第19話 信頼の先に待ち受けるものはなんだろうか?の話
26/6/17 改稿済
――二日後
最近、無茶ばかりしたせいで、またアイリスにこっぴどく怒られてしまった。
その結果、しばらく修行は禁止。
強制的なお休み期間に突入したのだった。
あの一件から、俺たちの仲間は一人増えた。
黒髪に、澄み渡る空のような蒼い瞳を持つ少女。
名は――『黒姫ノ紅』。
もっとも、そのまま呼ぶには長すぎる。
「とりあえず、今日からクレナって呼ぶからな」
俺がそう言うと、隣で腕にしがみついていた少女は素直に頷いた。
「うん、いいわよ」
……驚いた。
つい昨日まで反抗期真っ盛りの娘みたいにツンツンしていた奴とは思えない。
いや、あれだけ拒絶していた相手と同一人物なんだよな?
本当に同じ奴か?
まあ、少なくとも『ブラック・ロータスⅢ』よりは百倍マシだろう。
そんな事を考えていると、クレナが俺の腕に頬をすり寄せながら口を開いた。
「ねぇ、ご主人様」
「なんだよ」
「うちのパパに会いたいんだけど」
「……パパ?」
思わず聞き返す。
パパ?誰だ?
この世界に来てから出会った人間の顔を順番に思い浮かべてみるが、全く心当たりがない。
しばらく考え込んでいると、クレナは少し呆れたように言った。
「あの無精ひげ生やした人よ」
「あぁーーーっ!! ハグレのことか!」
ようやく繋がった。
確かに言われてみれば、クレナを作ったのはハグレだ。
生みの親という意味では、父親と呼ぶのも不思議じゃない。
だが同時に、疑問も浮かぶ。
あの時見た記憶。
クレナが閉じ込められていた暗闇。
そして、ハグレという男。
一体どんな経緯で、あんな存在を生み出したのか。
そもそも黒姫ノ紅とは何なのか。
考えれば考えるほど謎は増えていく。
そんな俺の思考を遮るように、クレナが袖を引っ張った。
「……駄目?」
上目遣いだった。
蒼い瞳が不安そうに揺れている。
くっ……。
なんだろうな…。
父親でも兄でもないはずなのに、こういう顔をされると弱い。
「わかった、わかった。後で会いに行こう」
そう言うと、クレナの顔がぱっと明るくなる。
「本当!? ありがとう、ご主人様!」
満面の笑みだった。
その無邪気な笑顔を見ていると、自然と肩の力が抜ける。
やれやれ……少なくとも今は、それでいいか。
ハグレの所へ向かう前に、やることもあるしな。
「あの訓練で、スキルを色々覚えたんだよな……」
そう呟きながら、黒杉は軌光石を起動する。
淡い光が空中へ広がり、自身のステータスが表示された。
【黒杉 陽一】
職業 村人
LV30
HP3000
MP5000
SP2700
攻撃 700
防御 500
魔力 4000
精神 2700
素早さ 600
器用さ 3000
運 15
スキル
・「極限砲撃」
・「極限投擲」
・「収納・EX」、「錬成・EX」、「鍛冶・EX」
・「十文字切り」、「スラッシュ」、「跳躍」、「鍛冶」、「鑑定」、「解析」、「分析」、「改竄」、「釣り」、「料理」、「木こり」、「連打撃」、「乱舞」、「ヒール」、「サキュア」、「ショット」、「ピンポイント」、「シールドバッシュ」、「ガード・アップ」、「アタックアップ」、「スピードアップ」、「密迹」、「金剛」、「加速」
・「一刀両断」、「残影」、「魔力感知」
初級魔法
炎・水・火・雷・土・風・闇・光
初級呪術
「呪」「恨」「影」
パッシブ
成長・Ⅱ
転職の加護
自動回復・Ⅰ
MP自動回復・Ⅰ
千手
「……おお」
思わず声が漏れる。
全体的な数値が、以前と比べて大きく上昇していた。
【融魔制御】の訓練。
そして、シルクとの地獄みたいな修業。
