撃ち方、始め1
……ここはどこだろうか? 確証はないが、俺はすでに夢へと漂っているのだろう。
……この俺は誰だ? 弓庭、幸矢。その他に名乗るべきものはない。
……弓庭幸矢とは、この夢の巷では何者だ? 主。この夢を支配すべき存在。
……支配するとは? 俺に害悪をもたらす存在を殲滅すること。まずはそれから。
……それから先は? ……わからない。
……わからないが、経験することを記憶しよう。その記憶がいずれ必要となる時のため。
つまり、これからは弓庭幸矢が語る夢物語だ。今はまだ、俺だけの物語だ。そのはずだと信じる。
あぁ、足の裏になにかが触れた。俺は立っているのだろう、夢の巷の中心に。
さぁ、ここからいよいよ物語が始まる。とある夢物語が……。
弓庭幸矢の夢物語を始めよう。
………
現から夢へと。流れつくまで、少々、乱れがあったような気がする。
活導態への遷移というまったくクリティカルな局面で、起導詞の詠唱を中断したせいだろうか。そもそも、なんでそうなったのかは覚えていない。ま、細かいことはどうでもいいや。
それにしてもだ。勅令起導詞はいい文句だと毎度、思う。今の俺様は万物の根源なんだから物理を支配するぜ、と高らかに宣言するのがいい。心象を現象とする、 導術 の全能感を的確に表現してる。そして実際、この俺は常人から脱し 導術者 として覚醒するのだ。
とはいえ、目玉の色が変わったかどうかまではわからない。なにせ、この夢の世界には鏡がないからだ。というか、あるべき必要性を感じたことはない。
とにもかくにも、まずは瞼を開くことからだ。たとえ夢の始まりであろうとそうなのだ。……やはりこれは変なことなのか?
瞼を開けて、まずぐるりを見てみる。三本の柱が俺を囲んでいた。見あげてみれば、三角形に組まれた笠木と貫。三柱鳥居だ。つまり、俺は結界の内側にいるということになる。それで、外界はといえば、本当に真っ暗。俺は虚無という観念そのものだと認識している。
で、服の具合をみてみればいつものように陸式の野戦服。ドレスコードということなんだろう。考えてみればジャージだと士気があがらなそうだ。
次に武装。今回もSIG・P232。突起を極力排した華奢なスイス娘。護身用だけに取回しがよく、片手で充分に保持できる。トリガープルは左手でも扱えるよう調整してある、はずだ。
肝心の実包はどうかとポケットを探ってみれば、9ミリ・ブローニングが七発あった。つまり九五グレインの完全被甲弾が弾倉ひとつぶん。正直にいえば9ミリ・パラベラム、11ミリ・ブローニングと比べると心許ない。いかんせん人間相手でも非力だと評されているからだ。実際はしらんが。
しかし。才覚次第でこいつらは銀の銃弾となる。そう信じて俺は弾倉に装填していく。同時に一発ずつ慎重に心象として刻みこむ。そうして弾倉をP232のグリップに装着。
右、左と、握りの感触を確認する。よし、左右でさほど違いはない。この作業の際に、ダブルカラムであれば、つまり弾丸を並列に装填できる弾倉に対応していれば、との思いがよぎった。幅が狭いグリップなのでいたしかたないが。
もっとも、細身のグリップだから片手で扱える。そもそも護身用はホルスターから抜いてからの咄嗟射撃を難なくこなすためにデザインされている。銃撃戦における優位の確保では、ない。即座に初弾を放てるか否かが評価を決する。とまぁ、俺はそう考える。つまり、軽い拳銃であることを意味する。
最後に右の掌をグーパーしてみる。右の肩から指先に至るまでの運動器。これこそが俺の主砲。 〈技の腕〉だ。
装備の確認がすんだところで、花梨の香りがくすぐってきた。ああ。いよいよ、ステラのおでましだ。彼女がそばにいて、はじめて導術者として完成する。
『親愛なるお兄様。まことにもうしわけないが、今回もよろしく闘ってくれないかな?』
慎重に探るような声音が心に響いてきた。返答するかわりに拳銃のスライドを引く。初弾が薬室に、また心象の薬室に装填される。そうやってから、心の声でこう応じてみる。
『わかってらぁな。ま、よろしくブラディにやったろうじゃねぇか、ステラ』
とりあえず、ゆっくりと深呼吸をひとつ。俺は結界の外へと踏みだした。
………
世界はだだっぴろい平面と青空だけしかなかった。背後を見ても鳥居はない。わがこととはいえ、もうちょい複雑であってもいいようなものなのだが。
いや、そんなことはどうでもいい。仕事をせねばならない。
「おっぱじめっべ!」精一杯の声で叫んでみた。『アイ、サー!』
すぐさま拳銃を両手で保持する。腰を軽く落とし、すぐに駆けられるように。銃口は視線の先と一致するように意識する。そうして、俺は正面へと歩きだした。一秒に一歩ずつ。視線を九〇度の範囲で振りつつ、だ。
通例、最初の三〇秒以内に〈禍霊〉と接触する。はなはだ余裕がない? いや、今の俺にとってはそうでもないと思う。
活導態にある際、認知、思考、それに付随する身体運動の速度は極端に向上する。かつ肉体の末端までかなり精緻に制御できる。俗ではあるが、この表現がうまく示している。電光石火にして正確無比。
だがしかし、警戒するかしないかはクリティカルな要素だ。人間離れした反応でも対処しきれない局面は多々ある。いわんや導術者相手をや。
……八、九、十。頭にズキッと深々と棘が刺さる感覚が起きた。活導共鳴感覚!
