第九話 巌に囲まれた町にて(前編)
人々の苦労を象徴するような岩壁は、遠目に見ていた時点で異様な存在感を放っていた。
岩石で出来た巨壁に覆われた街、ハルジオン。
辺境だ、辺境だと言われる所以である自然の壁を超えると、人口の壁がある。そのような噂を王都でも聞いてはいたが、まさかここまで大きな岩壁を作り上げているとは思いもしなかった。
(昔とは全然違うな)
カナタは口に漏らさないよう注意を払いながら昔を懐かしむ。
昔、と言っても新世代の生まれる以前の時だ。
この地は、農作には不向きな場所だった。それもそのはず、種まきの時期である早春には‟春呼びの風‟が吹いている。仮に、その風が早めに止んだとて、土中に入り込んでしまった塩分はそう簡単には拭えない。
今現在では‟春呼びの風‟が名物のようになっているが、一昔前までは忌まわしき天災の一種だったのだ。そのため、農業を始めるのを夏の頭の方へとずらし、冬から春までを農業ではなく別の産業で賄っていた。
元々、街の中で話題になっていた石細工を始めとした鉱物の加工職に目を付けた商人が農業以外の仕事として普及させたとか。そして、いつしか街自体を鉱物で覆ってしまえば塩害をもたらす風を防げるのではないかとなり今のハルジオンへと形を変えていった。
アルターはそう熱く語り、この光景を説明する。
「……そうは言っても、外からの被害は何も塩害だけじゃない。この周りの森には、少ないが魔物もいる。それからも守っているってわけだ」
岩壁の最大の利点を最後に語り、視線を彼の故郷であるハルジオンに戻す。
岩壁の直下、とでもいえばいいのだろうか。
手を伸ばせば岩に触れそうな程近くに来ると、存在感はより増してくる。
「……大きい」
手のひらを壁に合わせ、その大きさを実感する。見ることでも巨大さは感じ取れるが、実際に触るとその感情がより増していく。
(岩石加工の魔術でも使ったのではないかと疑いたくなるほどの精密な溶接。屋上に一切ない武装。確かに、相手が自然災害ともなるとこのような形にもなる…か。……でも、それにしても……)
「風化が起きていない?」
思わず独り言をつぶやく。当然、近くにいたアルターには聞こえていた。
「ああ、もしかしてカナタの嬢ちゃんは鉱物の知識がある感じか。そう、この岩壁の最大の特徴はその耐久性にある」
魔術師であるカナタは、すぐに魔術の痕跡を探し始めた。
しかし、凝視しても、魔力を軽く流し込んでみても、一切の反応を示さない。
その姿を見てアルターもうんうんと頷く。
「難しかろう。……私も、完璧な解答を知っているわけでは無いが、どうやら石の加工方法にとある工程を増やしているらしい。その結果、風化や海風に対しての耐久性の向上が見込めるという事だ。正直、この工事をしたのは私の一回り上の世代でね。これ以上は知らないんだ。すまんね」
カナタは感心していた。
魔術も無しに、ここまでの技術を魅せる存在がいることに気分が高揚する。その高揚をぶつけるように、壁の細かなところまで目を向ける。
アルターもそんなカナタを止めることはせず、まるで娘を見守るようにしている。カナタの後姿は、まだ社会を知らない小さな背中のように感じられた。
「…そういえば、カナタの嬢ちゃんはいくつになるんだい」
「今年で一七歳になります」
呼吸をするかのように当たり前に、口から出てくるのはでまかせだった。
生まれながらにして自身の感情を隠し続けたカナタにとって、これぐらいの事ではどうとも思わない。それだけでなく、相手の欲しいであろう回答を半分無意識に返答している節がある。
今回もそうだったのか、カナタは内心、なぜ一七歳と言ったのだろうかと考えていた。
「お。それじゃあ、私の娘とほぼ同年代だな。ハルジオンに少し滞在するなら、会いに来ておくれ。きっと娘も喜ぶ。ハルジオンには同年代の女の子がいなくてね」
「そうなのですか。でしたら、自分の用事を済ませた後、伺うかもしれません」
「あぁ、待っているよ。……そろそろ、門番の交代が済んだかな。ちょっとばかし待っていてくれ、私はある程度顔が効くのでな、カナタの嬢ちゃんも顔パスしてもらえるようにしよう」
「あ、ありがとうございます」
そう言いきる前に、アルターはハルジオンの入口である門の方へと駆けて行った。
邪魔者、というには失礼だが、後ろからの視線が少し気になっていたこともあり一人になってことに小さく歓喜する。
(これでやっと壁の考察に力を注ぎこめる)
根っからの学者基質であるカナタにとって、この壁は金銀財宝のようなモノに等しい。気になったものへの探究心は、時にその他一切の生活を忘れ、その一点に集中してしまう。それが未知であるなら猶更だ。
アルターが走っていったこともあり、視野が広まり改めて壁の全容が見えてきた。
先ほどには気が付かなかったが、少し離れたところに風化している部分があることに気づく。完全に風化しているわけでは無く『兆しが見える』くらいの誤差だが、カナタには際立って見えた。
「んん?」
風化している部分をよくよく見て、考察してみるが、詳細は分からない。
なんで風化しているのか、なぜここだけなのか、どのような技術を用いたのか、その一切が理解できない。最早魔術以外の何か超常的な力が関わっていると言われた方が納得いく。そうとすら思った。
「……あぁ、そういう事ね」
自分の気持ちを整理しているとなぜこのようなことになっているかが分かった。
完全なる未知であると高ぶっていたが、探究をするほどの事でもない。それぐらい拍子抜けの内容だった。
「おぉい」
タイミング良く、アルターが戻ってくる。
「町への入場の許可が出た。…門が開くよ」
「わかりました。行きましょう」
壁への興味も失せ、町の内装に興味を移していたカナタは意気揚々と岩でできた上昇式門へと向かう。精巧に作られた岩戸はその身をガリガリと音を立てながら削っていく。上へ上へと昇った岩の壁は二メートルほど上昇したところで完全に停止し、馬車と共に入場することができるほどのスペースを成した。
周りと比べて薄暗いスペースをくぐり抜けると、奥から聞こえていた街特有のにぎやかさを作り上げていた。
何処か、なつかしさすら感じる。
以前はもっとにぎわっていた気もするが、それでも今の世の中を考えると十分すぎる程だ。
「さぁ、ようこそ。ハルジオンへ」
一歩早く、ハルジオンの地を踏んでいたカナタに、馬車と共に入場してきたアルターが労いの言葉を発した。