何度も魔力を枯渇させ、限界まで身体を酷使した結果だろう。
特に魔力と器用さの伸びが目を引く。
少なくとも、修業の成果は確かに数字として現れていた。
「少しは強くなれた……か」
以前の自分なら、この数値を見て喜んでいたかもしれない。
だが、脳裏に浮かぶのはフヴェズルングの面々だ。
疾嘉さんに、ユキさん…シルクさん…。
そして…月ノ城さん
自分が全力で放った攻撃ですら、あの人達にとっては訓練の範囲内だった。
数値は伸びたし、スキルも増えた。
それでもなお、あの領域には届いていない。
「……まだまだだな」
黒杉は苦笑する。
だが、不思議と落ち込む気持ちはなかった。
届かないなら届くまで進めばいい。
それだけの話だ。
むしろ問題なのは――。
「シルクさん対策、どうするかだな……」
視線をスキル欄へ向ける。
その中には、限界へ到達したスキルがいくつか存在していた。
次に訓練を受ける時、同じ手は通用しないだろう。
一度見せた技は見切られる。
一度使った戦法は破られる。
だからこそ。
勝つ為には新しい手札が必要だ。
切り札。
それも、決定打になるレベルのものが。
「さて……まずはEXスキルの確認からだな」
───スキルが極限に達した。以下の能力が付与される。
「収納・EX」
・アイテムの詳細を知る事で、複製する事ができるようになりました。
※構造が理解していない物は複製できません。
※特殊系・固有系な物は複製できません。
「錬成・EX」
・土、石を錬成させる事によって、硬度10までの物を錬成に出来るようになりました。
※ミスリル、オリハルコンなどの英雄、伝説級の物は錬成できません。
※硬度を知らないと錬成できません。
「鍛冶・EX」
・英雄級、伝説級の装備以外の物は全て鍛冶で作成可能になりました。
※ミスリル、オリハルコンを使った鍛冶作成はできません。
※構造が理解していない物は作成できません。
※構造が複雑すぎる物は作成できません。
「なるほどな……」
条件こそ多いが、どれも破格の性能だ。
特に【収納・EX】は使い方次第で化ける。
だが、それでもまだ足りない。
シルクとの訓練を思い出す。
あの人は、一度見た技なら対応してくる。
同じ手札だけでは勝負にならない。
だからこそ必要なのだ。
切り札が。
それも、相手の予想を超える決定打になるようなものが。
そんな事を考えながらスキルを眺めていると、隣から小さな声が聞こえた。
「ヨウイチ……?」
振り向くと、アイリスが目を擦りながらこちらを見ていた。
「おはよう、アイリス」
そう声を掛けると、アイリスは少し安心したように表情を緩める。
そして、そのまま俺の手をそっと握った。
「良かった……心配した」
「ご、ごめん……」
そりゃあ、あんだけ無茶をしたんだ。
心配を掛けない方が無理か。
アイリスは小さく頷くと、いつもの優しい表情へ戻った。
「ヨウイチ、何してるの?」
「ん? これか? 新しいスキルを覚えたから、それを試してるんだ」
「ふむふむ……どんなスキル覚えたの?」
「あぁ、それはだな――」
俺はスキル画面を見せながら説明を始める。
アイリスは興味深そうに覗き込み、時折頷きながら話を聞いていた。
しばらく説明を続けた後、アイリスはベッドから降りる。
そして当然のように、その場で寝間着を脱ぎ始めた。
「……」
もう驚かない。
いや、正確には驚いている。
ただ、それを顔に出さなくなっただけだ。
目の前で着替えられても、以前みたいに慌てふためく事はない。
人間、慣れるものだ。
……多少は。
「……」
アイリスがじーっとこちらを見ている。
どうやら反応が薄いのが気に入らないらしい。
