BAD END~豚鬼皇帝の野望~
『父上、母上、私はこの世界で出来た素晴らしい仲間と共に、新しい世界で生きてみようと思います。まだ返事待ちなので、もしかしたら一人で新しい世界に行かなければならないかもしれませんが……。そちらで私に関してどのような情報が流れているかは分かりませんが、豚鬼の性奴隷にされているとか、きっとそう言う類の情報が流れていると思います。そんな世界では、私は生きていく自信がありません。なので、私は私の事を知る者がいない世界で生きていこうと思います。皇族としてではなく、一人の人間として、新しい世界で』
そこまで映像が続いて、その後暫くの間沈黙が続いた。
『ニコラスに伝えてください。どうか、私の事は忘れて、いい女性を見つけて、幸せになって欲しいと。私が彼に望むのはそれだけです。二度と父上達ともお会いする事は叶わないでしょうが、私は新しい世界で生きていきます。どうか、お体には気を付けて』
映像は、そこで途切れた。
「確かにアリシアのようだし、無理に言わされているとも思えないが……」
身なりは皇族としてはみすぼらしいモノだったが、健康には問題がなさそうに見える。
「君は何モノだね……?」
いきなり自室に現れ、自身と妻――アリシアの母――のみにこの映像を見せる茶色の二足歩行をする茶色の蜥蜴。この世の生き物とは思えない。
「なあに、ワガハイはただ姫騎士に頼まれただけよ。互いにコーラを飲みかわした仲間。その仲間たってのお願いとあらば聞かないわけにはいかない。こうして、科学の力を駆使して映像を撮り、世界を越えてやって来たのよ。家族というのはいいモノだねえ。あそこまで思ってくれる娘がいるなんて、素晴らしいではないか。その娘の思いをわざわざ届けるあたり、ワガハイなんて優しいのだろう? なんて素晴らしいのだろう? ワガハイの事を褒め称えよ、崇め奉れよ、老害」
国のトップであろうと、蜥蜴丸は態度を変えない男、否、蜥蜴である。不敬罪だトカ言って部屋の外で控えている騎士たちが襲いかかって来ても、騎士どもを全滅させてから悠々とこの世界を後にするだろう。それだけの自信がある男、否、蜥蜴である。
「まあいい、娘が元気であるならばそれでいい。確かにこの世界に戻って来ても、娘には居場所などないかもしれぬからな」
アリシアに関しては、アリシアが危惧していた状態になっていた。国のトップである自分でも娘を護ってやれる自信は、ない。
「では、伝えたぞ。ワガハイは他にもまわらなければならない世界があるのでな、長居などしていられないのだよ、ではサラバだ」
空間が歪んだかと思った直後に、蜥蜴丸と名乗った蜥蜴の姿は跡形もなく消えていた。魔力の残滓は感じられない。何一つ分からないが、科学とは恐ろしいモノなのだろう。
「しかし、ニコラスは……」
彼は、もう、この国にはいない。少なくとも騎士団からは抜け出し、何処かへと旅立ったのだ。「アリシアを取り戻す」とだけ言って。今は、生きているのかどうかも定かではない。
「アリシアが新しい世界とやらで幸せになってくれればいいが……。皇族としてではなく、一人の女性として」
カダス皇帝の呟きは、妻しか聞いていなかった。
――――豚豚豚豚――――
「そろそろ、この体もお終いか……」
ピラミッド完成から、十年近くが流れた。この世界で生きたいと願った連中以外は全て、元いた世界か、各自望む新しい世界に送った。自分がいなくなったこの世界がどうなるか、少しだけ心残りはあるが、自身が眠る棺もある。ただ一つ、心の片隅にしこりの様に残るのは、若かりし頃に抱いた野望。科学者と名乗る蜥蜴に協力してまで遂げたかった筈の野望。それを叶えられなかった事。
「まあいいか。どうせもうすぐ死ぬ身だ」
体の不調はいたる所に現れていた。棍棒を持つ力も、だいぶ弱まって来た。
こうして、いつの間にか玉座から立ち上がるのすら億劫になっていた。もはや、残る問題は、いつ死ぬか――。
気が付けば、謁見の間の扉が開かれていた。現れたのは、一人の男。見覚えなどない。少なくとも、この世界の住人ではないだろう。ならば、どうやってこの世界に来た……?
