第40話 王都へ
翌朝、まだ空が白み始めたばかりの時間に、ノアは宿を出た。荷物はすべて《遠征用収納鞄》の中に入っている。保存食、水、包帯、傷薬、毛布、予備の服。それに普段使っている装備一式。昨夜のうちに《蓄魔の腕輪》へも十分な魔力を貯めてある。今回は魔物の討伐ではない。相手が何なのかさえ、まだ分かっていない。
「病気だったら、本当に何もできないかもな」
それでも行くと決めた。領主館へ着くと、すでに馬車が用意されていた。普段見かける荷馬車ではない。長距離移動用のしっかりした車体で、二頭の馬が繋がれている。御者のほかに、領主家の護衛らしい男も一人同行するらしい。
「ノア様、おはようございます」
「おはようございます」
以前なら「様」を付けられるたびに少し気になっていたが、最近はさすがに慣れてきた。グラハムも見送りに出てきた。
「王都までは通常なら五日ほどだが、今回は途中で馬を替えながら進む。三日程度で着く予定だ」
「結構急ぐんですね」
「王都からの要請だからな」
「分かりました」
グラハムは封筒を一通差し出した。
「王都に着いたら、これを王都冒険者ギルドではなく、まず《王立治療院》へ持っていってくれ」
「治療院?」
「今回の対策本部が置かれている。私からの紹介状と、君の能力について簡単に書いてある」
「中、読んでもいいです?」
「構わないが、難しい言い回しも多いぞ」
「じゃあやめます」
読んで分からないなら意味がない。ノアは封筒を収納鞄へ入れた。
「それと、王都では勝手に患者へ《浄化》を使わない方がいい」
「なんで?」
「原因不明の病だ。医師たちも神経質になっている。まず責任者へ話を通してくれ」
「分かりました」
その方がノアも助かる。知らない病へ勝手に《浄化》して、悪化でもしたら面倒だった。
「では頼む」
「はい」
馬車へ乗り込む。扉が閉じる。少しして、車輪が動き始めた。
◇
王都までの旅は、普段の移動とはかなり違った。とにかく速い。荷物を大量に積んでいるわけでもなく、目的は移動だけ。街道沿いにある領主家や役所の施設を利用し、途中で馬を交換しながら進む。
一日目の夕方には、普通なら二日近くかかる距離まで進んでいた。
「こんなに馬替えていいんですか?」
休憩中、ノアが御者へ聞く。
「緊急書簡扱いですからね。王都へ向かう公的な馬車は優先されます」
「便利だな」
「普段は使えませんよ」
「ですよね」
移動中、特に大きな事件は起きなかった。一度だけ街道から少し離れた森に大型魔物の反応を《魔力感知Ⅰ》で見つけたが、こちらへ近づいてくる様子はなかった。ノアもわざわざ倒しには行かない。今の目的は王都だ。
二日目の夜は大きな宿場町に泊まった。そこで少しだけ、王都の話を聞いた。
「最近、王都から来る商人が減ってるらしいですよ」
食堂で御者が言う。
「病気のせい?」
「ええ。完全に街道を止めてはいないそうですが、王都へ入るにも出るにも確認が厳しくなっているとか」
「病気の人が外に出ないように?」
「それもあるでしょうね」
護衛の男も口を挟んだ。
「王都では一部の地区が封鎖されていると聞いた。特に南側が酷いらしい」
「南?」
「職人や労働者が多い区画だ。人口も多い」
ノアはパンをちぎりながら聞いていた。
「貴族街では出てないんですか?」
「出ている。ただ、数は少ないらしい」
「ふうん」
それだけでは何も分からない。人口が多い場所ほど患者が多いだけかもしれない。食べ物や水、生活環境など、違いはいくらでもある。
「見ないと分からないな」
「ノアさんは医者ではないんですよね?」
御者が聞いた。「違います」
「では、何をしに?」
「《浄化》が使えるので、呪いかもしれないから見てほしいって」
「呪い……」
二人の表情が少し硬くなった。
「まだ分かりませんよ。普通の病気かもしれないです」
ノアはそれ以上話さなかった。
◇
三日目の昼過ぎ。街道の先に、巨大な城壁が見えてきた。
「……あれ?」
