表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/4

二話

石造りの通路に、トマホークの刃が肉を裂く鈍い音が響き渡る。  代々木ダンジョン第1層、その最奥。俺は返り血を拭うこともせず、荒い息を吐きながら立ち尽くしていた。

「……残り、MPは」

 胸元の小型SMDを覗き込む。  表示されている数値は【MP:120/300】。  スライム1体、そしてゴブリン3匹。それだけの戦闘で、俺の精神エネルギーは半分以上を失っていた。地上の俺であれば、とっくに意識を失って昏倒している数値だ。

「はは……、地上なら4回死んでる計算か。笑えない冗談だな」

 自嘲気味に呟きながら、俺は壁に手をついた。  ダンジョン内適応によって引き上げられた五感は、暗闇の先にある「次」を敏感に察知している。  カツン、カツンと、硬いものが石畳を叩く音が、迷宮の奥から反響して聞こえてきた。

「スケルトンか。1層の難所だな……」

 本来、初心者がソロで挑む相手ではない。だが、今の俺にはこの「ギリギリ」の状態こそが、生を実感させてくれる唯一の劇薬だった。  俺は再びトマホークを握り直す。  指先の震えは止まっていない。だが、それは恐怖ではなく、脳が、細胞が、さらなる加速を求めて悲鳴を上げている証拠だった。

 通路の角から、カタカタと骨を鳴らして、錆び付いた剣を手にしたスケルトンが現れた。  その後ろに、さらに2体。  計3体のアンデッド。

「ギギッ……!」

 感情のない虚ろな眼窩が俺を捉える。  俺は一歩、踏み出した。

(『瞬間演算』を使うか? いや、まだ早い。120しかないMPをここで使い切れば、帰還石を使う余力すらなくなる)

 脳内で冷徹な損得勘定が回る。  AGI 28。これがあれば、奴らの大振りの一撃を避けるのは難しくない。  俺は加速した。

「らぁッ!」

 トマホークを横一文字に振るい、先頭のスケルトンの肋骨を叩き折る。  手応えが硬い。肉と違って、骨は衝撃を逃がさない。トマホークの柄を通して、STR 24の膂力が俺の腕にも衝撃として跳ね返ってくる。  スケルトンがよろめいた隙に、俺は2体目の剣を紙一重でかわした。

 キン、と耳元で風を切る音がする。  地上の俺なら、今の音を聞いた瞬間に首が飛んでいた。  その事実が、脳に快楽を注ぎ込む。

「……ああ、最高だ。この感覚だけは、何にも代えられない」

 だが、スタミナは確実に削られていた。  1層をこれだけ連続で戦い続ければ、VIT 21の耐久力でも乳酸が溜まってくる。  3体目のスケルトンが、俺の着地際を狙って突きを放ってきた。  回避が遅れる。

「――演算、開始!」

 思考が爆発的に加速する。  世界がモノクロに染まり、スケルトンの剣の軌道が、毒々しいほど鮮やかな赤い線で示される。  0.1秒。  俺は首を右に傾け、剣先を数ミリの差で回避した。  そのままトマホークの石突きでスケルトンの肘関節を打ち抜き、体勢を崩させる。

 残りMP:90。

 視界が不規則に揺れる。脳が「もう止めてくれ」と叫んでいる。  それでも俺は止まらない。  崩れたスケルトンの頭蓋骨に、全体重を乗せたトマホークを叩きつけた。

 パカァンッ!

 乾いた音とともに骨が飛散し、スケルトンが魔素へと還る。  続けざまに、残りの2体も強引に力で押し切った。

「はぁ……っ、はぁ……ッ! げほっ、……」

 戦闘が終わった瞬間、俺はその場に膝をついた。  肺が焼けるように熱い。視界の端がチカチカと点滅し、こめかみをハンマーで殴られているような激痛が走る。  MP計を確認する。

【MP:45/300】

 危険域だ。  地上での最大値を超えるMPを、俺は今、この短時間で消費し尽くそうとしていた。  ふらつく足取りで、俺は床に落ちた魔結晶を拾い上げる。  スケルトンのドロップは、ゴブリンのそれよりもわずかに大きい。