「豚鬼皇帝、アリシアを返して貰うぞッ!!」
振るわれた剣を何とか止める事が出来たのは、己の持つ矜持がそうさせたのか。豚鬼皇帝には分からなかった。
「アリシア……? 誰の事だ? この世界に連れて来たのは百や二百じゃ足りないのでな、さっぱり分からん」
「ふざけるな、十年前、カダス帝国から貴様に連れ去られたアリシア・ルン・カダスだ!! 忘れたとは言わさんぞ!!」
何とか棍棒を振り払い、男を遠ざける。アリシア・ルン・カダス……? そのような女がいたかもしれないが、よくは思い出せない。
「この世界に連れて来たニンゲン達の大半は、ピラミッドが完成した後に、それぞれの世界に戻した。もっとも、自分がいた世界に戻りたくないと言った連中は全く別の世界に送ってやったがな」
「何だと……?」
「貴様が誰かは知らんが、遅かった、いや、遅すぎたのだ!!」
死を意識した頃に過去の亡霊が襲い来たか、そう思うと、豚鬼皇帝は心の底から笑いが込み上げてきた。ああ、これ程笑ったのは、いつ以来だろう?
「ならば、俺のこの十年は、無駄だったのか? いつかアリシアを取り戻すために修行し、世界を渡る魔法を手に入れたと言うのに……ッ!?」
男の放つ絶望が、心地いい。
「そうだ、貴様の人生など、全くの無駄だったのだ。絶望を抱えたまま、死ぬがいい!!」
豚鬼皇帝は勝利を確信したまま棍棒を振り下ろした。
そして、気付いた時には首から血を噴き出す己の体を見おろしていた。
「アリシアがいない? ならば、俺は、アリシアを求めて数多の世界を渡ろう。いつか必ず、アリシアと再会する為に。彼女の笑顔を取り戻す為に。そうしなければ、俺は前に進めない」
振るわれた剣の上に自分の首から上が乗っている事にその時になってようやく気付いた豚鬼皇帝。そうか、オレは死んだか。豚鬼の平均寿命から遙かに延びた長き生からようやく解放されるのか。解放された喜びを感じながら、再度剣が振るわれ地に叩きつけられたのを感じて、豚鬼皇帝の命は、完全に潰えたのだった。
――――■■■■――――
長きにわたる修業は、無駄に終わったのだろうか? 滅びの魔女と呼ばれる女性に師事して得た世界を渡る力も、意味などなかったのだろうか?
「ハハハ、何と滑稽なんだ、俺は?」
大切な女性を護る事が出来なかった。あの時の自分は騎士失格だ。
大切な女性を奪い去った豚鬼皇帝を殺したところで、大切な女性を取り戻す事が出来なかった自分は、復讐者失格だ。
町の住民と何故か言葉が通じたので、情報がないか聞いてみる事にした。酒場で自称イケメンのバーテンからアリシアらしき女性が別の世界へと旅立ったと聞いた。今から約八年前の事のようだ。
どうやらこの世界で死んだワケではないらしい。ならば、きっとアリシアは生きている。もしかしたら、今では誰かいい男性を見つけて幸せになっているかもしれない。
「彼女が幸せになっていればそれでいい。だが、確かめねば。ならば、俺は彼女を見つけるまで、いくらでも世界を渡ろう――」
目を開けたら、全く分からない世界に来たようだ。馬が引かずとも動く鉄の車(?)が道を走っている。高い建物が並び、己のような武器をさして歩く人間などいない。
なんだ、この世界は……?
