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牝猫たちはすべてを観ている  作者: N.Willowstream
4・どこからも遠い場所にて
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喧騒、繋がる人間1

 爽やかな快晴の午後。空は白っぽく、夕刻が近いことを知らせていた。

 

 対して地上。古ぼけたコンクリート建築の前庭では若者たちが群がり、熱狂していた。前庭とは呼ばれているが、野球をするには充分なひろがりがある。しかし人間たちはごく狭い領域に好んで押しかけている。彼らが昂奮したまなざしを注ぐのは特設舞台(スクリーンも設けらていた)であり、そこで展開されているパフォーマンスであった。


 奉神舍大學の黙認行事、学生会館春季祝祭のメインイヴェントである慈善音楽会が開催されているのだ。なんとも大仰な名称だが実態は音楽系サークルの合同演奏会だ。チャリティキャンペーンなら文句をつけないだろう、との方便から、そのような体裁をとっている。実際、多様な手段で献金を募り、純利益はすべて奨学基金に寄付していた。


 なお、献金額はサークルごとに集計しており、それを公開する方針で運営されていた。これはなかなかにエグい手法であった。信仰の篤さが数値化されるわけであり、サークルはこの機会にいかに金を集めることができるか、多様な手段で競いあっていた。


「オヒネリは投げないでください!」


 スタッフの学生の悲鳴が響いた。普通の学祭ならまず聞かれない警告であった。しかし、進行中の演奏にかぎっても、三回目の叫びであった。


「おい、コラ! だから札束を投げこむなつってんだろ!」


 これで四回目になった。舞台直前の人混みへと力士じみた体型の男たちが突入していく。紙幣が派手に宙を舞った。


 この事態に際し、壇上では演者たちも呼びかけていた。ヴィクトリアンゴシックで揃えた女子学生のトリオだ。彼女たちはひどくまじめな顔で自制を呼びかけていた。奇妙なほどに心臓に心地よく響く甲高い声音で。


 なのに、オーディエンスにとってはそれが刺激的であったのか、奇怪な雄叫びを挙げた。彼らの忠誠を誇示するかのように。


 大音声に気圧されることなく、六人組は笑顔で応えた。スクリーンに映された彼女たちの笑みを見て、会場は一斉に沈黙した。


 すかさず、次の演目の紹介がなされた。Die Wacht(ディ・ヴエ―ア) am Rhein(・アム・ライン)、と告げた次の瞬間には、獣じみた絶叫が轟いた。


 オーディエンスの熱狂具合を遠巻きに見物できる位置。会場の端にあたる位置に南雲暁緒なぐもあきおはいた。彼女は耳を抑えている。ポメラニアンを連想させるちんまりとした顔だけに純粋に苦痛が伝わってくる。舞台から百メーター程度は離れているが、それほどの音量であった。もっとも隣の男の声が耐えがったのか。


「もうちょっと静かにできねやんですか?」暁緒は隣の人間を責めた。


 応じるように怒声が発せられる。「ホワァッ!」 


 直後、ユーロビート調の軽快な旋律が始動した。同期して大勢が両手を掲げる。暁緒はそれに加わらない。ただ足許ではひかえめにリズムを刻んでいる。


 暁緒は小柄な体格だった。身長は一五〇センチに届かないし、体躯も相応に華奢だ。そのうえ、今の身なりはブリムハットにセーラー服にというもの。なので、暁緒はいたいけな小学生が迷いこんでいるように思えなくもない。


 いや、いたいけな小学生が質の悪い姉につきあわされたように見える。暁緒の隣にいる人間は同じくセーラー服を着ていて、その背丈は並の男性ほどで、男のようにがっしりした肩幅があり、まことに雄らしくヘッドバンキングしていた。連獅子でも演じていそうな勢いだ。