むすっと頬を膨らませていた。
いや、そんな顔をされても困る。
(アイリスよ)
心の中で呼びかける。
(其方は十分魅力的だ)
むしろ問題はそこじゃない。
魅力的だからこそ大変なのだ。
俺だって男である。
毎回平然としているように見えて、その実、理性は結構な頻度で綱渡りをしている。
だから頼む。
その不満そうな顔をする前に少しだけ理解してほしい。
俺も俺なりに頑張っているんだ。
「とまあ、こういうスキルを覚えたわけだからさ。今日はその実験だな」
「わかった。補助とか必要?」
アイリスは首を傾げながら聞いてくる。
「必要になったら頼むかもな。じゃあまずは――収納に入ってる霊水を複製してみる」
俺は【収納・EX】を発動する。
収納空間の中にある霊水をイメージし、そのまま複製しようとした。
しかし――
ポンッ。
現れたのは普通の魔力回復ポーションだった。
「……あれ?」
軌光石が淡く光る。
《情報不足、または構造理解不足》
そう表示されていた。
「なるほどな」
効果だけ知っていても駄目らしい。
レシピだけ知っていても料理が作れないようなものか。
「ヨウイチ、失敗?」
「いや、失敗というより条件不足だな」
ならばやることは一つ。
俺は【解析】【鑑定】【分析】を同時に発動した。
青白いウィンドウが次々と展開される。
そして――
《霊水の情報が全て開放されました》
表示された瞬間。
「うわっ」
画面が埋まった。
成分、生成工程、魔力循環、保存方法、使用素材。
意味不明な文字列が延々と並び始める。
「長ぇ……」
「長い」
アイリスも横から覗き込み、素直な感想を漏らした。
だが読み飛ばす訳にはいかない。
収納スキルは"理解"が条件だ。
つまり暗記ではなく、本当に理解しなければならない。
俺は机に向かう学生のように資料と睨めっこを始めた。
四時間後
「…………」
「…………」
部屋は静かだった。
アイリスは途中でお茶を淹れてくれたり、本を読んだりしていた。
クレナは――
「暇ぁぁぁぁぁぁ!!」
ベッドに転がっていた。
「ご主人様ぁぁぁぁ!!」
「うるさい」
「四時間も同じ紙見てる!!」
「紙じゃない」
「どっちでもいい!!」
ごろごろ転がりながら抗議する。
「構って!」
「今無理」
「構ってぇ!」
「今勉強中」
「嫌ぁぁぁ!!」
完全に子供である。
その姿にアイリスが小さく笑った。
「クレナ、静か」
「アイリスまで冷たい!」
「ヨウイチ、頑張ってる」
「むぅ……」
頬を膨らませながら不貞腐れるクレナ。
だが――
ピロン。
軌光石が音を鳴らした。
《霊水の構造理解完了》
《霊水の複製が可能になりました》
「おっ!」
ようやく来た。
俺はすぐに複製を実行する。
収納空間に魔力を流し込み、霊水をイメージする。
すると、淡い光と共に一本の瓶が現れた。
「出来た……!」
間違いない!本物の霊水だ。
同時に体の奥から魔力が一気に抜けていく感覚が走る。
「うおっ……!」
軽く眩暈がした。
「ヨウイチ?」
「大丈夫だ。複製にはかなり魔力を使うらしい」
便利だが万能じゃない。
ちゃんと代償はあるようだ。
「なるほどな……」
俺は新たな情報を頭の中で整理する。
収納・EX。
想像以上に化け物スキルだった。
「な、長かった……」
思わず机に突っ伏す。
久しぶりに本気で勉強した気がする。
学生時代でもここまで集中した記憶がない。
「お疲れ様」
アイリスが頭を撫でてくる。
「ありがとう」
「私も撫でる!」
「お前はやめろ」
「なんで!?」
そりゃあ、力加減地味に雑なんだよ!前に撫でられたときは頭をぐわんぐわん揺らされたからな!軽い脳震盪が起きたからな!?
