を見つめていた。
助けられない
その現実だけが、重く胸に圧し掛かっていた。
俺は追い掛けようとした。
だが――。
「いいのよ、クロスギの坊や」
カマさんが静かに俺を止めた。
そう言うと、ポケットから煙管を取り出し、煙草を詰めて火を点ける。
ゆっくりと椅子へ腰を下ろし、紫煙をふぅ……と吐き出した。
その視線は、横たわる患者へ向けられている。
「フェレちゃんは強い子よぉ。ちゃんと戻ってくるわ」
ぽつりと零したその言葉には、妙な確信があった。
長い付き合いだからこそ分かるのだろう。
彼女は逃げたわけじゃない。
ただ、現実を受け止める時間が必要なだけなのだと。
カマさんは再び男へ視線を向ける。
「さて、話の続きなんだけれどねぇ」
「あ、あぁ」
「この男、“遠吠えが聞こえる”って言っていたわよねぇ?」
「あぁ、言ってたな」
「あれが末期症状なのよぉ」
部屋の空気がさらに重くなる。
「あの状態になると、傷の侵食が一気に進むの。もう止められないわぁ」
俺達は黙ったまま続きを聞いていた。
「皮膚が裂けて、身体が耐えきれなくなって……最後にどうなるか、知りたい?」
カマさんはそう言いかけて、
ゆっくり口を閉じた。
「……やっぱり、知らない方が良いわぁ」
その言葉だけで十分だった。
詳しく聞かなくても、どれほど凄惨な最期なのか想像できてしまった。
カマさんは壁を強く殴る。
鈍い音が部屋に響いた。
「だからアタシに出来るのは……せめて、あの子達が最後まで苦しまないようにしてあげることだけなのよぉ!!」
震えていた。
拳も、声も、背中も。
悔しいのだろう。
救いたい。
それなのに救えない。
ヒーラーとして、それがどれほど辛いことなのかは俺には分からない。
だが少なくとも――。
この人が、本気でこの病気と向き合っていることだけは伝わってきた。
俺は何とか出来ないか考える。
だが、何も思いつかなかった。
「ヨウイチ……」
「ん? なんだ、アイリス?」
すると、アイリスは何かに気づいたように、じっと傷口を見つめていた。
「ヨウイチ……あの傷、血と一緒に魔力が流れ出てる……」
「何だと?」
「魔眼でそう見える……。もしかしたら、魔力を回復させれば延命できるかも……。でも、傷口そのものは治せない……原理は分からない……」
アイリスは静かにそう言った。
俺は一瞬考え込み――そして、アイリスの言葉を信じることにした。
「カマさん。ちょっと試したいことがあるんだ、いいか?」
「何かしらぁ?」
カマさんは涙を拭いながらこちらを見る。
俺は収納から特製のMP回復薬を取り出した。
「諦めるには、まだ早いかもしれない」
そう言って、男へ回復薬を飲ませる。
すると――。
男の苦しそうだった表情が、ほんの少しだけ和らいだ。
それだけじゃない。
蠢いていた傷口の動きが鈍くなり、流れ出ていた血も僅かに収まり始めたのだ。
「ぼ、坊や!? あんた一体……!?」
カマさんが目を見開く。
「礼ならアイリスに言ってくれ。魔眼で原因を見抜いたのはこいつだ」
「魔眼ですってぇ!?」
カマさんは驚いたようにアイリスへ近づく。
アイリスは少し怯えたように肩を震わせた。
魔眼。
それが世間で忌避される力だと、アイリス自身が誰より理解しているからだ。
だが――俺はカマさんがそんな偏見を持つ人間じゃないと信じていた。
「お嬢ちゃん」
「ひゃ、ひゃい……」
カマさんはゆっくり手を伸ばし――。
そのまま、アイリスの頭を優しく撫でた。
「ありがとぉー!! 貴方のおかげで人の命が救えそうなのよぉー!」
「わ、私……魔眼で……」
「んもぉー! そんなの昔のじじいとばばぁが勝手に決めつけてるだけよぉ! 貴方は悪くないわぁ!」
カマさんはニコリと笑った。
その顔を見て、アイリスは安心したように小さく息を吐く。
「しかし、MP回復なんて思いつかなかったわぁ……。傷口だから、てっきり肉体へのダメージだと思ってたのよぉ……」
本来、ヒールは体力や肉体を回復させるためのものだ。
魔力を補充する術ではない。
だから気づけなかったのも無理はない。
「だけど、回復薬を買うお金なんてないわぁ……」
「それなら大丈夫だ」
俺は収納から大量のMP回復薬を取り出し、その場へ置いた。
「ぼ、坊や!? この量は……!?」
「あくまで延命用だけどな。良かったら使ってくれ」
「もうぅー! 坊やったらぁ!! 気に入ったわぁ!!」
カマさんは身体をくねらせる。
……何だろう。
背筋に嫌な寒気が走った。
しばらく後ろには気を付けた方がいいかもしれない。
だが――。
この病気は、絶対に調べる必要がある。
「なぁ、カマさん。最初の患者の家って分かるか?」
「あぁん、クロスギちゃんの為なら教えてあげるわぁん!」
いつの間にか“ちゃん付け”になっていた。
本格的に身の危険を感じ始める。
「なら、フェレシアさんと合流して……後日そこへ向かおう」
俺達は一度宿へ戻り、翌日の調査に備えて休むことにした。
その場から離れようとしたとき。
あの男が叫んでいた“遠吠え”だけが、
どうしても頭から離れなかった。
聞こえていないはずなのに。
まるで雪山の奥底で、
“何か”がこちらを見つけたような――
そんな嫌な感覚だけが、胸に残り続けていた。
ホラーチックにしてみたかった人生。