「王都です」
御者が答える。まだかなり距離がある。それなのに見える。ラグナの城壁も大きかったが、その比ではない。城壁の奥にはさらに高い建物がいくつも見える。中央には白い塔と、丘の上に建つ巨大な城。
「あれが王城?」
「そうです」
「でかいな」
近づくにつれて、街道の交通量も増えていった。ただ――
「……少ない?」
ノアは違和感を覚えた。王都へ向かう街道なら、もっと人がいると思っていた。荷馬車はある。旅人もいる。だが、その多くが王都から出てくる側だった。逆に王都へ入ろうとする者は少ない。しかも門の手前には長い検査列ができている。
「やっぱり厳しくなってますね」
御者も顔をしかめた。王都の外門前には兵士や机、簡易的な天幕が並び、入る人間は全員止められていた。荷物、身分、体調を一つずつ確認している。
「緊急書簡です!」
御者が声を出す。領主家の紋章と通行書を見せる。兵士が確認し、馬車へ近づいた。
「乗員は?」
「御者一名、護衛一名、ベルツ領主推薦の協力者一名です」
「協力者?」
扉が開く。ノアが冒険者証を出した。
「Cランク、ノアです」
兵士は冒険者証を見る。
「年齢十五?」
「はい」
「王立治療院へ?」
「たぶん」
グラハムの封筒も見せる。兵士は封蝋を見ると、それ以上細かく聞かなかった。
「体調に異常は?」
「ないです」
「発熱、咳、倦怠感は?」
「ないです」
「同行者は?」
二人とも問題はない。
「通っていい。ただし、問題は残っている。王都南部の第四、第五、第六街区には許可なく入るな。現在、立入制限中だ」
「患者が多いところ?」
「そうだ」
「分かりました」
門を通る。
◇
王都へ入った瞬間、ノアは窓から外を見た。
「……広い」
大通りはラグナよりさらに広く、建物も高い。石造りの三階、四階建てが当たり前のように並び、通りの先が見えない。遠くには巨大な神殿があり、別方向には冒険者ギルドらしい大きな建物も見える。魔道具店の看板もいくつもある。本来なら、かなり賑やかな町なのだろう。だが――
「静かですね」
「ええ」
御者も周囲を警戒していた。店は開き、人も歩いているが数は少なく、道端で立ち話をする者もほとんどいない。口元を布で覆った人も多かった。さらに進むと、前方から横に赤い布を付けた一台の馬車が来た。御者も顔を布で覆い、荷台には人が横たわっている。
「病人?」
「おそらく」
馬車が通り過ぎる。そのすぐ後、また一台、今度は二人、担架、白い布。
「……結構いるな」
ノアは自然と《魔力感知Ⅰ》を使った。通りを行く人々の魔力を順に見る。大半は普通だが、中には少し弱い者もいる。さらに――
「ん?」
道端を歩く男が一人いた。顔色が悪く、その身体には薄い濁りがまとわりついている。
「今の……」
馬車は進んでいる。すぐ見えなくなる。
「ノアさん?」
「なんでもないです」
まだ断定しない。ただ、今の男の魔力には僅かな濁りが混じっていた。セレナの時とは違う。セレナの時よりも薄く、広く散っている。
「……呪いっぽい?」
分からない。でも普通ではなかった。
◇
王立治療院は、王城から少し離れた大通り沿いにある大きな白い建物だった。普段なら患者を治療する施設なのだろう。今は入口の外にまで天幕が増設されている。人が多い。医師や神官、兵士、薬を運ぶ者、担架で運ばれる病人までいる。
「ここ?」
「はい」
馬車を降りると、すぐに薬草と消毒薬の臭いが鼻を刺激した。入口には兵士が立っている。
「何者だ?」
「ベルツ領主グラハム様からの推薦者です」
ノアは封筒を出した。兵士が受け取る。
「少し待て」
男は建物の中へ入り、数分後に戻ってきた。
「こちらへ」
案内されて建物へ入ると、廊下はひどく慌ただしかった。何人もの人間が行き来し、ベッドが足りないのか廊下の端にまで簡易寝台が置かれている。患者たちは熱に浮かされ、汗を流し、苦しそうに呼吸していた。ノアは歩きながら《魔力感知Ⅰ》を使う。
