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ラブソング 3



 玄関先でいつまでも泣かせているわけにはいかず、とりあえず彼方を家の中に入れた。自分の幼少時代と同じ部屋にいるのは何だか妙だが、子ども時代とはいえ自分の泣き顔を世間に晒すよりはマシだ。

 座らせた途端分かりやすく腹が鳴った為、朝食を分けてやったら余計泣いた。

 「焦げてる…不味い」

 「なら食べるな」

 「食べるよ…僕から誰から産まれたか忘れた?お兄ちゃんの料理、食べられないわけないじゃん」

 「…」


 「いたっ!今、膝蹴った!大人気ない!」

 「馬鹿か、君は。大人は年を取るだけで、内面は何も変わっていない。年を重ねた分だけどんどん偉そうになり、プライドが高くなるだけだ。だから僕は大人気なく怒る。勝手に出て行った彼女を」

 

 膝をさすりながら、彼方はじっと若人を観察していた。泣きたいのを我慢して、必死に隠し怒っているような、不思議な表情だった。

 卯月には自信があったのだ。自分が消えたら若人がこうなる自信が。しかしそこに恋があるかといえば、それはないのだろう。この男の中は、卯月が入っていくには狭すぎる。恋をしないくせに、恋する卯月へ優しくする。怒りもする。自らの創造主を傷つける者として憎むべき対象ではあったが、彼方は若人を嫌いになれなかった。

 自分と同じ顔をしているからか-否、違う。そういう風に出来ているのだ。そういう風に出来たのだ。卯月が求めるまま、そのまま、この男を愛そう。


 

 訂正。やっぱり好きにはなれないのかもしれない。憎まれ口を叩き、蹴りもするくせに、子どもの姿をしている自分に気を使って、わざわざココアを淹れてくれた。そしてそのココアを飲み終える頃には、大体の話を話し終えていた。

 「…そうか。つまり要約すると、彼女は、僕が絶対に天使に敵わないから腹が立つ気の利かせ方をしたというわけか」

 「………え?」

 返事が遅れた、彼方が顔を上げる頃には、若人はコートを羽織って外へ飛び出した。慌てて止めようとしたら、慌てすぎてマグカップを床に落とし、割ってしまった。しかしこれに気を取られては若人に逃げられてしまう。彼方が慌てて抱き留めるが、体格差が圧倒的に不利だった。 

 「待って、どこ行くの!?」

 「卯月のところだ、行って説教してくる」

 「駄目だよ!お姉ちゃんがどんな気持ちで」 

 「分かるわけがないだろう!言わなければ分からない!!」

 「お兄ちゃん…」

 「いつもそうだ」

 どうして女は強がる。どうして女は嘘をつく。どうして女は無理をして笑う。そんな気なら、根こそぎ取ってくれて一向に構わない。僕はただ。


 -笑ってくれないか。


 「…そうか」

 無理をさせていたのは、僕の方だった。


 ずるり、と床にへたりこんだ若人に、彼方が慌てて駆け寄った。泣いてるのかと思ったが、彼の目は乾ききっていた。泣けないのだろう、この男は。

 彼方が何も言わず若人の首元にしがみつくと、若人は振り切りもせず、抱き返しもせず、ただゆっくりと両目を開けた。



 少し眠ってしまっていたらしい、若人がゆっくりと目を開けると、自分の腹を枕にして彼方が寝ていた。ため息一つ、若人が彼方を床に寝かせると、立ち上がった。ノックの音がする。

 卯月が帰ってきたのか、と期待するほど自分は可愛くなれなかった。

 卯月を思い出した自分を消しに来たか-自分には彼女のような剣がない為、武器がハサミしかない。しかし自分を傷つけるのはよくても、他人を傷つけるのは何となく気が引ける。商売道具が汚れる気がする。かといって包丁はもっと御免だ、天使だか何だか知らんがわけの分からん生き物を切ったもので魚や肉を切れるか。

 何か武器はないかと室内を物色してみたら、昔、客からもらったゴルフ道具一式が目に入った。ゴルフクラブを手に取り、ゆっくりと玄関へ近づいた。我ながら間抜けな構図だが、ないよりはマシだ。


 きぃ、という音が向こうからした。先手必勝-若人がバッドを振り上げると、思わず床に落とした。


 一瞬誰か分からなかった。それは化粧を落とし、男の恰好のした育美-いやもうこの場合以蔵だろう。男の顔をして胸だけはあるから妙な感じだが、元々中性的な顔立ちのため、ものすごく不自然というわけでもなかった。

 「…どうしたんだお前」

 「…若人こそ。どうしたんだ、そんなに老けて」 

 「は?」

 「僕たち、高校生じゃないのか?」

 あまりの状況、そして以蔵の言葉に、若人が思わず彼方に視線だけで助けを求めると、まだ彼は寝ていた。



 今日はよくココアを淹れる日だ。以蔵はコーヒーでいい、など抜かしていたが、それは『彼女』の強がりであることなど、若人はよく知っていた。

 最初は何の冗談かと思ったが、彼女が化粧もせずにズボンをはいて外に出るなんて、冗談で済ませられなかった。どうやら本当に、記憶は高校生に戻っているらしい。卯月の記憶が消えた副作用だろうか、彼女からはあまりにもごっそり記憶を無くしたらしい。

 中身は無垢な高校生にお前はオカマ宣言をするのは躊躇われないこともなかったが、今の若人にはとにかく余裕がなかった。かいつまんではあったがぶちまけていると、彼女はゆっくりと絶望していっていた。