「そっけなことしたら悪酔いするすけ、やめてくんねすか。平岡さん」 


 つまり、平岡春陽ひらおかはるあきは女装を解くことなく、男として刺激的なサウンドに陶酔していたわけだ。


 平岡は間奏に入ったところで、ようやくまともに後輩を見やる。


「ここで騒がねぇで、どこでやるというのよ?」


 本来、優男の印象しかないはずの平岡の顔面には昂ぶった笑みがはりついていた。血走った眼球は、瞳孔が琥珀色のためもあって狼のそれを想起させる。


「汚ねぇもんを吐かねぇ程度に、といってらんですて」


 暁緒は己と同じ色をした瞳をまじまじと見つめる。愛くるしい眉をきつく寄せて、本心から訴えているのだ。


「御配慮ありがとう。でも、このパフォーマンスを見てよ。学生が地下アイドルを育てるなんて、冗談じみた企画がここまで来たんだよ」


 そういって平岡は舞台を指さす。拘束着じみた衣装で女子学生トリオが電子のサウンドにあわせて躍動していた。しかも生でドイツ語で唄いながら。


 まぁ、原曲が軍歌であるとはとても思えないようなパフォーマンスであろう。


ドイツ歌謡愛好会(DLC)。ドイツ軍歌とかをテクノにアレンジして、ドイツ語で歌うユニット……。はぁ、ニッチをこじあけた感じですろも。もとはジャーマン・メタル専門のバンドサークルでしたっけ?」


「大昔はドイツ語オペラを合唱する団体だったわ。とにかく、彼女たちとは予科で一緒にドイツ語を勉強した仲だから。感慨深いもんがあるわけよ」


 説明をそこで区切ると、平岡は拳をふりあげる。歌が終わった瞬間だった。ついで誰よりも早く吠える。


「ドイッチュラント・ユーバー・アーレス!」


 舞台上では学生アイドルたちが、万歳フラー、と応じ、オーディエンスを煽る。


「……伍長閣下はこっつぁな未来のために暗殺されたんか」


 暁緒は狂乱する群衆を見やりながらボソリと吐いた。そうして疲れた顔で平岡に訊ねる。


「まぁ、そっけに好きだってやんなら、最前列にいったらどやんです?」


「え? いいよ、今回は。なにしでかすかわかんねぇしね」


 ニコリとして語る平岡に暁緒は顔をしかめる。


「僕、事前に五百円を献金してるから、よけいにね」


 その発言に暁緒の口許に乾いた笑いが現れた。なお、学生食堂ではカレーライス大盛りが税込一円で提供されている。


 ふたりがやりとりしている間に、演奏が終わっていた。舞台ではアイドルが早口でMCを行っている。これは別に煽りではなく、コンサート全体の進行が押しているためだろう。


 さすがにというべきか、オヒネリを投げる者はいないが、オーディエンスは全体として危険な運動を、つまり、舞台へ引きよせられていた。最後の一曲を間近で体感したいという衝動が共有されたのだ。


 平岡も同じものを感じているのだろう。彼は舞台へと摺足で近づいていく。視線は舞台と暁緒との間をさまよっていた。できるものなら駆けだしたいところだろう。しかし暁緒は地蔵となってその場から離れそうにない。先輩としての責任感ゆえか、平岡は後輩に繋ぎとめられていた。


 ただ平岡の葛藤はさほど続かなかった。アイドルによりトリの曲目が宣言されたのだ。


 Panzerliedパンツァーリート。そうアナウンスされた直後に会場はどよめいた。理性をかなぐり捨てた人間たちの歓喜の叫びであった。


戦車、前へ(パンツァーフォー)!」叫び声と一緒になって平岡は突進した。


 衝動を開放させた男の姿に、暁緒は派手に舌打ちする。平岡はふりむきもせず駆けていく。暁緒はついで右手で両膝を叩く。それから先輩の背中を追いはじめた。暁緒のこぶりな身体は、ほんの一秒あまりで平岡のぴったり後ろにまで届いた。


 この時、暁緒はごくごく普通にスタンディングスタートで加速を開始した。しかし、彼女の靴は平岡の至近まで地面に触れなかった。数ミリほど浮上してスルスルと滑走していったのだ。だからこそ、暁緒は即座に捕捉することができたのだ。