クレナが即座に飛びついてきた。
結局両側から挟まれる。
重い、非常に重い。
だが慣れてきた自分が少し嫌だった。
その後、俺は収納に入っていた短刀を取り出す。
今度は霊水と同じ手順で調べてみる。
解析、鑑定、分析。
情報を読み解き、構造を理解する。
すると――こちらは三十分ほどで完了した。
「早っ」
どうやら霊水より単純な構造らしい。
試しに複製すると、全く同じ短刀が一本現れる。
「おぉ……」
「増えた」
「増えたわね!」
アイリスが目を丸くする。
クレナも楽しそうに笑った。
「これなら投げ放題じゃない?」
「いや、これだけじゃ足りない。」
あの時は雑なナイフだが。大量に生成して投げたが、シルクには効かなかった。
とはいえ、複製できることは変わりない色々応用できそうだ。
まだまだ研究の余地がある。
そう考えながら短刀を眺めていると――
クレナが袖を引っ張った。
「ご主人様」
「ん?」
「そろそろパパに会いに行きたい」
期待に満ちた蒼い瞳。
やべー…没頭しすぎて、完全に忘れていた。
「あ」
「忘れてたわね?」
「忘れてたな」
「酷い!!」
ぷくーっと頬を膨らませる。
その姿が妙に小動物っぽい。
「ご主人様のばか!」
「悪かったって」
頭を撫でると、少し機嫌が直った。
単純で助かる。
「今日はハグレの所に行くぞ。クレナの希望だ」
「うん」
アイリスが頷く。
「やった!」
クレナは嬉しそうに飛び跳ねた。
「久しぶりにパパに会えるのね!」
「久しぶりって二日前じゃなかったか?」
「細かいことは気にしないの!」
それはどうなんだ。
だが、確かに俺もハグレには聞きたいことが山ほどある。
それに解析能力の応用についてもだ。
情報を集めるには丁度いい。
「よし」
俺は立ち上がる。
「アイリス、クレナ。行くぞ」
「うん」
「わかったわ!」
二人が返事をする。
そして俺たちは部屋を後にし、フヴェズルングのエンジニア室へと向かった。
―――――――【フヴェズルング 第一会議室】
会議室にはアクレア、セヌーア、立花、シルク、疾嘉、ユキ、サンクの七人が集まっていた。
それ以外にも数名の隊員たちが顔を揃えている。
壁にもたれ掛かる者。
腕を組みながら目を閉じる者。
宙に浮かびながら静かに待機する者。
だが、その場にいる全員には一つの共通点があった。
腕に巻かれた黒い腕章。
そこには銀色の文字で『ⅩⅢ』と刻まれている。
フヴェズルング所属を示す証だ。
普段なら雑談の一つでも飛び交う会議室だったが、今日は違う。
誰もが何かを察しているかのように、室内は重苦しい沈黙に包まれていた。
やがて――
「皆さん、集まったようですね」
静かな声が響く。
赤髪を揺らしながら立ち上がったのは、和服姿の女性――立花だった。
フヴェズルングの現状リーダーの一人である。
「これより、フヴェズルング緊急会議を始めます」
その一言で、会議室の空気がさらに張り詰めた。
立花は全員の顔を見渡し、ゆっくりと口を開く。
「最近、フィルネル王国周辺で不審な人物の目撃情報が相次いでいます」
「不審な人物とは?」
アクレアが眉をひそめる。
「どういった人物でしょうか?」
その問いに立花は小さく頷いた。
そして懐から一つの軌光石を取り出す。
しかし、その軌光石を見た瞬間。
何人かの表情が僅かに変わった。
軌光石の表面には、赤黒い染みがこびり付いていたからだ。
まるで乾いた血痕のような、不気味な染みだった。
立花はそれを見つめながら静かに言う。
「第五課の隊員が回収した記録映像です」
その声音は、どこか普段よりも硬かった。
「あれ? 姉御ー! 二課の人が向かったんじゃないでふか?」
シルクが首を傾げながら尋ねる。
立花は小さく頷いた。
「はい。ですが、その理由も今から分かります」
そう言って軌光石を起動する。
直後、会議室の照明が落ちた。
白いスクリーンに淡い光が灯る。
自然と、その場にいる全員の視線が集まった。
映像が流れ始める。
最初はノイズ混じりの荒い映像だった。
だが、その中に一人の人影が映る。
黒いロングコートに深く被られたフード。
顔は見えない、誰なのかも分からない。
それなのに――。
「……っ」
誰かが息を呑んだ。
映像越しのはずだった。
ただ記録された過去の光景を見ているだけのはずだった。
なのに、まるで目の前に立たれているかのような圧迫感を覚える。
殺気。
それも生半可なものではない。
肌に突き刺さるような鋭さ。
内臓を直接握り潰されるような不快感。
本能が危険を告げていた。