 「そうか…もう28なんだ…そんでオカマやってんだ…」

 「ああ」

 「うああ最悪だ、父さんに殺される!」

 「そうだな、目出度く家をたたき出されたな」

 「目出度くない!一つも目出度くなっ」

 涙目で若人を見上げた以蔵が、ふと目を細めた。

 「…若人こそ、何か、大人になっていいことあった?」

 「…?なぜだ」

 「だって、目が死んでない」

 「…そうか」

 僕はあの頃目が死んでいたのか。そして今は目が死んでいないのか。今も昔も自分に興味がないから知らなかった。だからお約束に、無くしてから大切なものに気づく。

 「大切なものが出来た。けど、また無くした」

 「…取り戻せるのか?」

 「ああ、今度は、多分な。確実に駄目ではない」

 「僕も行くよ」

 「僕とか言うな、気味が悪い…女は留守番だ」

 肩を軽く叩かれ、以蔵-育美が軽く赤くなる。記憶は高校生のままなのに、十数年分押し殺してきた、この男への悔しいほどの恋心が溢れて、また消えた。

 女として目覚めたのは、多分一番はお前のせいだ馬鹿野郎-とは言わない、言えない。28歳の自分の為に。

 「分かった、じゃあ留守番してる。死ぬなよ」

 「死なん、死なんが、もし俺に何かあったらこの部屋をやる。知らん奴に使われるよりマシだ」

 「…じゃあ、毎晩、お前が帰ってくるまで、卯の刻参りしてやるよ」

 「そうしてくれ」

 下手に安全を願われるより効きそうだ、若人が軽く手を振って別れると、育美は一人、扉を閉めて、鍵を閉めた。そして今頃、床で寝ている若人顔の少年に気づいた。

 まさかあいつ子持ちか-なんだか見てはいけないものを見てしまった気がして、なぜか毛布をかけてしまった。



 約一名が大変目立つ為、水無瀬たち三人は屋上へ移動した。時間がある程度経つと、滝の巨大な羽も見慣れてきた。雪香が紅茶を持って来ておまけに手作りのスコーンまで持ってきてくれた為、なんだかお茶会のようになったおかげで、水無瀬は大分落ち着いてきた。今にも滝を殴ってしまいそうなほど、自分は混乱していたからだ。

 紅茶を一口飲み、滝は顔を上げた。

 「結論から言いましょう。卯月さんは天使にさらわれ、そして彼女に関わる全ての者から記憶を消したのでしょう」

 「…!」

 水無瀬が立ち上がるが、それを引き下げたのは雪香だった。

 「落ち着いて、みな君。どこに行くの」

 「これが落ち着いてっ」

 怒りのまま、心配のまま、叫ぼうとしていた水無瀬の声が引っ込んだ。怒りを必死に笑顔で押し殺している雪香は、いつかの彼女に戻っていた。戻ってしまっていた。水無瀬はすいません、と小さく謝ると、座り直した。

 「殺されるの?」 

 「分かりません。彼女の力はあまりにも大きい、いきなり殺したりはしないでしょうが、遅かれ早かれ、彼女に何かしらの手段を施すでしょう。例えば力を奪って、今までの記憶を全て消す、とかね」

 「…それなら別にそう被害は」

 「ええ。ただ、彼女はあの力と一緒にいすぎた。もう彼女の一部となっています。それを引き離した後、彼女の身が安全とも限りません」

 「どこにいるの」

 「それなんですが」

 滝が写真を出し、二人が覗き込んだ。二人が始めて見る顔、ニット帽を深くかぶった公誓の写真と、彼と卯月をさらおうとした天使の写真だった。

 「この天使は下っ端中の下っ端です。名前もないくらいだ。この男が卯月さんを天界へ連れていくように命じられたようですが、今、卯月さんの命の鼓動は、この男の側から聞こえません。こちらの少年の側から聞こえます」

 「…こいつも誰なんだよ。こいつは天使か?」

 「いえ。悪魔です」

 「あくっ…」

 天使だの悪魔だのファンシーすぎて、なかなかシリアスになりきれない。が、水無瀬の中で、卯月と一緒にいる男というだけで、もう敵決定だった。

 「彼も卯月ちゃんの力を狙ってるの?」

 「いえそれが…よく分からないんですよ。悪魔は天使よりも更に余裕がない連中だ、そんなのと長時間一緒にいるのに、卯月君の鼓動はずっと元気なんです。おまけにこの悪魔、どうもただの悪魔でないようで」

 「どういうこと?」

 「半分、人間の鼓動が聞こえるんです」

 んん、と少し考え込んだ水無瀬が、ふと自分の境遇と重なった。

 「人間と悪魔のハーフ、とか?」

 「それならまだ説明が付くんですが…どうもこの男…まぁ、いいでしょう。今は。今、卯月さんの鼓動は、天界にも、ここにもいない。それでも探そうと思います。全く、せっかく私が可愛がっていたのに…」

 途端父親のような表情になった滝に違和感を感じたが、今はそんな場合ではなかった。 

 「なら俺も」

 「却下」

 「却下!?何でだよ!」

 「人間が口出す問題ではないと言ってるんです。これはもう人間が関わってはいけない領域だ、死にたくなかったら」


 どおん!!


 滝が一瞬前までいたところが水無瀬の攻撃によって大破し、そして隣に経つ雪香の後ろには、いつの間にか、巨大な異形が、彼女を愛しむように立っていた。

 「なら俺はたった今から人間止める。卯月のところへ連れていけ」

 「私はもう、とっくに止めてるよ」

 「…やれやれ」

 滝が眼鏡をかけ直し、二人を見つめ、そして笑った。

 狂った恋だ。彼も、彼女も、そしてきっと、私も。



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