撃ち方、始め2
俺の身体は空中をほぼ垂直で上昇した。
実際のところ、砲弾よろしく素直に放物線を描いていただけなのだが。見おろしてみれば俺がつくりだした世界はひたすらに平坦であった。
おかげで到達高度については見当もつかなかった。ただ降下しはじめた時には〈禍霊〉の姿は認識できないほどだった。
で、それほどの高みに放りだされても肝心の着地にかんしては不安はなかった。終末段階ではきちんと減速されることは知っていたから。その点で人間大砲とはおおきく違うわけだ。
とにかく、俺は空中散歩童貞は卒業できた。最後はよつんばいで着地という不格好なものだったが。しいて感想をのべるなら、ノミがみている世界はどんなものだろう、というものだ。……くだらねぇ。
俺はよつんばいのまま、この経験についてより実益的に考察する。翔歩の指数構成指標は時間と到達速度。標準物理値は加速時間〇.二五秒で十メーター毎秒に到達。この数字が指数一。そんで等倍表現されて、時間は〇.二五秒、速度は十メーターが一単位。だったはず。そして指数十二となれば……。
『三秒で一二〇メーターに到達だ。算数の次元じゃないか』
ステラの発言が俺の思考を妨げた。正直、失礼な指摘だとは思う。
『ついでにいえば加速度はおよそ四Gだ。弾丸よりはずいぶんとぬるい』
「たしかにな」空母への着艦と比較してもかなり優しいものだ。
『附則で加速度をいじれるがな。が、到達速度が大事であってね。百メーター毎秒もあれば自由に機動できる。これは高頻度に加速をしなくてもすむことを意味する。つまり肉体にとって健全ということだ』
今日の運勢の内容について感想をのべているかのような口調だった。
『だから適当な速度を得ることに注意しろ。くわえて加速度を忘れること。莫迦にするな、と思うだろうがね。しかし指数十よりは百Gのほうが勢いよく具象化できる。そして焦ると短絡的になる。ま、座標など次の段階だ』
ステラは教育しているのだ。簡単なことをやらせてみて、のちに理論を軽めに説く。うん、よい教師だ。だが俺はひねくれた生徒を演じてみたくなった。
「了解した、ステラ。けどよ、いきなし空高く放りだすってのは、あんま感心しねぇな。普通の人間は空高く吹っ飛ぶての、たいてい死ぬ時なもんで」
『たしかに。では、次は安全のために地面を舐める軌道にしようかな』
「なら、地面を擦らないように羽根付きのサンダルでも装備しとくわ」
『羽根付きの兜を忘れるな。初心者はまず降下姿勢がいけない』
ひとます危機を脱したとはいえ、俺は弛緩していたと思う。笑みもでてきた。
『で、五分ほど休息だ』さらに真剣な調子でステラは告げた。
「莫迦をほざきやがって」俺は爆笑しつつ応じた。
いや、ステラの言葉に笑える要素なんてない。背中がまたくすぐったくなってきたのだ。腸が捻れそうなぐらいに。たまらずに背中へと手をまわしてみた。すると布地が崩れ、直に肌に触れることができた。しかも、いやに粘っこく濡れていた。その感触が赤黒いイメージを呼びおこした。
なにか激情が湧いてきて、立ちあがろうとする。が、できない。再度試みるが、逆に俯せに寝てしまう始末だった。いやに瞼が重く、呼吸、それに脈拍は異様に早いが弱々しい。ショックの症候だろう。そして、笑いが止まらない。
活導態では痛覚はオミットされる。正確には不正処理しているのだ。神経学の説明では、脅威となる刺激が痛みとして認知できないと、刺激は笑いを喚起するものとして処理するらしい。
まぁ、認知が鋭敏であることはありがたい。が、痛覚までも願う者はそうはいないはずだ。とはいえ痛みという感覚が完全にないのも非常にまずい。なので悪趣味だが合理的ではある。
そうやって爆笑に悶えている時、水滴が頭に落ちてきたのを感じた。雨だ。それに花梨の香が強くなってきた。たちまち、土砂降りの勢いで降りはじめた。
硬直した身体に冷えた感触が心地いい。まさに慈雨という奴だ。
『ひどい熱傷ではあるが、幸いⅢ度の面積は狭い。致命傷ではないよ』