そして、その殺気は徐々に濃くなっていく。
黒く――重く―――禍々しく。
まるで闇そのものが形を持ったかのように。
会議室の空気が冷えていく。
誰も言葉を発しない。
発することが出来なかった。
やがて、コートの男がゆっくりと顔を上げた。
その瞬間だった。
暗闇の奥で、二つの光が灯る。
紅い瞳、血のように赤く、鋭い刃を彷彿させるような感覚
そして何より――
"こちらを見ていた"。
「――――ッ!?」
背筋を氷でなぞられたような悪寒が走る。
ただの映像、そのはずなのに。
まるでスクリーンの向こうから見返されているような錯覚に陥る。
いや、錯覚ではない――本当に見られている。
そんな気さえした。
目を逸らしたい。視線を外したい。
だが、身体が動かない。
本能が警鐘を鳴らしている。
まるで獲物を見つけた捕食者に見据えられたかのようだった。
そして――ブツン。
唐突に映像が途切れる。
静寂。
誰も口を開かなかった。
ただ重苦しい沈黙だけが会議室を支配していた。
「この映像の後です」
立花が静かに口を開く。
だが、その声には僅かな震えが混じっていた。
「第二課との通信が途絶えました」
会議室の空気がさらに重くなる。
誰も口を挟まない。
立花は拳を握り締めたまま続ける。
「直ちに第五課を現地へ向かわせたのですが……」
そこで言葉が止まった。
俯く立花。
唇を強く噛み締めている。
近くにいたシルクは気付いていた。
普段は冷静な立花の拳が、小さく震えていることに。
嫌な予感が胸をよぎる。
「到着した時には……」
立花は一度目を閉じた。
「第二課の隊員は全員……」
再び静寂。誰も次の言葉を聞きたくなかった。
だが、現実は待ってくれない。
「……体をバラバラにされた状態で発見されました」
その言葉が会議室に落ちる。
仲間の訃報だった。
誰も何も言わない。
言葉が出てこなかった。
拳を握る者もいれば、目を伏せる者。
ただ静かに歯を食いしばり、ギリィと音がなるのも聞こえた。
会議室は重苦しい沈黙に包まれる。
どれほど時間が経ったのか。
やがてアクレアが静かに口を開いた。
「……第二課の者たちには、後で墓を建ててやろう」
感情を押し殺した声だった。
「……はいです」
シルクも小さく頷く。
しかし、その表情は暗い。
仲間を失った事実は簡単に受け入れられるものではなかった。
すると、今度はセヌーアが前へ身を乗り出した。
「これ以上被害を出さないためにも、早急に手を打つ必要があるね」
その声音は冷静だった。
だが、その瞳には明らかな警戒が宿っている。
「それに――」
セヌーアは全員を見回した。
「さっきの殺気。皆も感じたんじゃないかな?」
その言葉に、会議室が静まり返る。
誰も返事をしない。
いや、できなかった。
信じたくなかったからだ。
あれほどの殺気を放てる人間を。
彼らはたった一人しか知らない。
――フヴェズルング創設者。
――統べる者。
――月ノ城 羽咲。
その名前が、誰の口から出ることもなく脳裏に浮かぶ。
だが確証はない、映像に映っていた顔は見えなかった。
ただ、あの紅い瞳と殺気だけ。
だからこそ、誰も断言できない。
そんな沈黙の中、セヌーアは重々しく続けた。
「もし……」
一度言葉を区切る。
「もし、あれが本当にウサさんだったとしたら――」
会議室の空気が凍り付く。
「今の状況は、極めて危険だ」
そして全員に問い掛けるように言った。
「皆も知っているだろう?」
なぜなら――。
この場にいる誰もが、一度だけ見たことがあるからだ。
月ノ城羽咲が暴走した姿を。
あの日の光景は今でも鮮明に焼き付いている。
フヴェズルング総勢で挑んだ。
それでも圧倒された。
誰一人として本気で勝てると思えなかった。
幸いだったのは、月ノ城自身が完全には理性を失っていなかったことだ。
そのため死者は出なかった。
だが、周囲の被害は凄惨だった。
彼が放った"殺意"だけで森の木々は枯れ果てた。
大地は黒く腐り、川の水は濁り、飲めなくなった。
まるで世界そのものが死んでいくような光景だった。
あれは戦闘などではない。
あれは『災害』。
いや――厄災そのものだった。
本来であれば、その力は抑えられている。
月ノ城羽咲が持つ異常な【殺人衝動】。
それは【悟りの極致】によって制御されているはずだった。
だからこそ、今の状況は異常だった。
何らかの理由で制限が外れたのか、あるいは無効化されたのか。
最悪の場合、自ら解除した可能性すらある。
誰も口にはしなかったが、その可能性を否定できる者はいなかった。