「……おい、嘘だろ」

 ふと、視界の端に浮かんでいたウィンドウに、新たな通知が流れた。

SPステータスポイント蓄積:0.42を獲得しました】

 俺は思わず、震える手で画面を操作した。  メイキングのスキル画面を開く。  そこには、俺が今日1日で積み上げた戦果の結果が、残酷なまでに正確な数値として刻まれていた。

「……上がってる。本当に、少しずつだが」

 スライム、ゴブリン、そしてスケルトン。  命を削るような戦いを経て、俺はわずかなSPを手に入れた。  成人男性の平均が「10」というこの閉ざされた世界で、その「0.1」の重みは地上とは比較にならない。

(このSPをSTRに振れば……、俺はもっと強くなれる。もっと深くへ行ける)

 その誘惑が、疲れ切った心に冷たく染み込んでくる。  ダンジョンが現れて30年。  多くの者がこの「数値の成長」という麻薬に魅了され、帰らぬ人となった。  地上の不自由な自分を捨て、この迷宮の中だけで許される「超人」への道を突き進む。

「……戻らなきゃな。今日は、ここまでだ」

 俺はポケットから、鈍い輝きを放つ「帰還石」を取り出した。  メイキングで作られたこの石は、俺のMPと引き換えに、瞬時に第1層の入り口、あの現実と非日常を隔てるゲートの前へと運んでくれる。

(石に魔力を込める……。髪や服、装備を「俺の一部」として強く意識する……)

 失敗すれば、全裸でゲート前に放り出されるか、最悪の場合は身体の一部を欠損して転移することになる。  集中力が、極限まで削られた精神をさらに絞り上げていく。

「……帰還リターン

 視界が白濁し、身体が強烈な重力に引かれるような感覚に襲われた。  耳の奥で、ダンツクちゃんのものとは違う、無機質なシステム音が響いた気がした。

 次の瞬間。  俺の肺を、鉄錆の匂いではない、排気ガスと湿り気を帯びた「地上の空気」が満たした。

「……う、ぐぁ……ッ!」

 膝から崩れ落ちる。  猛烈な重圧。  一歩前までは羽毛のように軽かった腕が、今は泥の詰まった袋のように重い。  視界は霞み、思考の回転は一気に10分の1へと減速させられる。

 【STR:2.4】  【MP:4/30】

 ステータス計測所のホログラムが、情け容赦なく俺の「現実」を突きつけてくる。  そこには、魔物を蹂躙した英雄の姿など微塵もない。  ただの、疲れ果てた不健康な青年が、石畳に這いつくばっているだけだ。

「……お疲れ様です、芳村さん。かなり顔色が悪いですよ? 大丈夫ですか?」

 ゲートの陰から、心配そうな声がした。  JDAの鳴瀬美晴だ。彼女は俺の様子を見て、駆け寄ろうとして足を止めた。  俺が今、どんな「穴」を心に抱えているか、彼女には見えているのだろうか。

「……ああ、鳴瀬さん。なんとか……生きてるよ」

 俺は掠れた声で答え、震える手で地面を押し、強引に立ち上がった。  重い。  空気が、重力が、社会が。  すべてが俺を「凡人」へと押し込めようとしている。

「……また、明日も来ますよ」

 俺の言葉に、鳴瀬さんは少しだけ眉をひそめた。  その瞳には、かつてダンジョンに魅入られ、地上を捨てていった多くの探索者たちに向けられたものと同じ、静かな危惧が混じっていた。

「予定時刻は守ってくださいね。超過は……」 「保険の適用外、だろ? わかってるさ」

 俺は彼女の言葉を遮るように背を向け、換金所へと歩き出した。  手の中にある小さな魔結晶。  そして、脳裏に焼き付いた「0.42」の成長の記録。

 次は、もっと深くへ。  次は、もっと加速して。  俺の本当の命は、あの暗い穴の底でしか脈動しない。

 夕暮れ時の代々木。  雑踏の中へ消えていく俺の影は、地上の数値以上に、長く、歪んで伸びていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