致命傷ではないよ、と言われたところで、気楽になれやしない。雨を降らすことはできても、信頼できる医療機関がないのだ。もっとも、俺が夢で再現できるはずもないが。
『安心しろ。ゆっくりと呼吸することに意識すること。そうしていれば、心が鎮まる。身体的な応急措置も私に任せておいてくれ。大丈夫、それなりに動けるようになるはずだ』
それにしても。しばらくじっとしているだけで重傷でも動けるようになるというのだ。俺の身体はかなり頑丈なように設定されているようだ。それとも、導術者はこういうものなのだろうか。いや、守護天使の存在のおかげだろう。
とにかく、冷たい甘露を浴びて、花梨の香をつとめて吸入するのみだ。その効果は明確で、患部が冷えるにつれてたしかに動悸が落ち着いてくる。
「ありがてぇが、こんなん何度も喰らってたらストレスで禿げちまうな」
余裕がでてきたところで、俺はこんな愚痴をこぼした。両親とも禿の血筋だし、兄貴の惨状を見てきたせいだ。俺にとり髪の毛は人生観的な問題だ。
『それはまぁ……。それより〈禍霊〉どもを打倒する算段はどうするつもりだ?』
あ、と声を漏らしてしまった。マヌケなことに、俺はそいつらの存在を忘れていたのだ。よりもよって俺を殺しかけた連中なのに。
呼吸を止めて、瞼をおろし、意識してみる。すぐにピンが返ってきた。
活導態にあると、じつに特殊な感触が生じてくる。全周探査能――SENSARと呼ばれるものだ。手にとるように、という表現があるが、まさにそんな感触だ。特定の範囲内において、様々な事象を認知できるのだ。それは、視覚、聴覚が遮断された条件でも、たとえば壁の向こうでも、だ。導術者にはいわゆる死角というものが存在しえない。さすがにその範囲内にだしぬけに出現した場合は対処が難しいが。
それで状況はといえば〈禍霊〉は三百メーターほど後方で俺のほうを睨みながら突ったっている、ということが”認識”できた。あえてではなく、そうするしかない状態なのだ。そう俺は確信した。
木偶にしてんのか、と訊けば、ステラは、そうだ、と言う。ほんと、彼女はよくやってくれると思う。当然の処置だろうが、だからこそ、この守護天使には頭があがらない。
「ほんとは俺がそうしなきゃならねぇんだろうけどよ」
たしかに侵心はきわめて有用な術式だ。対象の身体を思いのままにできるし、それどころか致死することも。だからこそ、その技巧者は相当に崇拝され、同時に忌嫌われている。
ならばステラはどう評価すべきだ? 愚問だ。俺は守護天使がその能力を行使していなければ、最初の接触の時点で死んでいたはずだ。
『それぐらいの貢献はさせてくれ。この場にいない私はできることがすくない。しかしタイミングを狙って適当な強度で掌握する程度はできる。そしてヤックンは〈禍霊〉を物理的殲滅に専念できる』
この場にいない、という宣告について、なにか言葉がでてきそうだったが、あえて抑えこむ。ああ、けして好意的な言葉ではないだろうからだ。
『すまない。これはおこがましい態度だ』
唐突な言葉に俺は唸るようにいう。「意味がわかんねぇな」
『そうだな……。私はヤックンを木偶にしているのだ。私が力を行使しているように錯覚するかもしれないが、結局はオーヴァライドしているだけ。あなた本来の威力を私は好き勝手に用いてるんだ。そうして嗜虐に耽溺している。だが、口ではヤックンのためと説く。……最低な人間性ではないかな?』
俺からどんな回答を期待しているのだろう。どうせ肯定的なものしかないとステラはわかっているはずだ。まさに最低な人間性だ。
「だけどよ。おかげであのバケモンどもとやりあっていられるんだぜ」
やはり俺は肯定的見解を述べていた。
「おめぇは俺の身体を通じねぇとなんもできやしねぇし、俺はおめぇがいなけりゃてめぇの力をぞんぶんに扱えねぇ。そうやって生きのびていられんだ。互いの足りねぇもんを補いあう。すくなくとも戦友としちゃ幸福な関係だとおもうが、どうだ?」
ありがたいな、と短い答え。俺はちいさくうなづいて了承の意を示す。