 が、平岡を間近に捉えたのちは暁緒は己の脚で走りだす。ゆえに数歩のうちに本来の身長差による遅れが生じてきた。そして平岡は後輩の様子など見向きもしなかった。


「遅いぞ、カメラーデン!」平岡は前だけを見ながら呼びかけた。


 暁緒はにんまりとする。反論することはしない。ただ必死に追いすがろうとしていた。


 まぁ、気心の知れた導術者同士ならば、とりたてて特別なことではなかろう。ほんの一秒、十メートルばかりの隔たりを、導術を用いて詰めることなぞ気楽なことである。そして追いつかれる者は、べつに目視せずとも仲間が追走してくることを把握できるのだ。目視するとすれば、あとを追ってこない場合だろう。


 あらためて述べるが、導術者同士にとっては特別なことではない。導術を介してちょっとした信頼を感じてしまう、そんな他愛のない場面にすぎない。


 威勢よく駆けだした平岡であったが、舞台までの距離が縮まるにつれて足を止める回数が増えていった。四方八方から人間が寄ってくるので無理もない。むろん、暁緒が用いたのと同じ術式で最前列まで、それこそ舞台上までたやすく移動できる。しかしながら、導術者の規範としてかような行為は蔑むべきものだ。この場合、同じ導術者から撃墜されてしまうかもしれないだろう。


 ブラウン運動さながらに平岡は人の群れの隙間を抜けていく。やや遅れて暁緒は異なる線を描いて平岡を追走していた。よろしくない行動ではある。舞台からも後退するよう執拗に警告されていた。だが期待されるような動きは見られない。


 舞台まであと三十メートルかそこらあたりのことだった。人間が塊になっていて、動くこともままならず、さらにはアイドルを拝めることも難しい空間まで、あとすこしで触れようかという位置でのことだ。


 どうにか速歩のペースを維持していた平岡が、突如として身体をよろめかせた。あぶねぇ、と平岡は素頓狂に叫ぶ。


 あやうくカップルと衝突しかけたのだ。もっともそのカップルが平岡の前方を遮るように突進してきたのだった。そのうえ危険なことこのうえないことに、大混雑のさなかで手を繋いで駆けていたのだ。平岡の視点では壁が突っこんできたようなものだ。


 そこで平岡の突進は完全に停止した。暁緒もだ。またカップルも同時に移動をやめていた。叫びに気をとられたのだろう、ふたりとも平岡を注視していた。


 なんとも対照的なカップルであった。平岡らと異なり体格的には釣合がとれているだろう。身長ならともに平均的か。ただ、服装がどうにもチグハグだった。男の身なりは、冬でも続いているのかと思っているのかもっさりと重く暗い色調。その彼に手を引かれてた女は、季節を先取りしすぎたのか肌が目立っていた。


 平岡は露骨に不快な表情でカップルを見やっていた。暁緒はといえば、わざとらしい溜息を一回。


 仕立てがよさそうなツイードを着込んだ男はまなざしを滑らせていく。平岡の足許から上へと、スカートの裾、赤いスカーフ、喉仏、そして目許へと。彼は琥珀色の瞳を確認できたはずだった。それができる間合いしかなかった。


 丸まっこい顔を男はわずかにかしげただけだ。その様子を認めると、暁緒は視線を下に向ける。


 この非常識なカップルの男は導術者でない、つまり常人であった。導術者と常人との間では視線を交わさないのが基本だ。世界共通のマナーだ。


 なのに、この地味ないでたちの男はまっすぐに平岡の双眸を覗きこんでくる。対する平岡はまったく動じる素振りがない。なお常人に対して導術者が先に視線を外すようにふるまうのが、やはり世界共通のマナーであった。


 そして男はおずおずといったふうに声を発する。


「すみませんが、あなたは平岡さんではありませんか?」


「いかにも。ならば貴殿は?」


 平岡は顔面から緊張を消した。まことに爽やかな、としか感じさせるしかない笑みを浮かべた。


 導術者と常人とは、基本的に視線は互いに外すものだ。ただ例外事項は存在する。親しい間柄にある場合、そのような面倒な約束など無視するものだ。

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