第一話 人生詰み、配信開始
「……終わった」
天城悠真は、コンビニのレシートを見つめながら呟いた。
財布の中には百円玉が三枚。
銀行口座の残高は二千三百十四円。
スマホには家賃催促の通知が表示されている。
『今月中にお支払いいただけない場合、契約解除となります』
「うわぁ……マジか……」
六畳一間の安アパート。
壁紙は所々剥がれ、古いエアコンはガタガタと不穏な音を鳴らしている。
冷蔵庫を開ける。
中には二リットルの水と、賞味期限切れのマヨネーズだけ。
「終わってるな、俺の人生」
床に寝転がり、天井を見上げる。
二十二歳。
大学中退。
バイト解雇。
彼女なし。
友達ほぼなし。
親からは半ば見放されている。
高校まではそれなりに真面目だった。
大学だって最初は頑張るつもりだった。
でも、全部上手くいかなかった。
世界が変わってしまったからだ。
十年前。
世界各地に突如として現れた“ダンジョン”。
地下深くへ続く巨大迷宮。
内部に存在する魔物。
そして、魔石という新エネルギー。
世界は一変した。
国家は探索者制度を整備し、企業は優秀な探索者を囲い込み、ダンジョン攻略は巨大産業となった。
探索者――通称シーカー。
それは今や、最も夢のある職業だった。
トップ探索者ともなれば年収数十億。
企業スポンサー。
メディア出演。
最近ではダンジョン配信で稼ぐ者も多い。
人気探索者は芸能人以上の扱いを受ける。
だが。
当然ながら、そんなのは一握りだ。
大半は低階層で安い魔石を拾い、命を削りながら日銭を稼ぐ底辺探索者。
悠真もその一人だった。
一応、探索者ライセンスは持っている。
だが最低ランク。
戦闘能力は低く、まともなスキルもない。
パーティーに入っても足手まとい扱い。
結局どこでも長続きしなかった。
「……はぁ」
スマホを見る。
SNSでは、人気配信者たちの切り抜き動画が流れていた。
『S級探索者・白銀レイナ、単独で災害級討伐!』
『登録者数二千万突破!』
『企業案件で年収十億超え!?』
「同じ人間とは思えねぇ……」
ため息を吐く。
その時。
ふと、押し入れの奥に目がいった。
「……あ」
昔買った配信機材。
ゲーム実況をやろうとして、三日で諦めた黒歴史セットだ。
「……配信でもやるか」
半分ヤケだった。
このままでも終わる。
なら、最後に何かやって終わった方がマシだ。
悠真は押し入れからカメラを引っ張り出した。
「うわ、埃やば」
雑に拭き、電源を入れる。
数秒後。
ギリギリ起動した。
「おお、生きてる」
スマホと接続。
配信アプリ起動。
タイトル入力欄を開く。
少し考えて、入力した。
『無職、人生逆転するためダンジョン行きます』
「……よし」
配信開始ボタンを押す。
数秒待つ。
視聴者数。
『0』
「まぁ、そうだよな」
悠真は苦笑した。
誰が好き好んで、無名男の人生終了配信を見るのか。
だが、今の彼にはこれしかなかった。
死ぬか。
稼ぐか。
その二択だ。
悠真はジャージ姿のまま部屋を出た。
夜風が冷たい。
古びたスニーカーで歩きながら、東京第七ダンジョンへ向かう。
初心者向けとして有名な低難易度ダンジョン。
最低ランクの悠真でも入れる数少ない場所だった。
駅前を通り過ぎる。
大型ビジョンでは探索者ランキングが流れていた。
一位。
白銀レイナ。
銀髪の美女探索者。
日本最強クラスと呼ばれるS級探索者だ。
圧倒的人気。
圧倒的実力。
まるで別世界の存在。
「同い年くらいなんだよな……」
そう考えると少し虚しくなる。
十分ほど歩き、東京第七ダンジョンへ到着した。
地下鉄跡地を改造して作られた巨大施設。
入口周辺は深夜にも関わらず賑わっていた。
高級装備を身につけた探索者。
企業ロゴ入りジャケットの配信者。
美少女パーティー。
大型武器を背負ったベテラン。
その横を、ジャージ姿の悠真が通る。
「うわ、初心者?」
「装備終わってね?」
「死にに来たのか?」
笑い声が聞こえる。
悠真は聞こえないフリをした。
慣れている。
弱者は馬鹿にされる。
それが探索者社会だ。
受付へ向かう。
「ライセンスをお願いします」
「はい」
カードを提示。
受付嬢が淡々と確認する。
「最低階層のみ入場可能です」
「了解です」
事務的な対応。
当然だ。
最低ランク探索者なんて毎日大量に来る。
ゲートを通過する。
次の瞬間。
空気が変わった。
湿った匂い。
薄暗い通路。
壁に埋め込まれた発光鉱石。
遠くから聞こえる魔物の唸り声。
ダンジョン独特の空気。
【お、始まった】
【視聴者2人で草】
【ほんとにジャージで来てる】
【死ぬなよー】
「お、コメント来てる」
初コメントだった。
ちょっと嬉しい。
「まぁ死なない程度に頑張ります」
そう言いながら歩く。
配信には全く慣れていない。
喋り方もぎこちない。
だが、コメントがあるだけで少し楽しかった。
しばらく進む。
すると。
曲がり角から、小柄な影が飛び出した。
『ギィィィ!!』
「うおっ!?」
ゴブリン。
緑色の肌。
黄色い牙。
錆びたナイフ。
低階層では定番の魔物だ。
だが、悠真は焦った。
「やっべ!?」
武器を持っていない。
完全に忘れていた。
【武器ないの!?】
【アホすぎる】
【終わった】
ゴブリンが飛びかかる。
反射的に、悠真は拳を振った。
次の瞬間。
――ドゴォォォォン!!!