難儀な質であるのは互いに了承できているほどには長い関係だ。またなんであれ共通の利益を見いだせることが幸せであるほどには無邪気な関係であった。
そのうえである疑問が浮かんできた。
「ところで、この〈禍霊〉、こいつらぁなにもんなんだ? 地面から生えてきやがって、俺を殺そうとしやがる。……俺の敵はなにもんだ?」
『まぁ〈バッタ〉の類だな。以前にも対戦しただろ? 角があるとか、形態はだいぶ違うが、ヴァリアントとみなしていい。系統学の立場から非難されるだろうがね。ま、でかい図体と幼稚な導術だけが取柄の下等な存在だ』
ステラはそう答えた。俺が知りたかったのはそういったことではなかったが。とりあえず、人でなく、虫でもない、曖昧な存在なのはよぉくわかった。
で、どうやってそいつを殺すかだ。
「この状態で、俺の身体はどこまでいけんのかね?」
まずはこの点を確認したかった。
『率直に表現してクリティカル。筋肉の自由は強引に回復させた。ただ激しい機動を実施すればブラディな局面に陥るリスクはある』
うん。まさに今の俺はステラの木偶ということだ。
『しかし、メンタルはいけるだろ? ものごとの処理の手管はいくらでもある、だ』
そう、猫殺しには無数の手管がある。今の俺は木偶だが、猫ならぬたかが虫の二匹、潰すことぐらいはできる。なんたって導術者なのだから。
「泣き言ほざくんじゃねぇ、てか……。いいね。で、木偶のままにできるか?」
どうせ相手は動けないのだから、射的よろしく狙撃するのがいい。しかし、この距離では不安がある。俺の完全捜索追尾領域――ARESTTからはおおきく逸脱しているからだ。つまり、豆鉄砲で空の鳩を狙撃する程度の期待値しかない。いっそのこと肉薄して撃掌で屠るべきか。だがそいつは癪に障る。
『不可だ』まずステラはそう宣告した。
『掌握というのは、神経生理学の知識よりアニメーターとしての才覚が必要なんだ。頭のなかでもうひとりの人間を自由自在に動かすようなものだから。つまりかなりの高負荷。掌握しつつ攻撃する行為は、高速で断続して掌握し、その間に攻撃実施しているだけなんだよ。それも万全な状態でこそ可能だ』
了解。ようはシングルコアの限界か。それがわかれば次に問うことは。
「連中の可能行動は?」
『やつらは信じがたいほどに近接戦闘を好むんだ。それも肉弾戦、不格好な力押しを試みる。炎射にしても、いわゆる無力化ではなく、殴るのに都合がよいから用いている節がある。以上からの結論。愚直な攻勢あるのみ』
愚直な攻勢あるのみ、ね。こいつはブラディに好都合。こちらは一歩も動かずにすむということだ。
「となりゃ、経路が問題だな。つまり〈バッタ〉だけに翔歩は使えんのか?」
いいえ、との答え。そしてステラは苛立たしげに続けた。
『誰が名づけたのかわからないけど、この場合は蝗害のイメージからだろうね。かの人造人間のように、孤軍奮闘する華麗な空中殺法の使い手だからではない。ま、対象が導術の使い手ではないから、必要性を認めなかったからかもな』
俺は内心で苦笑する。バッタの”人造人間”は知らないからだ。もしかしたら、どこかには存在しているかもしれないが。
とにかく、注意方向は左右だけに限定しとけばいい。俺は決心した。
「ここから動かず、突撃を破砕してやっぞ」ステラは応える。『わかった』
方針が決まれば、身体の具合はすっかり回復した、ように思えてきた。それに花梨の香気がじつに気分を明るくさせてくれる。
俺は起きあがり二匹の〈バッタ〉のほうへと向いた。やはり、遠く、奴らは横に並んで立っていた。ついで、攻撃に向けて姿勢を整える。左膝は立て、右足に尻をのせる。左肘は膝に触れさせ、右腕はゆるくのばし、拳銃を両手で保持。ついで上半身を傾斜させる。膝射の姿勢だ。
スタンスを確認しつつ、俺はゆっくりと息を吐いた。そしてP232の銃口を敵へと指向させる。これで発砲はできる。
さて、9ミリ・ブローニングは残り五発。充分ととるか否か。
『さて仕事を再開しよう』雨はピタリと止んだ。『残り十五秒』
充分だ。ややこしい想起を構成する、心の撃鉄を起こすには充分すぎる。