そんな重苦しい空気の中。
「それにー……」
疾嘉が静かに口を開く。
普段と変わらない間延びした口調。
だが、その表情は決して明るくない。
「羽咲さんが失踪したのは一週間前ですしー……時期的にも一致してるかもなの」
会議室の空気がさらに重くなる。
誰も反論できなかった。
状況証拠だけなら揃いすぎている。
セヌーアは静かに目を閉じる。
そして覚悟を決めるように言った。
「最悪を想定するべきだね」
一拍置く。
「もし本当にウサさんなら――排除も視野に入れなければならない」
「ま、待ってください!」
勢いよく椅子を立つ音が響いた。
シルクだった。
机に手を付き、必死な表情でセヌーアを見る。
「う、うーさんを排除なんて! そんなの、いくらなんでも!」
声が震えている。
怒りでも、恐怖でもない…悲しみだった。
「シルちゃん」
立花が静かに呼びかける。
「セヌーさんも決めつけているわけじゃありません」
「そうですよー」
疾嘉も続く。
「これはあくまでも最悪の場合のお話なの」
「でも……!」
シルクは拳を握り締める。
納得できるはずがなかった。
この場にいる誰もがそうだ。
なぜなら――フヴェズルングにいる者達は皆、月ノ城によって救われた人間だから。
居場所のなかった者。
迫害された者。
死にかけていた者。
捨てられた者。
その全員を拾い上げたのが月ノ城羽咲だった。
恩人であり、師匠であり、家族同然の存在。
人によって呼び方は違う。
だが、その存在が特別であることだけは共通していた。
だからこそ。
誰も彼を敵だと認めたくなかった。
その時だった。
ずっと黙っていたアクレアがゆっくりと顔を上げる。
難しい表情を浮かべながら、静かに口を開いた。
「出来る限りの事はしましょう。しかし、最悪の場合も想定しておいて下さい」
アクレアは静かにそう告げた。
誰も反論しない。
いや、出来なかった。
ここにいる誰もが月ノ城羽咲という存在の危険性を知っている。
同時に――誰よりも、その強さを知っていた。
「では、本日の会議はこれで終了します」
会議終了の合図が響く、その瞬間だった。
「……っ!」
シルクが椅子を蹴るように立ち上がり、そのまま会議室を飛び出していく。
勢いよく閉まる扉の音だけが、静まり返った部屋に残った。
「シルちゃん……」
立花は心配そうに閉じた扉を見つめる。
あれだけ取り乱すのも無理はない。
シルクにとって月ノ城羽咲は恩人であり、師であり、家族のような存在なのだから。
もし本当に映像の人物が月ノ城なら、もし本当に暴走しているのだとしたら。
その事実を受け入れられるはずがなかった。
「疾嘉先輩……シルちゃん、大丈夫でしょうか……」
不安そうな声で立花が尋ねる。
疾嘉は椅子にもたれ掛かりながら、小さく肩を竦めた。
「大丈夫なの」
いつも通りの気の抜けた口調。
だが、その瞳には確かな信頼が宿っていた。
「それにウーサーはしぶといし…それに……」
そして、流れる映像を巻き戻し、赤く光る眼をの場面で止める。
しばらくの無言。映像越しでありながら、互いに見つめあっているように見えた。
「あんな簡単にやられる人じゃないなの」
「……はい」
そういって、静かに笑う。
立花は小さく頷く。
その言葉に励まされたのか、それとも自分に言い聞かせたのか。
分からない。
だが、少なくとも今は信じるしかなかった。
フヴェズルングを作り上げた男を、誰よりも強く、誰よりも優しいあの人を。
やがて参加者達も次々と席を立ち、会議室を後にしていく。
重苦しい空気だけを残して。
そして、広い会議室には、一人の人物だけが残された。
セヌーア。
彼は誰もいなくなった部屋を見渡し、静かに目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、一人の人物の姿。
かつて交わした言葉。
そして、今も信じ続けている約束。
「ウサさんなら……」
ぽつりと呟く。
その声は誰にも届かない。
「きっと、あの約束を果たしてくれるはずです」
静かな確信だった。
根拠はない。
だが、それでも信じている。
あの男だけは最後まで諦めないと、そう言い残すと、セヌーアは踵を返す。
照明の落ちた会議室の奥へ。
伸びる影の中へと、その姿はゆっくり消えていった。
そしてその頃――。
フヴェズルング内部のどこかでは、そんな緊迫した空気とは無縁に…
黒杉楊一が、
「か、かっこいい!!」
と目を輝かせていた。
「だろぉ!?」
ハグレ=メダルと盛大に意気投合していたのであった。




