ラブソング 4
彼方と育美を置いて部屋を出たはいいが、若人は早くも路頭に迷っていた。彼方に頼れないとなると、卯月に関して助けを借りられる相手が思いつかない。
卯月の危機となればすぐに動き出しそうな相手として水無瀬が浮かんだが、彼が自分と手を組むとは考えづらかった。緊急事態だから手を貸すかもしれないと思わないでもなかったが、こちらもこちらで、水無瀬と組むのは気に入らなかった。
そうなると-やはり、あいつか。
気が向かないが、舌打ち一つ、若人は卯月の通う高校へ向かった。
屋上で一人、滝は羽を羽ばたかせながら、眠らせた水無瀬と雪香を見下ろしていた。可愛そうだが、やはり連れていくわけにはいかない。
時間も止めた、二人も眠らせた。そろそろ出発かと滝が飛び立とうとしたその時、足を止めた。動けている気配がある。おまけにこちらに近づいてきている。滝が構えるが、それを解くのも早かった。
「あなたでしたか」
やってきた若人を見て、滝はため息をついた。全く彼女は、関わってきた人間が少ない割に、厄介な人間がすごい比率なものだから、大変だ。
「もうお会いすることはないと思っていました」
「ああ、僕もだ」
言いたいことは分かっている、若人が何か言い出すより前に、滝は彼の口前を手で制した。
「卯月君のところへは、連れていけませんよ」
「願いを聞けないのか」
「何ですって?」
「天使なんだろう、そんな大層な羽を生やして、人の願いも叶えられないのか」
この男がこんな幼いことを言うのは意外だった、それくらい追い込まれているのか、それとも元からこういう性格なのか。何にしても、笑ってしまった。
「では聞きますが、あなたは願いが叶ったことはありますか?」
瞬間、若人の中で最愛の妹の顔が脳内で生じて、そして、消えていった。
「好きな仕事には就けた」
「それはあなたの努力の結果だ。天使がいなくても、あなたは叶えるだけのことをしてきた」
「卯月を、僕にくれた」
「…それは」
それは彼女が選んだ結果だと、言えなかったのは、父性のまねごとからくる嫉妬心だった。自分も大概大人気ない、またため息一つ、滝が若人を見た。
「願いを叶えなくてもいい、失わさないでくれないか」
「ええ、そうならない為にも、私が迎えに行きます。必ず、助けます。あなたが来ても正直、邪魔です。剣もないあなたは、向こうに行くことも出来ない」
「なら、剣があれば構わないのだな」
今のはさすがに失言だったか、しかし滝は、何事もなかったように、強気で笑ってやった。
「ええ、出せればの話ですけど」
滝は知っていた。若人から産まれた剣は、卯月が持っていること。人の一時的な願いで、『あれ』はそうぽんぽん生じるものではない。万が一二本目が出るようなことがあれば、彼を巻き込むには十分だ。
若人が目を閉じ、そして集中した。卯月と出会った時のことを思い出す。あの時、まだ出会ったばかりだった。今なら、あの時よりずっと情も厚い。それなのに-
「…くっ」
汗ばむほど集中したが、若人から剣が産まれなかった。そら見たことか、と滝が鼻で笑った。
「もう諦めて下さい、精神が壊れてしまいますよ。では私はそろそろ-」
「-!待てと言っ」
ぶん!!
滝の前髪が少し、地面へと落ちていった。若人から生まれた、長い長い、剣のせいだ。いや剣というよりは、槍のようだった。長すぎる上に、おまけに、禍々しいほどに漆黒だ。卯月の持つ、あの美しい剣を生んだ創造主が作ったものだとはとても思えなかった。なるほど、彼には卯月が必要かもしれない。彼女がいるかいないかで、彼の精神状態はこんなにも変わってしまうのだ。
これではまるで悪魔が持つ剣だ、若人が握る剣に、滝は恐怖さえ覚えた。こんなに黒い願いの固まりは、見たことがなかった。
「…おめでとうございます、天使ではなく、悪魔の誕生だ」
「ああありがとう、貴様のおかげだ」
これで本当に悪魔にでもなったらこの男のせいにしよう、若人はそう心に強く決めた。その誓いのように滝と握手でもしてやろうかと思ったその時だった。
「あれ」
「…っ、お…っ」
屋上に穴が開いたかと思ったら、握手したままの滝と若人、そして近くに寝ていた水無瀬と雪香も、深く深く、真っ暗い闇の中へと、落ちていった。
どんな状況でもどんな場所でも腹は減る、それは今までの希少な経験から分かったことだ。あてもなく雲の上を歩き続け、卯月の腹は元気に鳴っていた。もう歩けない、卯月が思わずへたりこむと、公誓が慌てた。
「…う~…」
お腹は空いたし、疲れたし、足痛いし、周りは雲ばかりで上下左右前後分からないし、若人はいないし。気がつくと卯月は泣いてしまっていた。
「卯月さん!」
「…帰りたい…若人のご飯、食べたい」
気がついたら、まるで幼子みたいに泣いていた。こんな子どもっぽい自分が嫌で、情けなくて、余計に泣けてきた。困ったように、それでも公誓が視線を合わせてくれるから、もう涙は止まりそうなかった。
「…このままじゃ、卯月さんが死んでしまう」
「…え?」
公誓の素っ頓狂な発言に、卯月の涙は止まった。さすがに死にはしないだろうし、更にもう涙は止まった。が、公誓は真剣な表情のまま、立ち上がった。