つまり〈禍霊〉の襲来予告。予想位置は至近。が、正面も背後でも確認できない。なら上からか、と見あげた瞬間だ。
『接触! 地面から! 撃ち方始め!!』
ステラからの警報。即座に俺は視線を真下へ。彼女の叫びは神託だ。
すぐさま〈禍霊〉が、いや、その左腕が生えてきた。反応が遅れたせいで右の足首を掴まれ、仰向けに倒されてしまった。しかし、銃は離さない。
続いて〈禍霊〉の上半身もニョキッと生えてきた。畜生、キノコかよ!
こいつを表現すれば、熊の胴体にゴリラか牛なんかの頭、そこに見事な角を生やしていた。もちろん、目玉はマッカッカ。それで俺のことを睨んで、ニタァと笑ってやがる。
たぶん、幸先よく敵を転ばせることができたものだから、上機嫌なのだろう。そいつは俺にまたがって右腕をおおげさに振りあげている。いかにも重そうな巨大な拳。俺の薄い胸板なら一発で突き破りそうだ。いや、狙いは頭のほうか? いや、違う。右手だから確実に死ぬのだ。
その瞬間、ナウ、というステラの叫び。敵が静止した。ならば、これから俺のターンだ。
瞬時に銃口を〈禍霊〉の頭へ。テッ、と叫びつ、連射。首筋、右頬に命中。さすがの〈禍霊〉ものけぞった。血反吐を浴びることになったが、おかげで戒めからは解放された。が、攻勢を終わらせない。
俺は跳ね起きると、拳銃を左手にスイッチ。その間に、すかさず想起を構成。
『想起。陽炎に燃えて輝く 掌、 炎の一打倒せぬはなし。撃掌。指数五。即発』
右手に熱を感じる。熱した鉄のように。同時に掌から黒い球が浮かびでてきた。直径五センチ、拳大ほどだ。
素直に昂ぶってくる。導術者としての力を目にして、血が沸騰する。あぁ、たとえただ意志が具象化されたもの、心象にすぎないとしても。
次はその心象を叩きつける段。俺はマウントをとった。そして右掌を額に押しつける。まずは球が接触。ヌルリと内部へ埋もれていく。で、完全に埋めこめば、つまり、掌がじかに触れてしまえば、その瞬間に……。
が、接触まであと数ミリという時だった。唐突に頭が奥底から震えた。おかげで右手が磁石が反発するように弾かれてしまった。心象も消えとんだ。
クソッ、REACTOだ! 他に〈禍霊〉が出現したのだ。で、どこに?
『背側、感、ひとつ! ごく至近!』
絶叫の意味はすぐに理解できた。攻撃回避不能。
「クソッタレッ!」
……どうもブラックアウトしていたようだ。
俺は地面にまた転がっていた。口をパクパク、目玉をキョロキョロとさせながら。そして、笑っていた。いや、べつにこの状況が笑えてくるわけではない。傍目には滑稽ではあるだろうが。
背中からうなじにかけてがくすぐってくて、笑わずにいられなかったのだ。で、問題は、いかなる攻撃を被って、結果、いかなる状態にあるのか判別できず、つまりこれからいかに対処すべきか不明であることだ。
『ブラディ・シット! ヤックン、炎射を喰らったんだ!』
さすが、ステラ。すぐに状況を説明してくれた。たしかにブラディだろう。俺は背中一面を赤外線で炙られたわけなんだから。消炭にならなかっただけでも幸いととらえるべきだ。いや、現実は特殊な状況でもなければそこまでは至らない。理由は簡単。瞬時に炭化させるのはいろいろと不経済であるし、実用上、対象の活動を封止するには、適当な熱傷を負わせれば充分だからだ。
うん。この世界での俺は導術者だが、生身の人間であって、みごと、炎射の有効性を経験したわけだ。
この状態なのに奇妙に冷静でいられるのがおかしくなる。俺は否応なしに大声で笑っていた。
どれぐらい笑い転げていたのだろう。新手の〈禍霊〉が見おろしていることに気づいた。最初の奴とほぼおなじ形態だ。だが、タッパはさらにおおきい。わざとらしく、左のほうの手を近づけてきた。右腕は垂らしたまま。
あぁ、どうにも悪い感じの最期になるらしい。それも俺は冷静に感じていた。
『注意して! 翔歩で逃げるから!』
守護天使ステラは、唐突にそう宣言した。
理解よりも先に俺は行動する。いや、ステラに制御される。まず背中の感覚が消えた。と次の瞬間には上半身を起こし、右手で両方の太腿を叩いた。脚に熱が帯びる。想起詞を唱える。
「想起! 久方の空を通いし風となり、雲を踏みては高みに遊ぶ。翔歩! 指数十二!」
こんな具合に無意識に。そんな術式もあったな、と思った瞬間。俺は空中へと吹っ飛んでいた。