「……」
一人、二人、三人と確認するが、どの患者にも同じ薄い濁りが身体全体へしかも重症そうな人ほど濃い。
「やっぱり何かある」
兵士について奥へ進む。最後に通されたのは、会議室のような部屋だった。中には五人ほどおり、白衣の医師、神官らしい服装の男、錬金術師らしい女性、王都の役人、そして中央には五十代くらいの男性がいた。
「ベルツから来た冒険者か」
「ノアです」
「私は王立治療院の院長、ハインだ」
「よろしくお願いします」
院長はグラハムの書簡を読んでいた。
「十五歳。Cランク冒険者。《浄化》の使い手。ベルツ領主令嬢に発生した強度呪染を除去……」
「はい」
「本当に一人で?」
「三日かかりました」
部屋にいた数人の視線が集まる。
「神殿の高位浄化術でも除去できなかったと書かれている」
「俺の《浄化》とは少し違うのかもしれません」
神官が眉を寄せた。
「少し、とは?」
「分かりません」
「……」
「俺も自分の技能の細かい理屈は知らないので」
院長が間に入った。
「今は議論している時間が惜しい。ノア君、まず聞きたい。患者を見て、何か分かるか?」
「廊下で少し見ました」
「もう?」
「《魔力感知》があります」
部屋の空気が変わる。
「患者の身体に、普通じゃない魔力が混じってます」
院長が立ち上がった。
「呪いか?」
「まだ分かりません」
「しかし異常はある?」
「あります」
「詳しく見てもらえるか?」
「はい。ただし勝手に《浄化》は使わないように言われてます」
「それでいい。まず観察だけ頼む」
「分かりました」
◇
案内されたのは、十床ある重症患者用の病室だった。そのほとんどが埋まっている。ノアは入口で足を止めた。熱気の中に薬と汗の臭いが混じっている。ノアは《魔力感知Ⅰ》を使った。
「……濃い」
廊下で見た患者より、明らかに症状が重い。近くのベッドには二十代ほどの男性が横たわり、顔色は悪く、首の皮膚の下には血管のような黒い筋が浮いている。
「これか」
グラハムが言っていた症状と同じだ。ノアは患者へ触れずに近づいた。
「いつから?」
院長が答える。
「発症から六日。昨日から意識がほとんどない」
「治癒魔法は?」
「今朝使った。一時的に熱は下がったが、すでに戻っている」
「神殿の浄化は?」
神官が答える。
「二度行った。表面的な穢れは取れる。しかし症状そのものに変化はなかった」
「水飲んでます?」
「当然だ」
「何の水?」
院長が少し首を傾げた。
「王都の水道水だ」
「この人だけ?」
「患者全員だ。なぜ水を?」
「まだ分かりません」
ノアは《魔力感知Ⅰ》で患者の頭、胸、腹、腕、脚を順に追った。濁った魔力は全身へ薄く広がっているが、セレナの時のような中心も、ペンダントのような核も見当たらない。
「身体の中全部にある」
「何が?」
「変な魔力」
さらに詳しく見ると、濁りは血液の流れに沿っているようにも感じる。
「血?」
濁りはそれだけではない。胃や腹の辺りにも、少し濃い部分がある。
「最近食べた物とか分かります?」
「患者ごとに違う。すでに調査している」
「同じ店とか?」
「一致していない」
「水は?」
院長の表情が少し変わった。
「水は……王都内でも地区ごとに系統が違う」
「患者が多い場所って分かります?」
「もちろんだ」
「地図見せてもらえます?」
院長はすぐ隣の職員へ指示した。ノアはその間、ベッド横の水差しを見る。
「これ、患者が飲んでる?」
「そうだ」
「少し見ても?」
「触らなければ」
ノアは水差しへ《魔力感知Ⅰ》。
「……」
水を見る。普通の水にも微量の魔力はある。だが――
「ある」
「何が?」
「同じ濁り」
院長の顔が強張った。
「水に?」
「すごく薄いです。でも患者の身体にあるのと似てます」
神官がすぐ水差しへ近づいた。
「私には感じられない」
「薄いので」
ノアも、第七呪物保管庫で何度も呪いを見ていなければ気づけなかったかもしれない。
「別の水あります?」