「公ちゃん…助けて。出してあげるから、その代わり、卯月さんに変なことしたら、許さないから」
この発言に、卯月はまた恐怖を覚えた。まさかとは思うが、あの男を呼び出すのか。卯月は思わず涙目で公誓へ駆け寄った。
「ちょ、ちょっと早まらないで、私、あいつ嫌だ!」
「もうおせぇよ、貧乳」
「―っ、!!」
「いって!!」
この男の前だけでは絶対に泣かない、卯月は男の顔を思い切りひっぱたいてやった。しかし、そういえば若人は胸の大きい方の胸の方が好きなのかどうなのか考えてしまい、また泣きそうになってしまった。
「運転心地はいかがですか、お嬢様」
「悪くはないわ。落としたら殺すわよ」
この男には気を遣う気は全くしない、卯月は黒い羽を羽ばたかせた男の背中に乗り、宙を飛んで移動していた。絶対に言ってやる気はないが、最初からこうしてもらえばよかったと思うほど、楽だった。
しかし飛んでも飛んでも、周りには雲が広がるだけ、果ては見えなかった。
「どうする?あいつが頼むから助けてやるよ。どこに行きたい」
「どこでも、行けるの?」
「人間じゃないからな」
自虐的な発言ではあるが、彼のあくまで強気な笑顔に、嫌な気持ちにはならなかった。それなら遠慮なく甘えようと、卯月は彼の背中を叩いた。
「じゃあ、天界へ」
「…天界?帰りたいんじゃないのか」
「帰りたいけど、帰ったらわかっ…、他の人にまた迷惑かける。どこにいたって一緒。多分、ここをずっと飛んでても、いつか見つかってしまう。それならもう最初から会いに行って、決着をつける」
「殺されるかもしれねぇぞ」
「その時は、その時よ」
元から、生きてるのか死んでるのか、分からないような体だ。殺せるなら殺せばいい、ただし、もしそうなったとしても、タダで殺させてやるつもりはない。
「行くよ」
卯月が剣を抱えて構えると、男は口笛を軽く吹いた。
「いい子だ…着くまで時間がある。何か、聞きたいお話はあるか」
「子ども扱いしないでよ」
「何か俺に、聞きたいことがあるんじゃないのか?今、俺の中で眠っている俺じゃなくて」
ふ、と、心と体が一緒に揺れた。公誓が寝ている間に公誓の話を聞くのは申し訳なく、躊躇してしまった。
「教えてやるけど、その代わり、聞いたことを絶対にこいつに悟られるなよ」
もし聞くとしたら出そうとしていた交換条件を、先に言われてしまった。口調が乱暴で無茶苦茶なこの男だが、公誓は大事にしているらしい。だからこそ教えたいのだろう、否、それはもう言い訳だ。もうこれは好奇心にも近い。卯月は公誓に心の中で詫び、彼の背中をまた軽く叩いた。
「どうして公誓君の中に、あなたがいるの?」
「俺たちは…一緒に事故ったんだ。俺は即死だったけど、こいつは奇跡的に助かった。それで終われば別に何の問題もなかったが、こいつは、とんでもないことに手を出した。俺の命を、生き返らせたんだ」
「…どうやって」
「悪魔と、契約したんだ」
知らず、喉が小さく息を飲んでいた。あまりにも現実感がない話だが、もうこの体は、恐らく何を言われても信じるようになってしまっている。事実、今、目の前にある彼の羽は真っ黒だ。
「けど失敗した。俺は魂だけが生き返った。それでこいつはどうしようもなく、自分の体に俺を置いたんだ。全く、馬鹿な奴だ」
「その…出られないの?」
「出られるさ、けど、そうなったら魂はいずれ消える。完全に死ぬってことだ。俺だってこいつを自由にさせてやりたいけど、こいつは悪魔と契約までしたんだ、そう簡単に裏切られるものじゃない。それに、こんな形だけど、一緒にいられて嬉しいしな」
「仲いいんだね」
「恋人だからな」
さも当然のように言うから、聞き流すところだった。
「…今、何て言った?」
「…聞いてなかった?もしかして」
「…うん」
「うわ、マジか。さすがに殺されるかもな。ま、いいか」
はは、とごまかすように男が笑い、卯月は必死で彼の肩を掴んでいた。ショックで落ちないように。同性同士で恋人だという事実も衝撃だったが、それよりも何よりも一番衝撃だったのは、あの公誓がよりによって彼を選んだことだ。どうしてそうなった-…
卯月が倒れるように、ふと、男の背中に頭が触れてしまう。すると、公誓の声が聞こえてきた。
-ごめんね。いくら卯月さんでも、あまり、公ちゃんに触らないで。
そのあまりに幼い、それでいて強い嫉妬心は、覚えがあるものだった。卯月が思わず慌てて離れると、ごめんね、と公誓の謝る声がした。
-気持ち悪いでしょう。
-ううん、そんなことない。
-ありがとう。
そしてまばたきすると、公誓の笑顔が浮かんできた。
-僕の歌を、聞いてくれるかな。また。僕の、長い、嫌な、ラブソングを。
更にまばたきをすると、耳の奥から、たくさんの優しくも激しい音が固まりとなって聞こえてきて、それはやがて、音楽になっていった。そしてたくさんの音楽の向こうに、笑った公誓と、見知らぬ青年が立っていた。見たことがない顔だが、目つきと、乱暴な声には覚えがあった。
二人を囲む空気は、友人以上のものだと、何となく分かった。物珍しさも異常さもなく、ただ、綺麗だな、うらやましいなと思っていた。そのまま二人を見ていると、二人は消えてしまい、そして現れたのは、幼い公誓だった。