ゴブリンの頭部が消し飛んだ。
壁に緑色の血が飛び散る。
沈黙。
「……え?」
【!?!?!?】
【ワンパン】
【素手???】
【今何した】
悠真本人が一番驚いていた。
「いやいやいや!?」
拳を見る。
痛くない。
むしろ軽い。
「え、何これ……」
その瞬間。
《条件達成》
脳内に声が響いた。
機械音声のような無機質な声。
《ユニークスキル【限界突破】を獲得しました》
「……は?」
《個体性能の制限を解除します》
次の瞬間。
身体の奥で何かが弾けた。
ドクン、と心臓が鳴る。
視界が鮮明になる。
遠くの音。
空気の流れ。
床の振動。
すべてが理解できる。
「なんだこれ……」
身体が異様に軽い。
今なら何でもできそうな感覚。
【隠しスキル?】
【初めて見た】
【ガチ?】
【演出じゃないよな?】
悠真はコメントを見る余裕もなかった。
混乱していた。
その時。
地面が揺れた。
ゴゴゴゴゴ――!!
「……え?」
ダンジョン全体が震える。
遠くから悲鳴。
「逃げろぉぉぉ!!」
「上層に災害級が出た!!」
探索者たちが走ってくる。
顔面蒼白。
血だらけ。
その奥。
暗闇の中から現れた。
巨大な影。
漆黒の鱗。
燃えるような赤い眼。
巨大な翼。
そして圧倒的威圧感。
「……ドラゴン?」
誰かが震えながら叫ぶ。
「黒竜だ!!」
「なんで伝説級が第一階層にいる!?」
「S級案件だぞ!!」
【いやいやいや】
【配信事故】
【終わった】
【逃げろ!!!】
黒竜が咆哮した。
――グオオオオオオオオオオオ!!!
衝撃波。
探索者たちが吹き飛ぶ。
壁が砕ける。
悠真もよろめいた。
「うわっ!?」
だが。
なぜか恐怖は薄かった。
むしろ妙に冷静だった。
黒竜の動きが見える。
筋肉の動き。
呼吸。
重心。
「……避けられる?」
そう思った瞬間。
黒竜が動いた。
一瞬だった。
巨大な爪が振り下ろされる。
【死んだ】
【あっ】
【終】
普通なら即死。
だが。
悠真の身体は自然に動いた。
右手が伸びる。
そして。
黒竜の腕を片手で受け止めた。
ドゴォォォォン!!
衝撃で地面が陥没する。
しかし。
止まっていた。
伝説級モンスターの一撃が。
たった片手で。
「……え?」
【??????】
【止めた】
【いやいやいや】
【人間??】
【バグってる】
黒竜も困惑していた。
赤い瞳が揺れる。
信じられないものを見る目。
悠真はもっと混乱していた。
「いや待て待て待て」
なんで止められた?
意味が分からない。
だが。
黒竜は再び咆哮し、口を開く。
赤熱したブレスが集束する。
「やばっ――」
考えるより先に。
悠真は拳を振った。
ただ、それだけだった。
――瞬間。
空気が爆ぜた。
轟音。
衝撃波。
拳圧だけで空間が歪む。
そして。
黒竜の身体が消し飛んだ。
文字通り。
上半身が蒸発した。
数秒遅れて爆風が吹き荒れる。
壁が崩壊する。
通路が裂ける。
探索者たちが呆然と立ち尽くす。
静寂。
「…………え?」
悠真の口から間抜けな声が漏れた。
【は??????】
【伝説級ワンパン】
【切り抜き確定】
【何今の】
【化け物】
【同接やばい】
スマホを見る。
コメントが止まらない。
画面が追いつかない。
そして視聴者数。
『487,231』
「…………は?」
さっきまで二人だった。
意味が分からない。
【ニュース速報から来た】
【SNSで拡散されてる】
【黒竜倒したのこいつ?】
【国家案件】
【新時代来た】
「いや、俺も意味分からんのだけど!?」
すると。
崩れた通路の奥から、複数の足音が聞こえた。
重い足音。
現れたのは黒い戦闘服を着た集団だった。
胸元には日本探索者協会の紋章。
中央に立つ銀髪の女性が、悠真を見る。
冷たい美貌。
鋭い眼差し。
圧倒的存在感。
周囲の探索者たちがざわついた。
「おい……」
「あれ……」
「嘘だろ」
誰かが呟く。
「S級探索者――白銀レイナだ」
日本最強クラス。
日本に6人しかいないS級探索者。
登録者数二千万人を誇る超人気ダンジョン配信者。
その本人が。
真っ直ぐ悠真を見ていた。
レイナは黒竜の残骸を見下ろす。
そして静かに言った。
「……あなたが倒したの?」
悠真は沈黙した。
数秒後。
「……たぶん?」
【たぶんで黒竜倒すな】
【草】
【主人公すぎる】
【人生逆転どころじゃない】
【配信史上最大の事故】
その瞬間。
悠真のスマホに通知が鳴り響いた。
『チャンネル登録者数 10万人突破』
「…………え?」
人生が変わる音がした。