「汲みたてのものを」
すぐに別の水差しが用意された。ノアはまず中身を確認する。
「これにもある」
「どこの水道だ?」
「第三水路です」
院長と職員たちは顔を見合わせた。
「別系統の水を持ってこい」
少しして。別の地区、別の水道、まず一つ目を確認する。
「……ない」
二つ目の報酬も確認する。
「これもない」
三つ目も同じように調べる。
「少しある」
院長が黙った。
「患者の多い地区は?」
ちょうど地図が運ばれてきたため、机へ広げる。王都の街区ごとに赤い印が付き、それぞれの患者数が書かれていた。
「南部第四街区、第五、第六、それから西側の一部です」
「水路は?」
そこへ別の青い線が重なる。完全ではない。だが――
「この水路使ってるところ、多くない?」
院長の顔から血の気が引いた。
「第三水路……」
錬金術師の女性が地図へ近づく。
「南部三街区は第二水路と第三水路が混在している。患者数が少ないのも説明できる」
「西側は?」
「第三水路から分岐している」
部屋が静まり返る中、院長がノアを見た。
「ノア君」
「はい」
「この水を、《浄化》できるか?」
「少しなら」
「試してくれ」
「患者じゃなく水ならいい?」
「ああ」
ノアは水差しへ手を向けた。
「《浄化》」
白い光、水、ほんの一瞬、濁りが消える。《魔力感知Ⅰ》で確認する。
「消えました」
「本当に?」
「はい」
神官も錬金術師も院長も、全員が水へ目を向けた。見た目は何も変わらない。
「患者にも使えるか?」
院長が聞く。ノアはベッドを見る。
「たぶん。でも」
「でも?」
「原因が水なら、患者だけ浄化してもまた飲んだら戻ります」
セレナの時と同じだ。身体の表面だけを浄化しても、それでは終わらない。
「先に水を止めた方がいい」
「第三水路を?」
「少なくとも飲むのは止めた方がいいと思います」
院長は即座に職員へ向いた。
「第三水路の飲用を停止。該当街区へ通達しろ。備蓄水と第二水路からの輸送へ切り替える」
「はい!」
「水道局にも連絡。取水元から全部調べさせろ!」
人が動き始める。ノアはもう一度、患者を見る。
「俺、少し《浄化》試していいですか?」
院長が振り返った。
「安全か?」
「分かりません。だから最初は少しだけ」
「……やってくれ」
ノアは重症患者の横へ立ち、右手を向けた。最初から全身へ使うつもりはない。まずは黒い血管が浮き出ている右腕、その周辺だけを狙う。
「《浄化》」
白い光が皮膚へ染み込み、濁った魔力を動かしていく。
「効いてる」
黒い筋は少しずつ薄くなり、わずかずつ消えていった。周囲で見守っていた医師たちが息を呑む。
「本当に……」
ノアはすぐ止めた。
「ここまで」
「なぜ止める?」
「一気にやって何か起きたら嫌なので」
患者の呼吸はさっきより少し楽になっている。だが、まだ目は覚めず、熱も残っている。
「やっぱり治ってはない」
「どういうことだ?」
「変なものは減りました。でも身体が弱ってるのはそのままです」
院長は患者の脈を確認する。
「……脈が少し安定した」
神官が治癒魔法を使う。淡い光が患者を包み、呼吸がさらに整う。
「今までより反応がいい」
院長が呟く。ノアは頷いた。
「俺が原因を消して、その後で治した方がいいのかも」
《浄化》は治癒ではない。だが、邪魔をしているものを取り除けるなら、治癒魔法が本来通り効く。
「……これなら」
院長は地図を見たあと、病室の患者たちへ視線を移し、最後にノアを見た。
「王都の水を調べる必要がある」
「はい」
「その前に、第三水路の取水施設へ行く」
「今から?」
「一刻も早く」
ノアは窓の外を見た。まだ日がある。
「分かりました」
原因はまだ見つけていない。ただ、病人から人へ広がっているとは限らない。水の中には、確かに患者と同じ濁りがあった。
「水の上流を見れば、何か分かるかもしれない」
王都へ来たその日のうちに、ノアは病の中心へ一歩近づいていた