まったく分からない。少なくとも、己が知るどの世界とも根本的に違いそうだ。
だが、何故か分からないが、文字は読める。では、言葉はどうだ? 近くを通った二人組に声をかけてみる事にした。
「済まない、聞きたい事があるのだが……」
「あんだぁ? 何だよ兄ちゃん、コスプレか? 祭りの時期じゃねえぞ!!」
「武器ぶら下げてんぞ、コイツ。もしかして、俺達から身ぐるみ剥ごうってんじゃねえだろうな?」
昼間から酔っているのだろうか? 酒臭い息がかけられた。身なりも薄汚い。
「いや、聞きたい事があるのだが……」
その瞬間、轟音と共に足元の地面に穴が開いた。魔法……? いや、魔力など一切感じられなかった。
男の手には見慣れぬ武器のようなモノ。
「てめえが刀で襲ってくるからいけないんだぜ? テッポが火を噴くぜぇ?」
「ハハハ、こっちが身ぐるみ剥いでやろうか?」
どうやら問答は無駄のようだ。もう一人の男も見慣れぬ武器のようなモノを取りだした。魔力がなくても、魔法と同じ様な威力が出せるのか、この武器は……?
その武器が自分へと向けられたのを感じて、近くの路地へと飛び込んだ。
「逃げんじゃねえぞ、ゴラァ!!」
「てめえ、どこの組織のモンだぁ? ここは、俺らのシマだぞ!!」
いくつか角を曲がったが、後ろから声と足音が響いてきた。土地勘のないこの世界で生きていけるか、それどころかアリシアを見つけられるのか、俺は?
そんな事を考えているうちに誰かに手を引っ張られ、建物の一つに引っ張り込まれた。
息を殺しているうちに、男たちが通り過ぎて行くのが分かった。
「大丈夫かな、お兄さん? 一キロも先から追いかけっこしていたみたいじゃない?」
危機が去ったと思ったのか、女が声をかけてきた。なかなか上等な身なりをしたいい体つきの女だった。
――抱きたい、犯したい……!!
「見慣れないカッコをしているね。武器も持っているみたいだし……。ま、行くあてがないならここで働くかい? 今、ウチと敵対している組織があってね、あんた腕は立ちそうだから、用心棒でもしてもらおうじゃないの――ッ?」
周りに誰もいないのを確認した後、俺は、否、オレは女の唇を奪い、押し倒していた。
息も絶え絶えの女が、オレを、否、俺を見上げてきた。
「あんた、助けてやったと言うのに、ど、どういうつもり……? いきなり犯すだなんて……」
俺が、目の前の女を犯した? 何を言っている? 俺は、オレは……?
「女、ここはどんな場所だ? どうやらオレは記憶を失ったらしく、ここが何処かも分からぬ。教えてくれないか?」
「はっ、いきなり女を犯すような男に教えると思うのかい?」
オレの笑顔は、どれ程邪悪な笑みなのだろう? まさか、かつて抱いた野望が今になって――死んだ後になって――、別人の体とは言え、叶えられるとはな。
「ならば貴様は用なしだ。死ね」
死への恐怖が勝ったのか、それとも己を見下すオレの目がゴミ屑を見ているかのように思えたのか、女は喋りだした。
どうやらここはある程度文明が発達した社会。魔法は発達せず、戦いの手段は銃火器が主らしい。そして、ここは敵対する組織同士が血みどろの戦いを繰り広げているらしい。
「ならば、オレがこの町の頂点に立ってやる。血で血を洗う世界に変えてみせる。そう、すべてはオレの野望にひれ伏すがいい――!!」
血で血を洗う世界が、心地よかった。
富、権力、名誉、いくつものモノが己のもとに集まってくる。しかし、ニコラス・クラウスにはそんなものはいらなかった。
彼は、己の気の向くまま、自分好みの女をかき集め、己のモノにしていった。
「欲望の赴くままに生きる。それがオレの生き方よ――!!」
いつの日か、ニコラス・クラウス――の精神を乗っ取った豚鬼皇帝――が“夜の帝王”と呼ばれる事になるのだが、それはまた、別の物語である。
これにて完結です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。




